第3話



 ◇


 クロウは雫型のピアスの留め具に触れた。

 丁度リズのことを報告したかったので連絡が入ったのはありがたい。

「やあクロウ。あれから連絡が来ないから心配していたんだ」

 クロウは連絡の途中で通信を切ったことを思い出す。状況が状況だったとはいえ、後で謝罪の連絡を入れるべきだったのにそれができていなかった。

「謝罪が遅れてしまい大変申し訳ございません。国王陛下に於かれましては大変不快な思いをされたことでしょう」

 改めて心からの謝罪を口にすると、ウィリアムが笑いながら言った。


「別に構わないさ。隠密からの報告は受けているし、そちらの事情も把握している」

 ウィリアムは謝りの連絡を寄越さないクロウに抗議するためではなく、心配して連絡を寄越してくれたようだ。彼が広い心の持ち主であることは知っているが、忠誠を誓った家臣としてクロウは誠実さを改めて示した。

「寛大なお心に感謝申し上げます。ところで陛下、実は早急にお話ししたいことがございます」

 クロウがリズの話を切り出すと、ウィリアムは真摯に耳を傾けてくれた。



「――実に興味深い話だ。クロウに食事を作っていた時点で聖女の力が発現していたとなれば、羅針盤が光っていてもおかしくないな」

「俺もそう思います。何故羅針盤は一向に光って次期聖女のいる方角を示さないんでしょう? 羅針盤が壊れてしまったということでしょうか?」

 それならこの十年間次期聖女が発見されなかったのも頷ける。人間、特に聖職者は聖力があるとはいえ、妖精の様に相手の聖気を感じたり、追跡したりすることはできない。誰も次期聖女が分からないからこそ、羅針盤の存在が重要になってくる。

 そして羅針盤が壊れてしまっているなら、次期聖女の訪れを取り零していたことを意味する。

(だが、過去十年の間に次期聖女が現れていたのなら、羅針盤が光らなくともドロテア様自身が自分の力の衰えに気づくはずだ。……ということは、やはりこの十年は次期聖女が現れなかったことになる)

 クロウが自問自答して納得していると、ウィリアムが口を開いた。



「実のところ先日話していたメアリー・ブランドンのさらなる詳細が上がってきた」

 ウィリアムが隠密にメアリー・ブランドンをさらに詳しく調べさせたところ、彼女は行方不明になる前に頻繁に会っていた男と恋人関係だったという。

「それはこの間仰っていた聖騎士のことでしょうか?」

 クロウが尋ねるとウィリアムが答える。

「そう、あの聖騎士だよ。彼はどうやら任期付きで教会に赴任していたんだ」


 任期付きの聖騎士はいずれ期限が切れたら別の赴任先へ赴くか部隊の拠点がある場所へ戻らなくてはいけない。聖騎士が教会を去った後、程なくしてメアリーも姿を消してしまった。当時は二人で駆け落ちしただとか、メアリーが彼を追いかけただとか様々な憶測が近所で飛び交っていたという。

 メアリーは後妻と異母妹から冷遇され、父親からも関心を持たれていなかった。いなくなったところで彼らはなんとも思っていない。

 その証拠にろくに捜索願いも出されていなかった。


 話を聞いたクロウは率直な感想を口にした。

「陛下、聖騎士は聖職者と同じく許可がなければ結婚はできません。ましてや駆け落ちなんてすれば破門になりますし、教会内部ですぐに情報が共有されますよ」

 すると通信具越しにやれやれと肩を竦めるウィリアムの息遣いが聞こえてきた。

「まったく、相変わらずの朴念仁だな。恋や愛というものは世間体や常識を越えてしまうものだろ」

「一国の王が何を仰っているんですか……」

 クロウが半眼になって答えると、ウィリアムが含み笑いをしてから小さな咳払いをした。


「真面目な話、クロウのところまで情報が共有されないのはおかしいな。それと、ブランドン邸で働く使用人と接触できたからメアリーのことを尋ねてみた」

 使用人は最初こそ詮索されるのを嫌がったが金貨を見せたらペラペラと何でも喋ってくれた。家庭環境が悪かったメアリーは後妻と異母妹の目に留まらぬよう常に息を潜めて暮らしていたという。しかし、聖騎士と出会ってから性格が明るくなると同時に、おかしなことを口走るようになったという。


「おかしなこと?」

「使用人曰く、私は妖精女王に選ばれた。もうすぐ現聖女と交代し、次の聖女として私が聖国と教会の未来を担うことになる、と――。もちろん、家族と使用人は媚びを売ろうとしているだけの虚言だと真に受けることはなかったようだが」

 ウィリアムはメアリーを哀れみ、深い溜め息を吐いた。

 クロウは死霊となったメアリーの最後の言葉を思い出し、頭の中で反芻する。


 ――早くあいつが玉座から転がり落ちることを祈っているわ。だってあそこは、私の居場所だったんだから……。


 メアリーは死んでも尚、自分を次期聖女だと主張していた。もともと家族から冷遇されて目立たないように息を潜めて生きてきた人が気を引くために嘘を吐くとは考えにくい。嘘だとバレたら余計にメアリーの置かれる立場が危うくなる。

