第60話 第六の騎士の門(8)

 幾日かそんな時間が過ぎたある日。

 座布団に座る幼女は、ドアの隙間から小さな男の子が覗いているのに気が付いた。


「何してるんだ?」

 男の子はドア越しに中の幼女に尋ねた。

「なにもしてないよ」

 幼女は座ったままつぶやいた。


「ふーん、で、お前、誰?」

「私? わたし……神さまらしいよ」

 そういうと、幼女は悲しそうに微笑む。


 それを聞いた男の子の表情はぱっと明るくなった。

「なら、じいちゃんを、お金持ちにして!」

 その言葉を聞いた瞬間、幼女はうつむき、膝の上に置いた両手をギュッと握りしめる。

 そして、先ほどよりももっと小さな声を絞り出すのだ。

「ごめんなさい……できないの……」


 どうやら小さな男の子は、そんな幼女の前に少ないながらも食べ物が手つかずのまま積まれていることが癇に障ったようで、ドアを開けるとズカズカと中へ入ってきた。

 そして、幼女の前の皿に盛られたお供え物をいきなり奪い取ると見下すように睨みつけはじめたのだ。

「お前、なんで食わないんだよ! 食えよ! そんなんだから、死にそうな目をしてるんだろう!」

「でも……」

 言葉を詰まらせる幼女。


 その様子にイラつく男の子は、皿のお供えものをつかみ取ると少女の口へと押し付けはじめた。

「いい加減に! 飯を食え!」

 だが、幼女は食べようとせず、拒み続ける。

「だって……私……何もできないし……」

 その、イジイジとした態度。

 カッチーン!

 ついに男の子がキレた。いや、すでにキレていたのかもしれないが。


「せっかくじいちゃんが自分の分をお前に食べさせようとしてるんだ!」 

 その言葉に幼女は、ハッとした。

 目の前に置かれていた食べ物は、権蔵の食べる分だったのか。

 それがいつも置かれているということは、権蔵はろくに食べていなかったのではないだろうか?

 いやもしかしたら、一日、食べられることもなく放置され腐りかけた食事を、権蔵は仕方なく食べていたのかもしれない。


「じいちゃんのためにもちゃんと食え!」

 ビン子に押し付けられたお供え物が、次々と床に転がっていく。

「……」

 幼女は、いつしか涙を流し始めていた。

 私は何もできない……

 それどころか、迷惑ばかりかけている……

 こんな私に生きている価値なんてあるの……

 そもそも、私はなんで生まれてきたの?


 お供え物で汚れた顔をそそむけつつ、ついに大声を上げ泣きわめきはじめた。

「もうやめて! 私には何もないの! 私は空っぽの人形なのヨ!」

「ふざけるな! お前は人形じゃない!」

「だったら何なのよ! 私は一体何なのよ! 名前すらないのに! 一体何なのよ!」

「お前、名前がないのか……」

「わからないの……なにも分からないの」

「じゃぁ、今日からお前は貧乏神のビン子だ!」

「貧乏神って……」

「ばかだな! ビン子! 貧乏神っていうのはな、貧乏を福に変えることができるスん~ゴ~イ神様なんだぞ! まさに超貧乏なウチにピッタリじゃないか!」

「……」

「だいたい、貧乏神がいたって、ウチはこれ以上貧乏になりえないしなwww」

「……私……ここにいていいのかな……」

「当たり前だろ! この状態で貧乏神がいなくなったら、マジで本当の貧乏のままになっちゃうじゃんwww」

「www」

「な、だから笑え! 飯食って笑え! 笑う門には福きたるっていうだろ!」


 突然、開け放たれたドアから権蔵が怒鳴った。

「このどアホ! ここには入るなといっとるじゃろうが! タカト! だいたい、神様に向かって何をしとんじゃ! このどアホが!」

「じいちゃん! どアホって2回も言ったなら!」

「どアホにどアホと言って、何が悪いんじゃ! このどアホ!」

 権蔵はタカトと呼ばれた男の子の首根っこをつかむと、引きずりながら部屋から出ていった。


 奥の部屋からタカトを連れ出した権蔵は、タカトを古びた机に座らせる。

 どうやら古びた机で権蔵とタカトは朝食をとるらしい。

 しかし、芋はタカトの前にしかなく、権蔵は、花の香りがする湯だけをすすっているだけだった。


 ガラガラ

 奥の部屋のドアがゆっくりと開いた。

 部屋の奥から金色の目にいっぱいの涙をたくわえた幼女が姿を現したのである。

 タカトが散らかしたお供え物を一つ一つ集めたのだろうか。その手には汚れたお供え物が丁寧にのせられた皿があった。


「一緒に、お食事をしてもよろしいですか?」


 幼女は、か細い声を絞り出す。その表情は、今にも泣きだしそうであった。

 しかし、驚いた権蔵は声が出ない。


「なんだビン子かよ、ここ座れよ。家族だろ!」

 タカトはビン子に目も合わせずそれとなく腰をずらした。

 というのもこのガキ、芋を食うのに夢中なのである。

 そんなタカトの横に人ひとり分のスペースが空いていた。

 ――家族……

 ビン子は小さくうなずくと、恐る恐るタカトの横に静かに腰かけた。

 ――私はここにいて……いいんだよね……

 タカトのそんなつっけんどうな行為であってもよほど嬉しかったのであろう。

 ビン子の目は、先ほどよりも少し嬉しそうに微笑み、キラキラとした涙をたたえていた。

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