第5話:両手に薔薇
それは――射手川だった。
相変わらずニコニコしているが、その視線はまっすぐに俺を射貫いている。なぜ、彼女がここに。
「やっほー、みー君。そしてこんにちは、柳田先輩。何の用って、もちろん……
「へ? 転部?」
どういうこと? それってつまり、射手川もこのオカルト部に入るってことか?
「……私は何も聞いていないが」
部長の声が若干尖って聞こえる。
「顧問には話を通していますよ? ほら、これ」
射手川が笑顔のまま、一枚の紙を俺達に見せ付けた。それは転部届けで、確かに顧問の先生の名前と判が押されていた。
「やられた」
部長が小さくそう吐き捨てた。
「えっと……いや、なんでここに? 射手川は確かテニス部だったろ。しかもエースだって」
それぐらいの情報は流石の俺でも知っている。一年にして既にレギュラーだとか、佐々木が言っていたのを覚えていた。
「なんでって……そりゃあもちろん、みー君と仲良くするためだけど?」
当然とばかりに、射手川がそう言ってくる。
そういうあまりにストレートすぎるアプローチは、恋愛経験がないせいで、どう反応したらいいか全然わからん。
だから、スッと部長が前へと出た。
「みー君、ね。随分と親しげじゃないか、海色君。君は彼女をなんて呼んでいるんだい?」
部長が冷たい視線を俺へと送ってくる。いやいや、あんたは事情を知っているでしょうが!
「みー君は、あたしのことを、〝なぎちゃん〟って呼んでたよね?」
その言葉で、頭に痛みが走る。ああ……なぎちゃん……。その言葉はまるで、海の底から湧いた小さな気泡のように、俺の記憶の表面に出てきて、弾けた。
〝なぎちゃん、また神社に行くの? 僕、あそこ怖いからイヤなんだけど……〟
〝大丈夫! みー君は、
そうだ……確かに俺には、なぎちゃんと呼んでいた幼馴染みがいたはずだ。少しだけだが、記憶が戻った気がする。
でもやはり、顔も何も覚えておらず、それが目の前の射手川と結びつかない。
「君達の呼び名はどうでもいい。私と彼は今からフィールドワークに行くので、君の転部云々については後日だ」
「自分で聞いといて……。でもフィールドワーク? なんだか楽しそうですね! あたしも行きます!」
射手川がそうはしゃいだ声を出す。見れば、横で部長が苦虫をどんぶり一杯食べさせられたかのような表情を浮かべている。
「君を連れていくとは一言も言っていないのだが?」
「部活動なら、部員がついていくのは当然だと思いますけど? それとも部活動と偽って、なんかやらしいことでもする気ですか~?」
悪戯っぽい笑みを浮かべた射手川に、あの部長が珍しく押されている。
「なぜバレた」
「いや、否定してくださいよ!」
思わずそう叫んでしまう。なぜバレた、じゃねえよ。
「やっぱり~。ダメですよ~そういうのは。顧問の先生にあたしがチクったら、部活動自粛になっちゃうかも」
「ちっ」
「あ、舌打ちした~」
「せっかくの楽しいデートが」
だからデートじゃねえって。
「ふふふ。いいじゃないですか、三人で仲良くデートしましょ? それに島のことを調べるなら、島民がいた方が多分捗りますよ?」
だからデートじゃないってば!
なんて叫んだところで、既に無駄なことを俺はもう悟っていた。
「それは一理あるが……はあ……まあいい。好きにしたまえ」
ついにあの部長が折れた。すげえな、射手川。
「じゃあ、早速行きましょう! って何処にいくんでしたっけ?」
小さく首を傾げる射手川を見て、部長が再び深いため息をついた。
「こういう手合いは苦手なんだよ。任せたぞ、
そう言って――部長は、俺の右腕に手を絡めたのだった。
なぜかその言葉、その行動で、再び頭に痛みが走る。
なんだ……? 今のは……何に反応した?
「あ、ズルい! じゃあこっちの腕はあたしが」
今度は射手川が俺の左腕と体の間に自分の腕を滑り込ませてきた。
「両手に花だな、海色君。羨ましいねえ」
部長が心にもないことを言いつつ眼鏡の奥でスッと目を細めた。
その目付き、怖いからやめてほしいんですが。
「片方は
「それはどういう意味だ、渚君」
部長がその絶対零度の視線を射手川へと向ける。
「さあ?」
なんでもいいけど、俺を挟んで険悪な会話をするのはやめろ! 言われたら両腕ともチクチクしてる気がするだろ!
「いや、つーかこの状態じゃそもそもドアから出られないんだが」
というか単純に歩きづらい。それにこの二人、わざと俺の腕に胸を押し当てていやがる。どちらも平均以上の大きさがあるせいで、気付かない振りをしないと理性が吹っ飛びそうだ。
「乃碧先輩、お先にどうぞ。
「なに、レディファーストの精神で、渚君を先に行かせてあげよう。安全そうならそのあとに海色君とついていくよ。君がレディかはさておくとして」
「中世の貴族仕草じゃん、それ! ドアの向こうに暗殺者とかいないですからね?」
「ほう? 頭悪そうな顔と胸のわりに、それなりに教養はあるようだ」
「見た目とバストの大きさで頭の良し悪しを判断する方が馬鹿っぽいですよ」
頼む.……そういう殴り合いは俺のいないところでやってくれ……!
「これじゃあいつまで経っても話が進まないな」
「ですね」
なんて言って、二人が同時に腕を離した。
でもまだ何となく、柔らかい感触が腕に残っていて、ちょっとだけ名残惜しい。
「ほら、行くぞ海色君。いい加減、そのだらしなく緩んだ顔を引き締めたまえ。そんなに美少女二人によるおっぱいサンドが嬉しかったかね」
「みー君ってば、エッチだねえ。健全、健全」
「な、ななな、誤解だ!」
おっぱいサンドってなんだよ!
なんて心の中で、叫んでいるうちに、部長と射手川はさっさと部室から出ていってしまったのだった。
「俺、もう帰りたい……」
そう呟くも、当然、それが許されるわけもなかった。
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