第4話
◇
リズは厨房でじゃがいもの皮を剥いていた。要塞で働く料理人はスピナから来ている恰幅の良い主婦で、彼女は二日に一度ここへ来て、二日分のご飯を作って帰るといったルーティンをこなしている。
「リズちゃん、本当に明日の朝ご飯を作ってくれるのかい?」
「はい。任せてください」
手を止めて顔を上げたリズは料理人に向かって微笑んだ。
料理人は頬に手を添えて申し訳なさそうに謝ってきた。
「ごめんねえ。前までは毎日働きに来ていたんだけど、旦那がぎっくり腰で動けないから」
「困ったときはお互い様です。早くおうちに帰って旦那さんの看病をしてください」
「本当にごめんねえ。今度美味しいクッキーを焼いて持ってくるからね」
料理人はリズに何度も謝ってからお礼を言うと、スピナへと帰って行った。
再び作業に戻り、朝食の献立を考えていると、妖精たちがひそひそと囁きあいながらやって来た。
「みなさん何を話し込んでいるのです?」
質問を投げるとヴェントがこちらを向いて答えてくれる。
『大司教とドロテアが来るなんて思わなくてびっくりしたー』
「こんな辺境地には滅多にお越しにならない方々だから驚くのも仕方ないです。まあ、今回はシルヴァの隊員の半分が魔物の毒にやられて大変でしたからね。とはいっても、次期聖女であるメライアのお陰で二人が来る前に毒も邪気も体内から浄化できたようですが」
すると、三人が三人とも目をぱちぱちと瞬いて同時に首を右に傾げた。
『リズ、あなた何を勘違いしているの? 次期聖女はメライアではないの』
「えっ?」
今度はリズが首を傾げることになった。
メライアではないなら、誰が次期聖女になるのだろう。
きょとんとした表情を浮かべているとヴェントが口を開いた。
『次の聖女はリズ、君だよー』
「ええええっ!?」
リズは驚いて、素っ頓狂な声を上げてしまった。
現聖女・ドロテアの姪ではあるが、自分が次期聖女だなんてあり得ない。
「待ってください。私は一度も聖力が溢れる感覚を抱いたことがありませんよ」
ドロテアは自分が聖女だと分かった時、身体に聖力が漲るのを感じたと話してくれていた。リズはそれを感じたことが一度もない。
するとアクアとヴェントが顔を見合わせて頷いてから再びこちらを向いた。
『前にも言ったけど火事場の馬鹿力ってやつなの。リズは崖から落とされた時に聖女の力が覚醒したから、聖力が漲る感覚を悠長に感じてる暇なんてなかったの』
言われてみれば、とリズは当時のことを思い返す。
妖精の姿が見えるようになったのも、声が聞こえるようになったのも樹海の崖から落ちて目覚めた時からだ。
『考えてみて。どうして、妖精たちやアスランがリズを好きなのか。妖精はいつだって自由な生き物だから、たとえ角砂糖をくれたとしても力を貸すとは限らないよ』
「そうなの?」
イグニスの話に、またまたリズは目を丸くする。
教会本部で暮らしていた時、ドロテアはいつも金平糖を持ち歩いていた。これがあれば妖精たちは力を貸してくれると言っていたので、てっきり甘い物をあげれば誰にでも力を貸してくれると思っていたのだ。
『リズが次の愛し子であることは確かなの。だから私たちはリズを危険から守るの』
『妖精女王は妖精界とこちらの世界の制約によって普段は干渉できないけど、今回ばかりは力を使ってリズを小さくして助けたんだー。一度しか使えない力だから、リズの身体を元には戻せないけどー』
ここへ来て知らなかった事実が次々と明らかになり、頭の中が混乱し始める。
リズは片方の手を側頭部に当て、もう片方の手を前に突き出した。
「ちょっと待ってください。どうして女王様は私の身体を小さくしたのです?」
『女王様はなんでもお見通しなの。だからリズ、あの人だけは気をつけて。私たちはまだ手が出せないの』
「アクア、あの人って誰のことですか?」
しかし妖精たちはリズの問いに答える前に、何かに怯える様な顔つきになって窓の外へと飛び去ってしまった。
「あ、待って。まだ話は終わってません」
リズが必死に呼び止めるが、既に彼らはいなくなってしまった。
仕方がないのでリズは思い当たる人物を考える。
ドロテアは自分を救うために奔走し、最後は妖精や妖精女王に頼んで助けてくれた。となると、妖精たちが忠告した人物は大司教に違いない。
(大司教様は聖杯を壊した罪を私に被せました。女王様はもう力が使えないので助けてはもらえません。そんな状況下で、私がリズベットだと分かれば大司教様は何か仕掛けてくるかもしれません……気を引き締めておきませんと)
口を引き結んでいると、厨房の扉が開いた。
リズが振り返って現れた人物を確認した途端、リズの目頭が熱くなる。
雪のように白い肌に真っ黒な髪。灰色がかった青い瞳は慈愛の色を帯び、真っ赤な口元は微笑みを浮かべている。
「お茶を一口飲んですぐに分かったわ。私好みの味を出せるのはリズベット、あなたしかいないから」
「お、叔母様!」
リズは椅子から勢いよく立ち上がると、腕を広げるドロテアに飛び込んだ。
「嗚呼、私のリズベット。こんなに小さな身体になってしまって……無事で良かったわ」
ドロテアは瞳を潤ませてリズの無事を喜んだ。漸く会えた嬉しさからリズは嗚咽を漏らす。
「ふぅっ、うう……叔母様ぁ」
「あらあら、可愛いお顔が台無しよ? 一先ず椅子に座って落ち着きなさい」
リズは促されるまま椅子に座ると、ドロテアからハンカチを受け取って涙を拭う。
「あれから何があったのか教えてくれるかしら? どうして身体が小さくなっているかも含めてね」
優しくドロテアに尋ねられたリズはこっくりと頷くと、訥々とことの顛末を説明した。
妖精界へ渡るため、崖から落とされたこと。身体が小さくなったこと。運良く助かってクロウと出会い、ソルマーニ教会でお世話になっていたこと。これまでのことをリズは包み隠さず話した。
ドロテアはリズの話を一心に聞き入る。
「ねえ、叔母様。叔母様が妖精の女王様に頼んで私を助けてくれたんでしょう? 身体が小さくなったのは女王様が力を使ってくださったからだって、妖精たちが言っていました。手を尽くしてくれて本当にありがとうございます」
するとそれを聞いたドロテアが目を細めた。
「――そう、あの女が私の邪魔をしたのね」
「え?」
今まで聞いたこともないような低くて冷たい声に驚いていると、突然後頭部に鈍い衝撃が走る。
リズは衝撃によって床に倒れ込んだ。あまりの痛さに呻き声を上げてしまう。
「嗚呼、まさかあの女が邪魔してくるなんて。やっぱり私自ら動かないといけなかったのね」
「おば……さ、ま……」
朦朧とする意識の中でリズはドロテアを見上げた。
鉄製のフライパンを握り締めてこちらを見下ろす彼女の瞳は恐ろしいほど冷たかった。
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