命の音を耳にするまで

晩ノ浦 大成

プロローグ

ー無音ー

 的を矢で射抜く音の波紋

 早朝、雲を透ける陽に照らされた静かな森の中

 ハスやアンモビウムの花が咲き並ぶ

 響き渡るは心洗われる音

 森の動物たちも細胞一つ一つから喜んでいる

 穏やかな音


鳴っているのは男が毎日の朝の習慣にしている[108射]の音だ。

たった一人、森の中で弓を引く。そして次が本日の三十六射目である。


  ー2025年11月2日 7:52ー


 一点を穿つ

 そう狙いを定めて弓を引くこの瞬間は世界を感じる。そして世界には僕以外のものは存在していない。この孤独感が堪らなくすきだ。


 弦から手を離した瞬間に矢はすぐさま放たれる。だけれども今日のこの弓引きだけは手を放した瞬間に残る感触に違和感があった。放たれた矢はいつもなら瞬く間に肉食獣のように一点の獲物を狙う。そのはずがまたここでも違和感を抱く。一瞬の出来事であると頭ではわかっているが矢が空中で止まったように感じとり、まるでその一瞬が数百時間にもおよぶ世界時間の停止のように感じてしまった。

 奇妙な感覚が終わると意外と呆気なくただの長く短い一瞬であったかのように思えた。


 矢が的に吸い込まれる

  キィ、キィ――――

  ッポン!

 かつて影二えいじが一度だけ聞いた二度と聞きたくないイヤな音と、的に矢が刺さる音である。前者の音は影二の心の中で波紋のように広がり、的を射る音は木霊するように信州上田、菅平の早朝の山奥中に響く。このとき、酩酊状態に陥り、立っていることすら困難。そんな状態のなか一度瞬きして一言漏らす。

「は?」

と。

 咄嗟の出来事に出た一言だ。それもそのはずだろう。今いる場所はさっきまでいた翠が青々とした日本の自然を象徴するような空間に包まれる弓道場ではなく、街中のコンクリートに覆われた全く知らない弓道場に立っているのだから。いや、全く知らないというのは少し間違っているだろうか。

 二十個ほどの小分けにされた小さなロッカー、賞状の数々、ホワイトボードに書かれた全国出場の文字。

 なんとそこは影二が高校時代に部活で使っていた学校設営の弓道場であった。


  ー20XX年X月X日 7:52ー


 そこには毎日嫌というほど練習をし、飽きるくらい見た弓道場の光景がある。

『自宅の弓道場にいたはずなのに何でこんな所にいるんだ?』

 頭の中が疑問符でいっぱいになっていると隣から聞き覚えのあるイケメン臭い声がする。

「何ぼーっと立ってんだ!片付け手伝えよ。てか見たこともないような苦い顔すんな」

 そう呼びかけたのは高校時代に同じ部活で仲がよかった中条煌輝なかじょうこうきだ。朝練の片付けを手伝えとのお達しだ。あのこと以来自分を閉ざし、山に籠っていたので影二はがわからなくなっており、おどおどとしている。そして今が朝練の片付け以外はどういう状況かわからないため返事よりも先に状況の整理を優先させた。

 ちなみに影二は長野県上田市の中心にある上田高校出身であり、そこは校門が有名な高校だ。有名な理由としては正門が古城の門と呼ばれ、戦国時代に実際に使われた歴史的な門である。

『場所は上田高校の弓道場、周りには煌輝をはじめとした同級生の弓道部、南澤千春みなみさわちはるや一ノ瀬緑いちのせみどりなどの後輩たち、時間は8:00少し前、着ているものは高校時代の弓道部ジャージ。ここから考えられる可能性は二つだ。

 ① 今現在、走馬灯を見ている

 ② 過去にタイムリープしている

 僕はあの弓道場にたった一人でいたため、万が一のようなことが起こっていたとしても死ぬような場面にあっていないだろう。そして走馬灯は観れるだけのものであり、話しかけられることはない。だから①の可能性はないな。だとしたら②になるわけだがあまりにも非現実的すぎる。でもこれ以外は考えつかないし、おそらく可能性が1番高いのは②であるだろう。タイムリープをしたとしたら何がトリガーだろうか?的を射たことだろうか?』

と、影二は子供の頃から考えることが得意な上に好きで頭が良かったので短時間で解答にたどり着いた。

 そして、同級生と一つ下の後輩が部活に参加していることと、近くにある×印の入ったカレンダーより今日が高二の11月2日の月曜日であることに気づく…


――こうして影二の短く永い数日間が始まった

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