第10話

 と言っても。と、先生は一つ声を置いて、喉を鳴らした。


「私も、それそのものを全て知っているわけではない。『くらみつはなめ』については、推測以外の何も出来ん。加えて、蓮についてもそうだ。アイツが何を考えているかなどさっぱりわからん。正直、私は蓮が君を助けたという事実だけでも心底驚いているし、不可解極まりない。不思議だ。アイツの目を引いた君に何かがあるんだろう」


 積み立てられていく言葉に、脳が回る。話題の回りくどさはあの二人とよく似ていた。


「要は、先生の方も私から色々聞いてみたい、と」

「そうとも言う」


 溜息が混じった私の応答に、先生は明るく返した。これが精一杯のユーモアなのだろう。好意的な解釈で、私は先生を見つめた。


「……では、私の方から質問をさせて頂いても?」


 私がそう尋ねると、先生は小さく首を縦に振った。


「くらみつはなめ、というのは、何なんでしょう」

「それそのままの名前を聞いたことはないが、『闇御津羽神クラミツハ』なら知っている。日本神話における神の名で、『闇淤加美神クラオカミ』と共に水神の性質を強く持つ神だ。以降は推測になるが……『くらみつはなめ』とは『闇御津羽神の娘』という意味合いを持っている可能性が高い」

「神様の娘?」

「巫女的な立場の人間と考えるのが妥当だろう。闇御津羽神は葦皐大神の中に組み込まれた一柱だ。葦皐神社に奉仕する巫女かもしれん。あそこは秘祭やら門外不出の古文書やらが多いからな。その中に何かしら鍵はあるかもしれない。まあ、何故それを怪異が探しているのか、というところがわからないが」


 樒から聞いた話を重ね合わせる。先生の言う『秘祭』だとかには心当たりがあった。葦皐神社は地域の人間だけが参加する神事が数多くある。その話を聞くに、彼や蓮達はこの街の出身者ではない。であれば、推測する以外に出来ることも無いのだろう。その理解をもってして、私は口を閉じた。


「私の知る限り、君の家系……立花家は葦皐神社の神事を取り仕切る一家の一つだったと思うが」

「そう、ですけど。でも、今は殆ど何も扱っていません。母がパートで事務とかを少しやっているくらいで。神社自体が観光産業として大きくなってしまいましたから、地域の人だけで管理できるものでもなくて」


 言い訳を垂らしていくと、先生は「そうか」と言って頬を掻いた。きっと、私が神社に興味を持っていれば、もっと色々とわかることもあるのだろう。けれど今の私には、「わからない」と言う以外出来ることは無かった。


「君が葦皐神社の巫女でもあれば、蓮が目を付けた理由にもなるんだがな」


 反射的に「え」と声が漏れた。咄嗟に口を抑えると、先生は一瞬だけ口角を上げて、舌を回した。


「蓮は広く怪異と呼ばれるものに対して、酷い鋭敏さを持っている。広義的怪異、即ちヒトの感情だとか、意識とも呼べるものにすらだ。そういったものは、一種の穢れでもある。そんな穢れを持たない神の寝床……要は、神域だとか、聖域だとか言われる場所だな。そういった所であれば、居心地が良いらしい。そして、そういった場所に仕える者に対しては、驚く程


 まるで野良猫について語るかのように、先生は呆れたような顔でそう語った。想像上の蓮でも撫でているのか、その手は柔らかく曲線を描いていた。


「懐く……ですか」

「あぁ、随分とその……甘えるんだ。気を許すというか、わがままを言うようになるというか」

「先生や、喫茶店の御婦人も、懐かれているんですね。とても」

「それは時間をかけた結果だろう。だが、君は違う」


 爪先で、デスクの隙間をリズム良く叩く。恐らくは無意識の癖なのだろうが、初対面の人間からすれば、威圧と思われても仕方が無いだろう。


「私の前で気を許してますかね、彼」

「私に対するような、懐いているとは少し違うかもしれない。そもそもアイツは目の前でヒトが怪異に襲われていようが、死のうが気にも留めない奴だ。それが助けた、というのが気になる。君、蓮と何処かで交流があったんじゃないか」


