1-13 イゼルとビサンド2
「ふ、ふざけやがって! 昨日までガタガタ震えて丸まってたやつが!」
もとより侯爵から目を掛けられていたセインは、それまではイゼルやビサンドよりもいい部屋を使っていたし、家庭教師も専属だった。
そういった妬みと、侯爵の関心が妹に逸れたこと、そして最後の砦だったばあやを失ったこと、いろいろ重なっての今の状況だった。
元来、セインの人となりは優しい母親と、温和なばあやに少し甘やかされて育ったため、人が良すぎるところがあり、いささか気が弱いことも重なって、彼らの恰好の餌食になっていた。
最近ようやく札づくりに参加できるようになったビサンドは、少し天狗になっていた。ビサンドは、もともとイゼルを子分のように扱っており、セインのことも子分の子分くらいにしか思ってなかった。そんな時、ベンやイゼルから、最近セインが生意気だと報告を受けた。ちょっとだけ気が大きくなっていたビサンドは、ここはひとつ兄貴として弟分をシメておこうとでも思ったのかもしれない。
ところで、今更ながら二人のお付きの召使はというと、この件には我関せずといった感じで後方に控えている。
「おまえ、セイン! よくも訓練にこなかったな」
ビサンドの手前もあってか、イゼルはいつもより居丈高だった。舐められたままでは恰好が付かないと思ったのだろうか、勢いのままにセインの胸倉をつかむ。
イゼルの肘がテーブルのお盆に当たって、けたたましい音とともに落ちる。
「イゼル。物は壊すな、後で面倒だ」
「あっ、す、すみません。だけど、こいつが……!」
ビサンドに叱られて、さっきの勢いはどこへやらイゼルが小さくなる。もちろん、その不満もプラスされて、それはすべてセインに向かった。
もちろんセインも、態度ほど冷静ではなかった。
実際、身体はガチガチに緊張してるし、襟を掴まれたときは思わず情けない声が出た。それでもぐっとこらえてポーカーフェイスを崩さなかった。
身体に染み付いた彼らに対する無意識の恐怖。油断すれば、すぐにでもうずくまって許しを請いそうになる、条件反射のごとく擦りこまれた敗北のポーズだ。
それさえすれば、イゼルは満足するとわかっていた。少し我慢すれば、嵐は過ぎ去ると。
そういった妥協が、やがてセインに負け犬根性を根付かせてしまった。
――そうはいっても、これまでの「セイン」を情けないと責めるのは違う。身体の小さな、それも一番年下の弟を、こんな風に虐げる奴が絶対に悪いに決まっている!
セインは胸倉を掴むイゼルの手を勢いよく払いのけた。
つもりだったが、二つだけしか違わないはずのイゼルの手首はセインよりも一回り太かった。
「痛った! こいつ、俺の手を叩きやがった」
――そっちが痛いわけないだろ! こっちの手首が変な音したくらいだぞ。
文句の一つも言いたかったが、セインの首元は締まっているため、満足に声が出なかった。イゼルは怒りに任せて袂を掴んだまま、セインの身体を勢いよく振り回した。なんとか抵抗しようと試みたが、それこそ力の出ない体制で身動きさえままらない。
その最中、セインの前合わせの服の襟元から、弾みで何かがポトリと地面に落ちた。
「ん? なんだこれ……人形、か?」
胸元にしまってあった形代が、イゼルに乱暴に襟を掴まれたせいで飛び出してしまったのだ。
「……う、触る、な!」
セインがそれを取り戻そうと身体を捩ると、してやったりとでもいうようにイゼルの口の端が吊り上がった。拘束の手を緩めることなく、イゼルは足元の人形を思いっきり蹴り上げたのだ。
そう、ビサンドのもとへ。
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