第7話:閉架書庫内、特別閲覧室
昇りきった坂の上に、市立雨花図書館はあった。周囲がちょっとした自然公園になっていて、図書館自体も中々立派な建物だ。いかにこの雨花市が財政的に潤っているかが窺える。
平日の夕方だというのに、結構な数の人が出入りしている。
「結構、利用者多いんですね」
俺がそう部長へと話し掛けると、彼女が頷く。
「社会人も利用しやすいように二十時まで開いているからね。蔵書も多いし、中々使える図書館だよ」
「あたしは初めて来た!」
「俺も……」
図書館に行くなんていうイベントは俺の人生にはなかった。なかったはずだ。
「やれやれ。読書は人生の彩りだぞ? もう少し本を読みたまえ」
呆れたような声を出しながら、部長が図書館の入口からエントランスへと抜けていく。自動扉の向こうには吹き抜けになった広い空間が広がっていて、左側に貸し出しカウンターがある。右手には階段があり、二階部分へと繋がっていた。
部長は階段へとまっすぐに向かっていく。
「一階は子供向けや一般文芸の書籍しかない。それらには用事はないから上だ」
その言葉に納得し、俺と射手川が頷いた。
「なんか図書館ってドキドキするね! 不思議な匂いがするし」
射手川の言葉に俺も同意する。非日常って感じがするな、ここは。
「なんかその気持ち分かるよ」
「だよねー」
二階に上がった部長がそんな俺達を見て、溜息をつく。
「全く……たかが図書館で浮かれすぎだ。だけどもまあ、図書館独特のインクの匂いは確かに私も嫌いじゃない」
「へー、インクの匂いなんだ。ここで呼吸してたら肺が黒くなりそう」
「いやそれ怖いな」
「そんなわけあるか。さて、歴史や風土については……あっちか」
部長が棚に貼ってあった案内板を見て、通路へと入っていった。これまでの人生で手に取ったこともない、そしておそらくこの先も取ることはないだろう分厚い本達が並んでいる間を進むと、上の方に、〝歴史〟という金属板の貼ってある棚へと辿り付いた。
「ふむ……この雨花市や島の歴史について書かれていそうなものは……」
部長がそう呟いたので、俺と射手川もそれらしき本を探す。
しかしあるのは、いわゆる一般的な歴史書やそれに纏わる書籍ばかりで、ピンポイントでこの土地の歴史を記していそうなものはなかった。
「うーん。念の為にと思ったがやはりないか」
「司書さんに聞いてみます?」
二階に、司書さんが待機しているカウンターがあったと、確かあの案内板に書いてあったな。
「すんなり教えてくれるかどうか」
「どういう意味です?」
そう俺が聞くと、部長が肩をすくめた。
「行けば分かる」
部長を先頭に階段の反対側にあるカウンターへ行くと、司書らしき女性が座っていた。何やら事務仕事をしていて、視線を手元の書類へと落としている。
「すみません。
部長の声でその司書さんが顔を上げた。銀縁の眼鏡の奥にある目で、部長とその横に立つ俺を交互に見つめた。
「……残念ながら、そういった類いのものは――」
そっけない態度で司書さんがそう答えている途中で、俺の部長の間から射手川が顔を出した。
そしてニコリと笑うと、少し声を潜めてこう言ったのだった。
「あ、私……
それを聞いた途端、司書さんが目を見開いた。
「か、かしこまりました! 閉架書庫の方に特別閲覧室がございますのでそちらにどうぞ!」
そんな言葉と共に、司書さんが慌ててカウンターから出て、その横にある扉へと鍵を差した。
いや今、しれっと嘘をつきましたよね、射手川さん。
女って怖っ。
あれ、そういえば、ミコがどうのって前も聞いたことがあるな……。
「どうぞこちらへ」
司書さんの案内で、扉の先へと射手川を先頭に入っていく。
「シロミコ……ねえ。何の符丁なんだか」
部長が俺にだけ聞こえる声でそう囁いてくる。
そう、その言葉で司書さんが態度を急変させた。
つまり、それにはそれだけの力があるということだ。
ない、と言われたものが出てくるぐらいには。
「へえ、閉架書庫ってこんな感じなんだ。なんか暗いし、ちょっと怖いかも」
射手川の言うように、案内された先は薄暗く、ここまでに見た書庫とは全く雰囲気が違う。
変な言い方かもしれないが、何か妙に物々しい。
「こちらでお待ちください」
司書さんが手を向けた先にはちょっとしたスペースになっていて、椅子とテーブルが用意されていた。
