使い魔は過保護
閑話1
――その少女は、身体をまるめて泣いていた。
幼く、ただでさえ小さな身体をさらに小さく縮こまらせて――零れそうになる泣き声を押し殺して。
すぐそばには、荒い息で彼女を見下ろす大人の男。
「――夕方までに、水汲みやっておけっつったろうが!」
男の容赦のない蹴りが少女に叩き込まれ、彼女はボールみたいに壁に叩きつけられる。
「ひっ……ひうぅ……」
床に墜ちた少女は、もはや身じろぎすらできない様子で、泣き声混じりの呼気を漏らすだけ。
窓から差し込む月明かりに照らされて、少女の丈の合っていない衣服から除く手足には、無数の痣があって……
……少女は、虐待されていた。
暴力は昨日今日、始まった事ではないのだろう。
男は床に転がった少女に歩み寄り、その真っ赤な髪を掴んで顔を上げさせる。
痩せこけた顔が顕になる。
紅と白のふたつの月明かりの下、涙に潤んで怯えた――紅い目が男を見上げた。
「言い付けを守らなかったんだから、おめえは今日、メシ抜きだ!」
叩きつけるように髪を離し、男は足音すら荒く部屋を出ていく。
乱暴にドアが閉められて、足音が遠ざかり。
それが十分聞こえなくなったところで、少女はよろよろと身体を起こした。
「……いたた……」
部屋の隅に、床に直接敷かれた布団に歩み寄り、少女は身体を横たえる。
「ちくしょう! むちゃくちゃしやがって!」
――あ、あれ?
部屋の外に声が漏れないように。
少女の声はひどく抑えられていて――それでいて鋭いものだった。
短い手足をジタバタさせながら、少女は梁が剥き出しになった天井――こちらにその深紅の目を向けて。
「――呪われろ! 五分に一度、足の小指ぶつける呪いにかかれ!」
などと舌っ足らずな声で、ひどく具体的で地味に嫌な呪詛を吐き出しはじめた彼女に、ボクはその印象を修正する。
年齢を差し引いて考えても、ひどく小柄で痩せっぽっち。
垂れ目がちな目元は、いまにも泣き出しそうに見えて。
……小動物のような印象を受けていたんだけどねぇ。
世代を経ていても、この子もまた魔女の末裔……ヒトごときの虐待で折れるような、ヤワな心をしていなかったってわけだね。
ボクは梁を蹴って、床に降り立つ。
音なんて立ててないはずだけど、彼女はすぐに気づいてこちらを見た。
「――ネコ?」
窓から差し込む月明かりの下で、少女――クレリアが小首を傾げた。
そう。
今のボクは本性であるクロネコ姿で、この孤児院に忍び込んでいる。
こっちの姿の方が、楽だしね。
「やあ、久しぶり。
――いや……君にとっては、はじめまして、かな?」
「しゃ、しゃべった!?」
驚いてのけぞるクレリアに、ボクは笑う。
「いいね。しばらくヒトと関わらずにいたからね。
そういう反応も久しぶりだ」
彼女のそばに歩み寄ると、彼女は不思議そうにボクの顔を覗き込んだ。
「あ、アンタ、なに?」
誰、じゃなく、なに――存在に対する問いかけだ。
いいね。
幼いながら、頭も悪くないようだ。
「ボクはこの国の守護貴属――魔女を支えるインターフェイスユニット……わかりやすく言うなら、使い魔かな?
イフューって、みんなは呼ぶよ」
「イフュー……魔女って、おとぎ話の?」
垂れ目がちな目を見開いて、クレリアは身を乗り出してくる。
「そ。興国の騎士王と共に風竜を倒したり、中興の女王と共に邪竜調伏したりした、あの魔女さ」
「……邪竜は魔女が生み出したんじゃないの?」
市井に出回っている絵本でも思い出したのか、不思議そうに首を傾げるクレリアに、ボクは苦笑して顔を洗う。
「そうだった。ヒトの世では、そういう事にしたんだったね」
「よくわからないけど、その魔女の使い魔が、なんでここに?」
「そりゃもちらん、君を助ける為なんだけど……」
「あたしを?」
クレリアは再び小首を傾げる。
そうか。
君は幼すぎて、なにも知らされずにここまで育ったんだね。
「……君、自分の両親を覚えてる? 住んでたトコとか」
彼女が五歳の頃の事。
今から二年前の事だから、少しくらい覚えてると思うんだけど。
ボクの問いに、クレリアは腕組みして首をひねる。
「……ん~、あんまり覚えてないんだけど、なんかキラキラしてた感じ。
あと、これは夢かもしれないけど、すごく広い――お城みたいなトコに住んでたような……」
……ふむ。
「正解。
君はね、ブラドフォード王家の――お姫様だったのさ」
「は? はあ!?」
「今の君にアレコレ説明しても、むつかしくてわからないと思うけどね。
革命が起きて、前の王様やお妃様――君の両親は囚われの身になったんだ」
まあ、この辺りはクレリアが理解できるようになってから、改めて説明すべきかな。
「……あ、あのね、イフュー。
あたし、夢で時々、すごく怖い顔した人達に、『魔女』とか『悪女』って怒鳴られるんだけど……じゃあ、アレも夢じゃなく?」
……ああ、そんな事があったのか……
しばらく平穏が続くと思って、休眠モードに入っていたのが悔やまれるね。
わずか五歳の子供に、大人達が寄ってたかって罵る光景を想像して……ボクは胸がムカムカしてきたよ。
ボクが応えられずに目を伏せると。
「……そうなんだ」
それだけで彼女は――やっぱり賢いんだろうね――それが現実にあった事なのだと理解したようだ。
「……先生達もあたしの事を時々そう呼ぶから、本当にあったことなんじゃないかなって、ずっと思ってたんだ……」
彼女はそう言って、顔をうつむかせた。
「……クレリア……」
思わずボクは、彼女の膝に前足を乗せて、その顔を覗き込む。
……って、アレ?
「――くふふ……」
彼女は笑っていた。
まるで宝物でも見つけたように、深紅の瞳をキラキラと輝かせて。
「ク、クレリア?」
ボクが再度、彼女の名前を呼ぶと。
「……ならさ、やり返しても良いよね?」
ボソリと、不穏当な事を呟く。
「……先生が、あの人達が――あたしを魔女と呼ぶのなら。
あたしは本当の本当に魔女になって、やり返したって良いよね?」
「え? ええ!?」
驚くボクを、クレリアは抱えあげる。
「イフューは魔女の使い魔なんでしょ?
あたしに魔法を教えて!」
「ま、魔道は元々教えるつもりだったけど……ええぇ?」
ボクの気持ちがわかるかな?
仔猫を助けたつもりが、実は虎の仔だった――みたいな?
そんなボクの内心なんて露知らず、クレリアはボクを抱き上げたまま、布団の上に仁王立ちになって拳を突き上げる。
「見てろ、クソども!
魔女になって、ひどい目に合わせてやる!」
ああ、うん……
「まずは言葉遣いを直すトコからかな……」
クレリアの教育方針を修正しながら、ボクは思わずため息。
他の事は、おいおい教えていけば良いだろう。
なんだかんだ言って、クレリアはやっぱり彼女達の子孫なんだ。
――理不尽をねじ伏せる理不尽。
魔女の在り方ってのを、本能的によくわかってるみたいだ。
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