第17話

「にゃーん……これで満足か?」


 蓮はそう吐き出して、上半身を揺らしていた。それが挑発の類であることは明白だった。そんな彼の前に、拳大の石か何かが飛び込んだ。蓮はそれを平然と掴むと、小さく首を傾げた。


「蓮、上の記録は任せたぞ。私達は下を見る。何か気付いたことがあれば漏らさず記録報告するように」


 そう言って韮井先生が二度手を叩いた。蓮の手の中には、彼が投げたのであろうデジタルカメラが収まっていた。それが指示であることを理解したのだろう。蓮は黙って頷いて、そのまま岩の頂上をぐるぐると歩き始めていた。


「アレは慣れているから良いが、お前達は無理しないように。樒と若桜はいつも通り、私に着いて来い。お嬢さん方のことは恭子に任せた。よろしく頼む」


 蓮の影を指差して、先生はそう吐いた。手慣れた様子の先生達は、吐き落としたものをそのままに、未だ濡れる砂地に足跡をつけていく。そんな三つの背中を見る私とアザミの肩を、恭子が叩いた。


「さてさて、初参加のお二人は……とりあえず私と一緒に、ぐるっと回りましょうか!」


 日傘と共にくるくる回る彼女の隣へ、アザミが飛び跳ねるように駆け出した。それを追うようにして、私もまた歩を進めた。

 回ると言った通り、恭子は岩山の肌に手をつけて、それを伝うように歩いていた。周囲には舗装も何も無く、掴める物といえば岩山を締め付ける縄と鎖くらいだった。しかしそれに触れることは、アザミでさえも躊躇っていた。それ程までにその形状と岩を包む空気感は異様だったのだ。


「足元を見て。どの鎖も縄も、同じものがないの。この端はどれも岩の下に繋がっていて……その先は対角の岩の下から伸びているらしいわ。ほら、この鎖、正面から見た時のあれと同じ形状でしょう」

「え? 有り得なくないですか? 岩の下に鎖なんて……この岩って、頭出てるだけですよね? 恭子さんが言ってるのが本当だとしたら、岩の下で繋がっているみたいじゃないですか。それ、こんな大きな岩を持ち上げないと、出来ないですよね?」


 恭子が不可思議を唱えた瞬間に、アザミは生き生きと声を上げた。彼女は喋らせておけば良いのだと理解したのだろう。恭子は頬を緩ませて、アザミへと口を向けた。


「それが不思議って話なのよ! そもそも何でこんなSMプレイみたいなことになってんのかすらわかってないんだから!」


 砕けた姿勢の恭子は、全てを投げ捨てるが如くそうやって笑い声を上げた。彼女は岩を叩きながら、その表面をなぞる。彼女の言動の全てが、先程まで神聖さを纏っていたそれらを奇妙な岩といった印象に変えていく。あの鳥居は何のためにあったのだろうと、首を傾げる程に、恭子の言葉と足取りは私達から先入観を奪っていく。


「神聖な場所だと思った? まあ、実際に神域の類ではあるんだけどね。ここは鳥居こそあるけど、神社としてちゃんと整備されているわけじゃなくて……岩自体を祀っている……と、されているの。地元の人達は『カタコサマ』って呼んでいるそうよ」


 私とアザミの様子を察してか、恭子はそう付け加えて見せた。もし岩が祀られているのだとすれば、今彼女がその表面を叩きつけたり、蓮が上に乗って飛び回っているのは、相当の罰当たりではないか。そんな無自覚な信仰心を飲み込んでいると、隣でアザミがまた大きく口を開いた。


 

「随分と曖昧なんですね。もっとこう、自然への信仰とか、何を目的に祀られてるーっ……とか、色々わかってるんだと思ってた」

「それがわかってないから調べてんのよ。学術的な調査について手付かずなの、これは」

「こんなに不思議で浪漫があるのに、誰も? 誰も調べようとしなかったんですか?」

「行政も入れないような区域だったし、長年外部に情報が漏れないようにもなってたみたいだしね。韮井先生も当初は別の神様について調査してたのよ。それが途中でこっちも調って言われちゃって……」

「調べて欲しい? え? 調査許可が出たとかじゃなくて、要請されたんですか?」


 アザミの問いに、恭子は黙って微笑んでいた。そんな彼女の目は、アザミとの対話の数秒で上を向いて、少しずつ下がっていった。目線が私の後ろを指し示した時、彼女はハハッと機嫌良く日傘を揺らした。


「その辺は、教え子でもない私にはわからないことよ。そうね、そこの黒猫ちゃんにでも聞いてみたら?」


 彼女がそう笑って指を向けた先には、岩から飛び降りる蓮の影があった。彼は振り返った私の、その目の前に落ちて、砂地の表面を揺らした。焼けるような日差しの中で彼は涼しげな顔のまま、ダラダラと汗を流していた。


「記録、終わったの?」


 恭子はそう言って、蓮に微笑む。彼は無言のままに私とアザミを見ると、鼻で深く溜息を吐いていた。


「指示されてた分と、気になってた所は全部。デジカメも先生達に投げて来た。後は自由。雨が降るまでは」


 暑さと汗で、喋るのが億劫なのだろう。彼は短く吐き散らして、その足を海水に濡らしていた。


「……韮井先生に調査の依頼が来ることは、よくあるんだ。地元の人に頼まれるって言うよりも、前職の関係者とか、とか」


 上の人。とアザミが口元で繰り返す。彼女はふと、私の隣を離れて、岩陰から走り出した。蓮に向かって海水を蹴りかけると、彼の反応を見ながらクスクスと笑っていた。


「陰謀論っぽい! 先生の前職って作家か何か?」


 そうやって満面の笑みを浮かべるアザミを、蓮はまるでゴミでも見るような目で睨みつけていた。これで暴力に出ないだけ良いのかもしれない。常に無表情な彼の、そんな過激な目を見て、恭子はゲラゲラと腹を抱えて笑っていた。


「…………葬儀屋の社員だ。街の、商店街にある」

「あぁ、あの暗ぁいビルに入ってる……葬儀屋から大学の先生って凄いわねえ。あんな若いのに……てか前職の関係者って、何、葬儀屋から依頼があるってこと? それともその時の顧客と個人的に関係が? 上の人ってのもそれの綾?」


 側から見て、二人の相性は悪烈であると理解出来た。言葉が少なく説明するには奇妙な境遇であろう蓮と、問いを詰め入れていくアザミ。その間をどうやって割ってやるべきかと考えても、どうにも解答は見つからなかった。面白がるばかりの恭子を隣に、私はそうやって頭を抱えていた。

 そんな時だった。言葉を浴びせられる蓮が、ついにアザミへ掴みかかるかという頃、彼は突然空を見上げた。一瞬だけ身構えていたアザミが、蓮の顔を覗く。そしてツンツンと二回、その腕を人差し指で突ついた。それでもなお、蓮はジッと空を見て、何かを探すように眼球を動かしていた。


「蓮?」


 やっと出た呼び声を、海の向こうに鳴らす。そうしてやっと、蓮は私の方を見た。


「雨」

「雨?」


 聞き返したのは、私の口だったか、隣の恭子だったかはわからない。ただ、蓮は小さく指を上に向けて、硬い唇を開けた。

 

「雨が来る。街の方から、雨雲が流れて来る。結構デカい……変だ」


 そう言って、彼は街の方角に目を向けた。視界を重ねた先では、雲の塔が一本高く積み上がって、その裾野を広げていた。

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