そこに俺達が座って待っていると、司書さんが数冊の本を持ってきた。
比較的新しい装丁のものもあれば、手作り感溢れる古いものまであるが、どれもどこか陰鬱した表紙になっている。
「全て
そんな言葉と共に、司書さんが白い手袋を人数分テーブルの上へと置いた。
「ふむ。記憶して、のちにそれを書き記しのはセーフってことですか?」
部長がそう聞くと、司書さんが困ったような笑みを浮かべる。
「ここを出たあとの行動は規制できませんから……それでは、何かあればお呼びください。帰られる際は、書物はそのままで結構です。手袋だけ、カウンターでご返却ください」
そう告げて去っていく司書さんの背を見ている間に、部長が早速とばかりに手袋をつけ、それぞれの本へと手を伸ばし、パラパラと目を通していく。でもその顔にはなぜか歓喜ではなく、何かの痛みに耐えているような、そんな表情が浮かんでいた。
もっと……喜びそうなものなのに。
「結果論だが、渚君を連れてきて正解だったな。まさかこんなにあっさり資料に辿り着けるとはね」
部長がそう言って、最も古そうな本を本格的に読み始めた。
「でしょ~? でも柳田先輩、そもそも何を調べたいんです? あんな小さな島、調べてもつまらないと思うんですけど」
射手川がそう聞くと、部長が顔を上げずに答える。
「もちろん――
「あれってただのおとぎ話ですよ? まさか先輩、人魚の血がどうのって話を信じているんですか?」
「それが本当におとぎ話かどうかを判断するのは私だよ。君達はそっちの新しいやつを読んでくれ。読書しない君らでも読めるレベルのはずだ」
部長がそう言うので、俺は射手川と頷き合って、それぞれ違う本へと手を伸ばした。
俺が手に取ったのは、暗い海の底を思わせるような表紙の本で、そこにシンプルに――〝落つる星の島、
なぜか著者の部分が黒く塗り潰されている。それだけで何か不吉なものを感じさせた。
ざっと読むと、それは
やたらと出てくるのは、〝オンネ様〟と呼ばれるよく分からない神様だ。一方では星の神と書かれているのに、もう一方では海の神となっている。星と海ではかなり違う気がするんだが……。
だけども、確かなことは一つある。オンネ様という単語を目にした時、何か立ちくらみのような感覚に襲われた。ということは、もしかしたら俺の記憶に何か関係があるものなのかもしれない。
俺はそっと部長と射手川の様子を観察する。
部長は真剣な様子で読みふけっている。どこか鬼気迫る雰囲気さえ感じるほどだ。
一方で射手川は、なんとなくで読んでいる感じで退屈そうだ。
まあ彼女からすれば、島の歴史なんて当然知っていることだろうから、退屈なのだろう。
「ん?」
俺は強烈な違和感を覚えて、つい声を出してしまう。
「どうした海色君」
「あ、いえ。なんでもないです」
「そうか。あとで色々と聞くからしっかり読んでおいてくれ。君もだぞ、渚君」
「は~い」
「了解です」
二人が再び本へと視線を落としたので、俺は先ほどの違和感の正体を探る。
なんで、さっき俺は――射手川が島の歴史を知っている前提で思考していたのだろうか。
高校生で、自分の生まれ育った街の歴史を知っているやつって大多数ではない気がする。せいぜい、同じ都道府県出身の武将や偉人のことを知っているぐらいだろう。
だけども、俺は確信を持っている。射手川は島の歴史に詳しいはずだ。
なぜそう確信できるのかが、分からない。分からないのに、知っているということは……間違いなく俺の失われた記憶と関係しているに違いない。
幼い頃にそういう歴史の話を彼女の口から聞いたのか……?
なんてことを考えているうちにあっという間に時間が過ぎた。
部長が、パタンと本を閉じる音で、俺と射手川が顔を上げる。
「めぼしいのは大体の読めた。そちらは」
「読みました~」
「とりあえずこの一冊は」
俺達の言葉に部長が頷く。その顔には、明確に何かを悟ったような表情が浮かんでいる。諦め、という感情が透けて見える。
「なら意見交換をしよう。部外者である私と海色君でまずは始めるから、島民である渚君は何か補足や訂正があるならその都度口を出してくれて構わない」
「了解でーす」
気楽そうな声を出してニコニコ笑う射手川を見て、部長が再び口を開いた。
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