第2話 おじいさんの正体

 わしら? どうして複数形? 私も?


「ミサキちゃんに会いたくてここに来るんかもな」


「誰ですか?」


「初恋の子さ。まあ、妻はもう数年前に他界してるけども。どうせなら妻を懐かしめって思うてる?」


 おじいさんは一人でニヤニヤ笑いだした。すると、雲行きが怪しくなって黒い雲が流れてきた。


「降ってきたかな。あ、ゴマだ」


 雨じゃなくて、黒ごまが。あ、白ごまもある。


「ドーナツにかけてみてはどうか?」


「チョコゴマドーナツになるじゃないですか?」


 おじいさんは思案して、「何ドーナツにするんじゃ?」とにんまり微笑んだ。


「え、そうですね。やっぱりミスタードーナツみたいなエンゼルフレンチとかも好きだし、ノーマルにカスタードとか」


 おじいさんは怪訝そうな顔で私を見つめる。まずいことでも言ったかな。


「でも、ココナッツチョコレートも」


「ココナッツなら、そこにもあるな」


 ミスタードーナツのココナッツチョコレートはチョコレート生地に白い刻まれたココナッツがかかっている。あれは、はじめて見たときはみんなシュガーだと思う。でも、シュガーがかかっているのはシュガーレイズドの方。




 マサヒコのさっぱりした笑顔と、中が半分溶けかけたココナッツチョコレート。真夏に買ったドーナツはすぐに湿ってしまった。私がドーナツを買って喜ぶとマサヒコはインスタ映えするご当地グルメでも一緒に食ってくれればいいのにとぼやく。


 あんなクズ、スイーツの何を知ってるのか!?




 ここは、どんなお菓子でも生えて来るんだろうか? でも、ドーナツがいい。マサヒコはあまり好きではないドーナツ。マサヒコをドーナツに見立てて食べてやるの。


 


 おじいさんはほらあそこと、土手の小さな川を指さした。ココナッツは川になって流れているというよりは砂のようになってうごめいている。

 それを手ですくってドーナツにふりかける。


「満足したかい?」


「食べたら満足するかも」


「いいや、君はおそらく満足しないね」

「どうして?」

 

 ゴマの雨粒が止んだ。少し冷えてきた。鳥の鳴き声を内包して、夕闇が迫っている。


 その鳥はカラスだった。黒いチョコレートでできたカラス。


「ミサキちゃんの話をしよう」


 おじいさんの言うミサキちゃんは大学生だそうだ。初恋の相手が大学生って、なかなか恋に奥手なおじいさんなのだろうか。




 唐突に始まったミサキちゃんの話。私にはさっぱり分からない。ミサキちゃんはニキビがたくさんできるからチョコレートが嫌い。美味しいけれど食べると必ず翌日には額にもほっぺにも、顎にもニキビができてしまう。バドミントン部のミサキちゃんは、ストロベリーリングを食べる。ミスタードーナツを部活の帰りに買う。ストロベリーリングとニキビの関係性は分からないそうだ。

 

 私はココナッツチョコレートをほうばって、おじいさんの話は適当に聞き流した。


「ミサキちゃんは、嘘が好きだった」

「へー」

「正確には人を騙す気は全くなく、息をするように嘘を吐き、誰よりも寂しがりやだった」


 おじいさんから見た主観でしょ?

 足元からドーナツがポコポコ芽生えてくる。チョコレート生地、いちご生地が生えてくるところに行こう……。土がピンクになっているところを探す。あったあった。ここは、田んぼ? 植えられている稲は緑の砂糖菓子。

 

「どこへ行っても生えてくるぞ? ここは、感情が菓子になって芽生えてくる空間だからのう」


「まさか、私が逃げてるって言いたいの?」

「そうとは言わん。君とわしとは違う。かなりな」


 そりゃ、違いはたくさんありそうだけど。年齢、そもそもここにいる理由。


「じゃあ、今のおじいさんの感情は? 何が芽生えてるんです?」


「……慕情」


「え? 今でもミサキちゃんを?」


 おじいさんは突然私の手を握った! ちょっと気持ち悪い!


