第1話 5

 わたしとイフューが暮らしてた森にある館より、ずっとずっと大きな建物だ。


 見上げていると首が痛くなりそうだ。


 入り口を探して歩いていると。


「――その瞳、その髪色、クレリア・アン・ブラドフォード様ですよね?」


 独りで歩くわたしに、息を切らせて声をかけてきた。


 走ってきたのか、額にはうっすら汗が浮かんでいる。


 陽光を思わせる暖かな金髪の少女。


 胸元の赤いリボンで、彼女もまた新入生なのだとわかる。


「は、はい。そ、そうですけど……」


 基本的にわたしは、人と話すのが苦手。


 それは余計な事を言うと殴られた孤児院で過ごしていた所為であり、人里から遠く離れた森の中で暮らしていたからでもある。


 イフューは学校に行って友達を作れなんて言ってたけど、この性格に加えて、この髪と目にまつわる逸話がついて回る限り、そんなのできっこないんじゃないかなって思う。


 声をかけられて、まず考えたのは……


 ――陰口だけじゃ我慢できない子が、直接イキり散らかしに来たのかな?


 と、いうもので。


 会話は苦手だけど、森で鍛えられて肉体言語は得意なわたし。


 イキられたなら、イキり返してやろうと、拳を握りしめたんだよね。


 ……けれど。


「ずっとお会いしたかった!」


 金髪の彼女が感極まったのか、目に涙を湛えてわたしの拳を両手で握る。


「――え、えっと。あな、あなたは?」


 なんとかそう言葉を絞り出すと。


「わたくしはルシータ・ソルディスと申します!」


 ずずいと顔を寄せてきて、青い瞳をきらめかせるルシータ。


「わ、わたしに会いたかったって……」


「はい! いえ、その……」


 と、勢いよく返事をしたものの、ルシータは不意に表情を曇らせて。


「ずっと、一目会ってお詫びしたいと思っていたのです」


「……お詫び?」


 初めて会った少女にお詫びされる理由がわからなくて、わたしは首をひねる。


 ――そんな時だ。


「――貴様、聖女様から離れろ!」


 いつの間に近づいてきたのか、制服姿の男子がわたしの肩を乱暴に掴んだ。


 ネクタイが赤だから、彼もまた同学年か。


 咄嗟の事で、わたしはそのまま地面に尻もちをついてしまう。


 それよりも。


「――せ、聖女!?」


 驚きの声をあげるわたしに、彼は嘲るように鼻を鳴らして。


「平民王女は、聖女様の名前すら知らないのか?」


 冷たい目で、地面に座るわたしを見下ろした。


「ソエル! 控えなさい!」


 ルシータが厳しい声で、男子生徒を叱責する。


「しかし聖女様!」


 反論しようとする彼を無視して、ルシータはわたしの手を掴んで。


「ああ、クレリア様。

 申し訳ありません。痛いところはありませんか?」


 わたしを助け起こして、申し訳無さそうに頭を下げる。


「い、いや……ルシータって、聖女なの?」


「今はもうその立場は返上したのですが……お詫びしたいのは、その件なのです」


「ふえ?」


 聖女と言えば、革命の立役者。


 いわばわたしの仇敵と言っても良い存在だ。


 けど、ルシータはソエルからわたしを庇い、心底申し訳なさそうにしている。


「幼かったとはいえ、わたくしの言葉足らずな発言が、クレリア様を苦しめることになってしまいました。

 本当に申し訳なく……」


「ど、どういうコト?」


「……実は――」


 そうして語られたのは、革命当時の彼女の事。


 百姓の家に生まれた彼女は、生まれつき魔道を見通す瞳を持っていたのだという。


 ――魔眼ってやつだね。


 イフューの授業で、そういう異能を持つ人が時々生まれてくるって教わった。


 ルシータはその異能によって荒廃した土地を癒やしている間に、聖女と崇められるようになってしまったみたい。


「土地を司る霊脈の乱れの中心が、王宮にあるなどと言ってしまった為に、みなさんは革命に出てしまったのです」


 折しもわたし――呪われた王女の話題が世間を騒がせていた頃だ。


 聖女の言葉が指すのは、わたしだと思われたわけね。


「女神達に誓って、わたくしはそんなつもりで発言したわけではないのですが……

 当時の幼いわたくしには、大人を説得する力がなく、結果としてクレリア様を不幸の身に堕とす事になってしまったのです」


 ルシータの懇願するような表情に気圧されながら、わたしは首をひねる。


「……つまり?」


「革命軍は勘違いによって、革命を起こしたのです!」


「――んな、アホなっ!」


 いや、考えてみればよ?


 わずか五歳の幼女を聖女なんて旗印に掲げてる時点で、革命軍は頭どうにかしてたのかも?


 ……ん~、本当はいろいろな政治的思惑もあったんでしょうけど。


「どれほどわたくしがクレリア様は、災いに無関係と申し上げても、大人達は聞き入れてもらえず……処刑を止めさせるのが精一杯だったのです」


 下手に殺したら、呪いが――ていうアレね。


 わたし、聖女は仇敵だと思っていたんだけどねぇ……


 涙を浮かべて必死に訴えるルシータを見てたら、怒りなんて霧散しちゃったよ。


「つまり、ルシータはわたしの命の恩人って事でしょう?」


 わたしはルシータの手を握り返して、優しく微笑む。


 彼女もまた、時代に流された被害者と言えなくもない。


 そんなルシータを恨むのは、わたし的にはなんか違うと思ったのよね。


「あなたは過去を後悔してて、わたしは謝罪を受け入れた。

 これでもう、このお話は終わり。

 それでどう?」


「――ク、クレリア様あああぁぁぁ!」


 と、ルシータはわたしの手にすがりついて、号泣し始めた。


「ちょ、ちょっと! やめて! そんな事したら……」


 成り行きを見守っていた周囲の生徒達が、ヒソヒソ話を始める。


 ――悪女が聖女を泣かせた。


 聞こえてくるのは、そんな声で。


 ――なんでこんな事に……


 入学早々、わたしは。


 聖女を泣かせた悪女という汚名を冠する事になって。


「――貴様っ! やはり魔女というのは本当らしいな!」


 ルシータの護衛のソエルに、ひどく嫌われる事になったのだった。


 ……あんたは近くで話聞いていたでしょうに。





 もちろん、ソエルにはちゃんと仕返ししたわ。


 気付かれないように、こっそりと足を踏んでやったもの!


 小指を踏まれて、ソエルはすごく痛そうにしてたけど、事故よ事故。


 つい躓いて、うっかり足を踏んじゃっただけだからねっ!


 復讐にしては、安いものでしょう?


 入学初日にすっかり有名になったわたしは、他の生徒からすっかり遠巻きにされてしまって。


 話しかけてくれるのは、ルシータとニィナのふたりだけになってしまったのよね……


 今では親友と言っても良いふたりだけど。


 ふたりの存在が、わたしを悩ませる原因になっているのは間違いないわ。


 ……イフュー、学園に行ったら友達がたくさんできるって、やっぱりウソじゃない!





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