1-2 痩せた少年

 宙に投げ出された水が、勢いよく飛沫となって舞った。


「……わっぷっ!?」


 頭から大量の水をかぶることになった少年が思わず悲鳴を上げる。何が起こったか理解する前に、あまりの寒さにその歯の根がガタガタと音を立てた。


「人が喋ってるときに何をぼーっとしてやがる」


 間髪入れず、先ほどまで水が入っていた桶が飛んでくる。水浸しの少年は、腕を上げて顔を庇ったが、思い切り肘に当たって堪らず呻いた。条件反射のように、両膝を抱え込み地べたにうずくまった。

 いつもの敗北のポーズに、桶を投げた少年は満足そうににやりと笑う。


「いいか、父上に告げ口しても無駄だぞ。お前がいつまでも術の一つも出来ないのが悪いんだからな。たく、なんで俺がこんな出来損ないの面倒見なくちゃいけないんだ」


 そこそこ身なりのいい少年だが、その素養はあまりいいとは言えなかった。うずくまって震えている明らかに年下の少年に悪態をつきつつ、更に手を上げようと近づいていく。


「くそっ、上の者が下の者を指導するのが家訓だが、なんで俺の下が、寄りにもよってこんな変化へんげもできない能無しなんだよ」

「イゼル様、落ち着いてください。あまり目につく場所に傷をつけてはなりません」


 付き人らしき家人が止めたが、どうやらそれは虐げられている者を庇う言葉ではなかった。


「ああ、わかっているさ」


 そういうと、粗末なズボンに覆われている足を蹴り飛ばした。小さな少年は、身体を丸めていたものの、軽々とひっくり返され勢いよく転がった。

 抵抗することなく、再びうずくまって丸まった少年に、イゼルと呼ばれた少年は心底馬鹿にしたように唾を吐くと、そのまま付き人と一緒に去っていた。

 しばらくの沈黙の後、うずくまっていた少年はゆっくりと起き上がった。


「…………」


 泣くでもなく、悔しがるでもなく、ただじっと血のにじむ擦りむいた手のひらを眺めている。

 そして、改めて顔を上げて辺りをぐるりと見渡した。

 先ほどまで怯えていた人物とは思えないほど、背筋がすっと伸び、どこか泰然とした立ち姿だった。遠くを見るような瞳が、思案気に幾ばくか細めらる。

 ずっと向こうにとんでもなく大きな白亜の豪邸が見える。

 その屋敷の裏手から続く、美しい緑と花の庭園、そしてそこから斜め横にずれた区画、新旧あれど二棟の大きな館を経て、さらに目隠しのようなツタのアーチの先、何らかの整備された広場がここだ。

 端の方には刀の試し切りに使う藁束のような木偶に、弓の的のようなものなどが設置してあった。

 

「………はて、何事がおきたのやら」

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