 導き出される答えとして、その恋仲だったとかいう聖騎士に踊らされた可能性が高い。だが、その聖騎士がメアリーにつけ込んで次期聖女だと唆し、得られるメリットとはなんだろうか。

 金銭が目的なら、メアリーよりも異母妹に言い寄る方が採算はあるはずだ。


「……陛下、メアリーは嘘を吐くような人とは思えません。急に性格が明るくなったとはいえ、そこまで人が変わるなんて考えられません」

「私もそう思う。メアリーは周りを気にして育ってきた娘だ。大それた嘘は吐けない。となると怪しいのは聖騎士になる。その者の情報を集めて似顔絵を描かせたところ、浮かび上がった人相が大司教と聖女の護衛をしている騎士そっくりだった」

 大司教や聖女の護衛をしている聖騎士ということは間違いなく第一部隊サラマンドラに所属する聖騎士だ。サラマンドラの聖騎士が任期付きで地方に飛ばされることなど滅多にない。ましてやその聖騎士は大司教と聖女の護衛を任されている程のお気に入り。


 そのお気に入りがわざわざメアリーに接触するために地方に行くなんて明らかに変だ。

「つまりメアリーは何者かの目的によって聖騎士から次期聖女だと唆されて利用された挙げ句、殺されたということですね? 本当にメアリーが次期聖女だったならその時点で羅針盤が反応を示しますから」

 ウィリアムは暫く黙ったままだった。二人の間に重たい空気が流れ込む。暫くして彼が重たい口を開いた。


「この間の聖杯の破壊騒ぎを不審に思って密かに大司教の保管室を探らせた。すると厳重に保管されているはずの羅針盤は偽物レプリカだった。聖物の破壊や紛失を考えると、大司教は犯した罪を恐れて第三者に罪をなすりつけようとしていると考えられる。これは私の憶測だが、そのうち大司教は羅針盤がメアリーによって紛失したと公表するだろう。現にこの間、聖杯の破壊騒ぎで罪に問われた少女が断罪された」

 クロウは驚いて声を呑んだ。

「聖杯が壊れたことは陛下からお聞きして知っていましたが少女が断罪されたなんて初耳です」

 そういえば、まだ聖杯が破壊されたという情報がこちら側にまで届いてきていないことにクロウは疑問を抱く。

 辺境地ということもあり、王都にある教会本部からこちらに情報が流れてくるまでにはタイムラグが発生する。だとしても二週間もあればこちらまで情報が入ってきてもおかしくはない。寧ろ遅すぎるくらいだ。


 ウィリアムが呻りながら考え込む。

「これは教会本部内だけの秘密になっているから知らなくて当然だろう。聖杯は夏初めに破壊された。犯人は聖女の姪で、彼女は樹海で断罪されたという報告が上がっている。最後まで彼女は無実を訴えていたようだ」

 その話を聞いてクロウはリズを思い浮かべた。リズと出会ったのは夏初め。

 リズは同じ年頃の子供と比べて、教会や聖学に関して深い知識を持っている。さらにいうと妖精たちから好かれていて、妖精獣であるアスランにも懐かれている。


「陛下、聖女の姪とはどういった人物ですか?」

 クロウは逸る気持ちを抑えながらウィリアムに問うた。

「聖女の姪の名はリズベット・レーベ。シルバーブロンドの髪に青い瞳の少女だ。大層な努力家で真面目で良い子だったらしい」

 それを耳にした途端、クロウは叫んだ。


「リズが危ない! 今度こそ大司教に殺されてしまう!!」

「どういう意味だ?」

 ウィリアムに落ち着くよう促されるがクロウにはそんな余裕がない。

「その聖杯を壊して断罪された聖女の姪は、私の呪いを解いた次期聖女なのです!」

 クロウがそう叫ぶとウィリアムが通信越しに息を呑んだ。

「……すぐに次期聖女の保護に向かってくれ。彼女を死なせるわけにはいかない」

「御意」


 返事をしてから通信を切ったクロウは馬小屋へと走る。ところが、馬小屋にはロバしかいなかった。

(そうだ、ケイルズに俺の馬を貸したんだった)

 クロウは唇を噛みしめる。

 早くいかなくてはならないのに。

 気持ちばかり焦り、次の手立てが思いつかない。ここから全力で走ったところで一時間は掛かる。その間に万が一、リズが断罪されてしまったら――。


 クロウは前髪をくしゃりと掴んで自身を叱咤した。

(もっと効率の良い他の方法を考えるんだ)

 ぎゅっと目を瞑って逡巡していると、服の袖を引っ張られる。振り返るとそこにはアスランがいた。

 じっと見つめるその瞳から彼の言いたいことが伝わってくる。

「俺を乗せて要塞へ連れて行ってくれるのか? 頼む、リズが危ないんだ!」

 アスランはクロウの服を放すと、状況を理解しているのか背中に乗るように視線を動かす。


 クロウが背中に飛び乗ると、アスランは助走を付けて空高く舞い上がった。

(無事でいてくれリズ……)

 目の前に屹立する要塞を、クロウはじっと見つめていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る