 随分と蓮は冷徹で非情な人間らしい。育ての親だという先生や、双子の弟である樒のように、彼を深く知っているだろう人間に限って、そういった判断をしている気がした。それが直接的に手を引いて助け出し、原因だろう人間を攻め立てに、行きたがらない学校にまで足を運んだのだ。彼らからすれば、異常以外の何物でもないだろう。

 だが、私からすれば、夜咲蓮はただ不器用なだけの優しい人間でしかない。その精神性の中身こそ秘匿されていて理解は出来ないが、私にしたことを考えれば、それ以外に言えることは無い。何処か別の場所で過去に出会っていたとしたら、私はあんな美貌の少年を忘れはしないだろう。それだけ彼は目立つ見目をしている。樒と同じパーツで出来ているだろうに、蓮の方は妙な存在感があった。


「蓮と話したのは、昨日が初めてなんです。同じクラスだということも、昨日、彼から言われて知りました」

「……教室に机とか、無いのか」

「あったとは……思うんですけど。ただ、それが誰だとかは、多分誰も知らないと思います」


 そうか。と先生は声を落とす。その表情はやや曇り気味なように見えた。親心というものを考えれば、蓮を気にかけているクラスメイトが一人もいないというのは、あまり良い気はしないだろう。

 けれど、蓮自身が学校に来ないのだから、無理も無い話である。あの美貌なのだから、教室に一度でも顔を出せば、男女隔てなく交流を持とうという生徒は多いだろう。考えてみれば、それが嫌なのかもしれない。蓮の今までの言動や、先生の行っていたヒトの感情に過敏であるということを踏まえれば、自分に感情をぶつけて来るだろう人間が多くいる場というのは、苦痛以外の何物でもないのではないか。


「まあ、何だ。私から、言いたいのは」


 目線をずらして、先生は言葉を選んでいた。その選別を私は静かに待っていた。先生が言いたいことは何となく理解していた。


「君が良ければ、蓮とは今後も交流を持って欲しい。今後のことを考えれば、アレには小さくとも、同世代との輪を持って欲しい。出来るなら君の友人なんかも紹介してもらいたい」

「私も友人は少ないですよ。女子が一人いるくらいで」

「それくらいがアイツには丁度良い。最近まで男三人で暮らして来たせいだろう。アイツは異性に対して緊張するケがある」


 初心、というか。と先生は腕を組んだ。

 そんな彼の左手薬指には、真新しい指輪が光って見えた。どうも何か、複雑な背景があるらしいことを、その輝きで理解する。


「それくらいでも、助けて下さったお返しになるなら、喜んで」


 考え付く全てを飲み混んで、私は口角を上げて見せた。意識的に眉を下げる。怪異だとか、そういった不明瞭なものへの不可解さは、未だ胃の上部で蠢いていた。それでも、彼等と付き合っていくのは、悪いことではないと直感でわかっていた。多分、今後も私は蓮や先生を頼ることになるだろう。何分、私の前に現れたあの焼け焦げた女は、樒曰く消えてはいないのだから。


「なら、蓮の連絡先を渡しておく。アイツには私から言っておくから、気兼ねなく連絡してやってくれ。そのうち、アイツの方から連絡することもあるだろう。良い返事をしてやってくれると助かる」


 そう言って、先生は手元を細かに滑らせた。授業用のプリントか何かの、その裏側に、彼は小さくアルファベットと数字を並べていた。

 その手が止まる頃、重たいチャイムが鳴った。それは大学の授業時間を報せるチャイムだったらしい。先生はハッと顔を上げると、慌ただしく鞄を拾い上げた。


「すまない、あとは適当に過ごして、適当に帰ってくれ! 冷房も電灯も点けたままで良い!」


 嵐のように去っていく彼の背を見つめながら、私は冷めた珈琲を啜った。

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