第2話 夢と現実



 気が付くと、おれは川の真ん中に立っていた。目の前には大きな山、左の方には川岸と砂利道。右の方にはなんか木がいっぱい生えてる。

 そんな景色に……なぜか懐かしさを感じた。


 とりあえず川岸へ行こうとしけれど、足は全然動かない。何回か力を入れても結果は全然変わらなかった。何がなんだか分からず、ひたすらそれを繰り返していた時だった。

 突然体が川の中へと引きずり込まれる。


 どうして沈んだのか、何に引っ張られているのか。そんな思考なんてすぐに吹っ飛ぶ。

 水面に行かないと、顔を出さないと……そんな危機感が溢れ、両足をバタつかせて必死にもがく。口からは空気が漏れて、すぐ近くに水面が見えるのにどれだけ頑張っても届かない。それどころか、徐々に沈んでいく。水面の光が段々と暗くなる。ゆっくり、ゆっくりと。




「ぷはっ!」


 大きく息を吐き出すと、目の前には見慣れた天井が広がっていた。ゆっくりと上体を起こして自分の部屋を見渡して見たけれど、昨日までとなんら変わりないことに少し安心する。


 朝から嫌な夢を見たもんだ、しかも溺れる夢とは。

 溜め息をつきながら枕元に置かれたスマートフォンを手に取ると、表示された時間は6:10。

 大きなあくびを出しながらベッドの上に膝立ちして、閉まっているカーテンを勢いよく開けると、所々から見える湯煙にそれを照らす朝日。葉取りに最高な快晴がそこには広がっていた。


「ふぅ」


 そんな温かい日差しに気分が良くなったところで、1つ大きく息を吐くと、徐にベッドを後にする。そして向かった先はタンスの前。

 着ていた服をカゴに放り投げ、タンスの中から着替えを取り出すと……あっと言う間に着替え完了。


 長袖のインナーにポロシャツ、スウェットのズボン。畑仕事に行く時のいつものスタイルに身を包むと、机の上に置いていたお守りをポケットに入れて……おれは颯爽と部屋のドアを開けた。


「おっ、おはよう。なんだ、今日は早いな」


 ドアを開けると、廊下の先には親父が立っていた。丁度1階から上がって来たみたいで、なんか驚いたような顔をしている。


「おはよー、たまたまだよ」


 まぁ、いつもギリギリまで寝てるやつが珍しく早起きしてたら驚くよな。

 ドアを閉め、頭をかきながら答えると、ゆっくりと階段の方へ向かう。


「やっぱりか! それが毎日だといいんだけどな」

「それは無理!」


「ふっ。あっ! 飯ちゃんと食えよ。7時には行くからなー」

「はいよー」


 すれ違いざまの親父の話に軽く返事しながら、おれはゆっくりと階段を降りていく。そしてそのまま真っすぐ向かった先は風呂場だった。

 正直、どっかに出掛けるわけじゃないから髪とかどうでもいいんだけど、その辺親父がめちゃくちゃうるさい。あとからガミガミ言われるのもめんどくさいし、さっとやるか。


 洗面台の前に着くとポケットに入れたお守りを置いて、さっと顔を洗い、ちゃちゃっと寝癖を直す。髭は……今日はいいか。


 簡単に身支度を終え、次に向かったのは台所。引き戸を開けると、テーブルの周りには朝ご飯が並べられていた。

 そんな引き戸の音に気が付いたのか、流し台で洗い物をしている母さんがこっちに顔を向ける。


「おはよう。今日は早いね」


 いつもと変わりない挨拶だが、母さんの表情も親父と同じでどこか驚いている様に見えた。

 やっぱり毎日毎日遅刻ぎりぎりまで寝ているやつが、いつもより早く、しかも夏休み中に早起きしてきたとなると、驚くのも無理ないとつくづく感じる。まあ、直す気はないけど。