 足元の土からもこもこと『慕情』が芽生えてくる! それは、どろとろのはちみつのかかったドーナツ。土の色も突然透明感溢れる白に変わった。オールドファッションハニーのドーナツは、香ばしさとはちみつの甘さが特徴的だ。


「君の持つどろどろの感情と似ているが、わしのは。君のは忘れたいけれど忘れたくないという複雑な感情……違うかい?」

 

 確かにマサヒコのことを考えるとココナッツチョコレートのドーナツばかり芽生えてくる。怒り、憎しみ、落胆、綺麗サッパリ忘れたいのに。


「わしの知っているミサキちゃんとも違うようだ」


「へ?」


「わしのことはすぐに忘れただろう?」


「何のこと? おじいさんなんて知らない」


「そりゃそうだろうな。ここは失った人を忍んで集まり合うおかしな村だからのう」


「今、お菓子とかけました?」


 私のすっとぼけにおじいさんは顔色を悪くした。


「わしはもう何年もここに閉じ込められている。閉じ込められたときは君と同い年だった」


「え? どういうことですか?」


「妻もここで結ばれ、妻とはここで死別した。ここなら、妻も菓子になって成仏するはず」


「それって……」



「君はずるいよ」


 おじいさんは私を非難する目で見つめてきた。おじいさんとは初対面のはずなのに、どうしてそんな顔をされないといけないの? 私はむしゃくしゃして地面から芽生えたドーナツを手に取る。あ、でもこれはおじいさんの慕情のオールドファッションハニーだ。


「君がうつつを抜かすマサヒコとの仲を取り持ったのはわしなのに」


 え?


 待って、それって。トシキ? おじいさん……あなたトシキなの?


「待って……今何年経ってるの!?」


 おじいさんは顔をしわしわにして苦笑する。やめて、そんな悲痛な目で見ないで。私は……ミサキだけど、そんな名前とっくに捨てた。人違いよ。


 私は、マサヒコのために全部捨てちゃったんだから。マサヒコと遊ぶためにバイトに行き、マサヒコに見合う女になるために学校で勉強して。マサヒコが、勉強なんかやらなくていいと言えば、翌日に学校をやめた。マサヒコがミサキって名前が可愛くないって言えば、別の名前を名乗った。それがキャバクラ嬢みたいだとウケたから、それからずっと私の名前はマナ。マサヒコの色に染まった私は、本来の私からどんどん離れていく。離れるほどにマサヒコは私を見つめる。それが嬉しかった。


 マサヒコは、私にある日突然飽きた。私もマサヒコに飽きた。マサヒコが私から離れていく。隣りにいるのに遠い。常に隣りにいるのに私はマサヒコにうんざりした。マサヒコも何かと私にいちゃもんをつけてきた。


 だけど、私達は離れられない。マサヒコの引き立て役として私は必要不可欠で、自分を捨てることでした私を表現できない私もマサヒコから離れられない。全てはマサヒコのために捨ててきた……。


 トシキは……私を遠くから見ていた。あるときは階段の踊り場からマサヒコに肩から手を回された私はトシキを無視してリズムよく階段を降りる。それが私達の学校というステージ上での輝ける舞台だった。


 小さくなって見えたトシキが何を考えていたのかは分からない。トシキは毎日退屈していた私に面白い隣のクラスの奴を紹介してやるよと、マサヒコを紹介してくれたんだっけ? もう、最初の出会いは覚えていない。三年間の学生生活で、一年生のときのことはほとんど覚えていない。私は女友だちがいなかった。男ばかり。同時に、この中で一番の男を捕まえれば、女子の私を見る目も変わるだろうと思った……。



 


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