第59話 第六の騎士の門(7)

 おそらく、体の傷は一時的にふさがっただけ。

 そのほとんどが完璧には治っていなかったのだろう。


 権蔵はすぐさま、小屋の奥に積まれた道具の山の中に頭を突っ込み何やら探し始めた。

「確か……エメラルダ様からもらった傷薬があったはず……」


 それは駐屯地を去る際に、エメラルダが餞別として渡してくれた超高級傷薬。

 売れば一本、おそらく金貨5枚50万円はくだらない一品である。

 その傷薬が7本。

 権蔵は、そのすべてを惜しげもなくタカトの体に塗りまくる。

 傷薬は体の表面の組織を活性化し傷を治すもの。

 おそらくこれでタカトの負った傷は大方直ることは間違いない。

 間違いないのだが……助かるかどうかは別問題なのである。


 そう、今のタカトは、生気が尽きかけているのだ。


 生気は命の源。

 生気が尽きれば命は尽きる。

 だが、傷薬では生気を補充することはできないのだ。

 まして、神のように命の石から生気を直接吸収するなどといった芸当は、当然ながら人間には不可能。

 あるとすれば、長い年月をかけて命の石から生気を染み出させた妙薬のみ。

 だが、そんな貴重な妙薬は、奴隷である権蔵の手元にはあるわけがない。

 いや、権蔵でなくとも誰も持っていないのだ。

 あるとすれば、それは最前線である駐屯地にほんの数本用意されているだけ。

 そんな貴重な妙薬を、いくら長年駐屯地で働いてきた権蔵といえども、わけてもらえるはずなどなかった。


 ――頑張れタカト……

 今の権蔵にできることは、タカトの生命力にかけることだけだった。

 ――お前は、必ず元気になる……必ず……

 権蔵はタカトの手をとり、しっかりと握りしめる。

 ――お前は、ワシの子じゃろ! なぁ、タカト!

 

 権蔵の側に座る幼女の目が震えていた。

 金色の目は神の証。

 ということは、この幼女は神である。

 ――おそらく、この小さき神がビン子なのじゃろう……


 だが、権蔵が知る未来から来たというビン子とは何か違っていた。

 ――本当にあのビン子なのか?

 ハリセンを振り回してタカトをどつきまくっていた、あのおてんば娘が、どこかはかなく弱々しい。

 馬鹿にされるとすぐにカチンときて自己主張をしまくる目が、うつろな瞳を潤ませている。

 いうなれば、それはただの人形のよう。

 まるで魂が抜け落ちた人形のように、少しでも放っておくとたちまち崩れてしまいそうであった。

 あの、殺虫剤をかけてもしぶとく決して絶対に死にそうにない未来のビン子がである。


 ――しかし、このままここにしておくわけにもいくまいて……

 一息ついた権蔵は、奥の部屋をビン子のために用意し、神として仰々しくもてなした。

 とはいえ、権蔵は休息奴隷で超貧乏。

 しかも、今まで二人を探し森の中をさまよい歩いていたため、ろくに仕事などしていなかった。

 そのため、神をもてなすといっても小汚い座布団の上に座っていただき、湯で戻した芋や干し肉をお供えした程度であった。

 それでも、今の権蔵にとっては精一杯のもてなしなのである。


 おそらく、これが普通の神であれば、その粗末なもてなしに憤慨して出ていくか、呪うかのどちらかであっただろう。

 ところが、ビン子は違った。

 座布団の上に申し訳なさそうに座ると、目の前のお供え物にすら手を付けようとしなかったのである。


「神様……せめて、何か口に入れてくださいじゃ……」

 権蔵が、それとなく食べ物の乗った皿をすすめるが、ビン子は悲しそうな笑顔を浮かべて首を振るだけだった。

「いいえ……大丈夫です……だって、私にはお返しするものが何もないですから……」


 ビン子は、もてなしの対価として権蔵を助けることも神の恩恵を授けることもできなかったのである。

 そう、今の彼女には記憶がなかったのだ。

 自分がどんな神で、どんな神の恩恵を持っているのか。

 それどころか、自分の名前すら思い出せなかったのである。

 だから、ビン子という名は本当の名前ではないのだ。


 それは、タカトがくれた名前。

 小さきタカトと小さきビン子の大切な絆なのである。

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