「親父も言ってた」

「やっぱり? まさか起こされる前に起きてくるとは思わなかったよ」

「ははっ、たまにはね」


 そう言いながら、おれは冷蔵庫の中から生卵を1つ取り出す。今日はなんとなく卵がけご飯を食べたい気分だった。


 自分の椅子に座り、茶碗にご飯を盛ると真ん中にくぼみを作って生卵を投入。置かれた味噌汁を横目に、適度に醤油を垂らせば、TKGの完成。黄身を箸で割るとトロリと溢れて、それがご飯に染みてきてやっぱり最高だ。


 『------故の容疑者は未だに見つかっておらず……』


 なんて、至高のTKGに舌鼓を打っていた時だった。居間にあるテレビから聞こえる、朝のニュース番組のが耳に入る。何気なく視線を向けると、数か月前の事故の話の様だった。


「この犯人まだ捕まってないんだな」

「そうみたいね。かれこれ1ヶ月位は経つのにねぇ」


 その内容は1ヶ月前に起こったトラックと乗用車の衝突事故。ぶつかったトラックの運転手はそのまま逃げたらしいけど、もう顔も割れてるのに逃げるだけ無駄じゃない? 余計に罪が重くなるのに……

 恐怖なのか、ただただ逃げ延びたいのか、おれには容疑者の心情が全然分からない。


「ごちそうさま」

「はいはい」


 そうこうしている内にTKGをあっと言う間に胃の中に収めると、俺は食べ終わった食器を流し台へと持っていく。

 あれ? そろそろ時間じゃね?


「自分で洗うから、母さん着替えてきたら? もう7時になるし」

「あっ、本当だ! じゃあよろしく」


 徐に時計を指差すと、それを見た母さんは少し慌てた様子で、台所を出て行った。そんな姿を横目に、俺はそそくさと茶碗を洗いだす。その後ろでは、まださっきの事件についての報道が続いていた。


 ……よっと、バッチリ完了。じゃあ行こうかな? っとその前にテレビ消さないと。

 洗った茶碗を棚に戻し、テレビの前へ歩みを進める。そして小さなテーブルに置かれたリモコンを手に取り電源を消すと、カラフルだった画面は一瞬で真っ暗に。そしてそこに映り込むのはおれと……


 着物を着た少女……!?


 その瞬間、一気に背中に寒気が走る。にわかには信じられない。ただ、そこには……自分の右足の前に、確かに居た。着物を着た少女が。


「っ!!」


 反射的に自分の右足ら辺を見たけど、そこには誰も居ない。もう1度テレビの画面を見ても、そこには俺しか映っていなかった。


 画面から目が離せない。そしてハッキリと分かるほど心臓の鼓動は速くて、リモコンを持っている右手は小刻みに震えて止まらない。


 なんだよ今の……誰だよ……

 一瞬で起きた恐怖と驚きに、足は動かないし、声も出ない。


 確かに、おれの右側に……

 もう1度ゆっくり右足のあたりを見たけれど、誰もいない。額から1滴、汗がこぼれて頬を伝う。それは顎で一旦止まると、少しして床へと落ちていく。


 それ系の話も番組も映画も嫌いじゃない。放送されていれば、むしろ家族で見ているくらいだった。けど、直に自分が経験したことは無かった。


「透也? なにしてるの? 行くよー」


 その声にハッとする。我に返るような、時間が動き始めるようなそんな感覚。


「わ、分かった! 今行く!」


 あれほど出なかった声があっけなく口から出て、動かなかった足は嘘のように軽く感じる。そんな奇妙な感覚を覚えながら、俺はリモコンをテーブルに置くと、1歩また1歩と後ずさりをしながら……思い切ってテレビを背に向けた。


 まだ鼓動は収まらない。それを振り払うように急いで廊下に出ると、開いている玄関から親父の軽トラックが見える。

 下駄箱から自分の靴を取る手はまだ震えていた。きっと顔も硬いままなんだろう。


 落ち着け、落ち着け、あれは見間違いだ、勘違いだ。

 心の中で必死に否定しながら、落ち着こうと何回か深呼吸すると、徐々に鼓動が遅くなるのを感じる。

 手の震えはまだあるが、寒気は収まってきた。さっきよりだいぶマシになってきたことに少し安心する。

 そして最後にもう1度大きく深呼吸すると……俺は玄関を後にした。


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