第2話



 ◇


(ベリーレモネードのお陰で毒の浄化に成功したのはとても嬉しいですが、病室に留まれば大司教様に鉢合わせしてしまいます……)

 ヘイリーが大司教とドロテアを迎えに行った後、リズは内心パニックを起こしていた。こんな辺境地まで教会本部の人間が、しかも重鎮が訪れることはないだろうと高を括っていたのに、その予想が大きく外れてしまった。


(いくら子供の姿になっているとはいえ、大司教様に私がリズベットだと見抜かれてしまったらどうしましょう。そんなことになったら叔母様の努力が水の泡です)

 ドロテアは決死の思いでリズを逃がしてくれた。

 味方であるドロテアもいるのだから、万が一正体が大司教にバレてしまっても庇ってはくれるだろうが、これ以上の迷惑は掛けたくない。


「あ、でも年齢が巻き戻ることなんて普通はあり得ないですし、大司教様は小さい頃の私を見たことがないです。……だけど、姿が子供だとしてもリズベットはリズベットなわけなので……」

 逡巡しながらぶつぶつと呟いていると、メライアに肩を叩かれた。

「リズ、ここは落ち着いているからあとは私に任せて。それより、大司教やドロテア様のために茶菓を用意して隣の建物の応接室へ運んでくれる?」

「あ、えっと。はい。もちろんです」

 リズは我に返ると明るく返事をして、それから閃いた。



 二人が応接室に来る前に茶菓を準備して厨房に籠もっていれば大司教と顔を合わせなくて済む。

 さらに二人はクロウの呪いを解くために要塞からソルマーニ教会へ移動し、数日間は滞在するはずだ。うまくいけばドロテアと二人きりで話すことができるかもしれない。

(そうとなれば、早く茶菓の準備をしないといけませんね。今の時間なら厨房に料理人さんもいると思いますし、お菓子はお願いして用意してもらいましょう)

 リズは大神官と鉢合わせしないために大急ぎで茶菓の準備に取り掛かる。


 足早に病室のある建物から厨房のある建物へ移動していると、丁度ヘイリーとマイロンが大司教とドロテアを出迎えている最中だった。リズは建物の影からその様子を観察する。

「遠路はるばる王都からお越し頂きありがとうございます」

 ヘイリーとマイロンが挨拶をするとドロテアが笑顔を見せた。

「いいえ、司教。ここまで甚大な被害が出ているのですから、来るのは当然です。日々魔物からこのスピナを守ってくれている第三部隊シルヴァは私たちの誇りですから」

 ドロテアが艶やかに微笑むとマイロンは顔を伏せて頬を赤く染めた。美しい彼女に微笑み掛けられて心が高鳴らない男性はいない。特に彼女を見慣れていない男性は毎回同じ反応をする。


「ところで患者の容態はどうなっている? 司教は元大司教で昔のような力はないだろうが、尽力したのだろうな?」

 大司教は顎髭を撫でながら、嫌みったらしい口調でヘイリーを一瞥する。昔はヘイリーの方が上だったが、立場が逆転してからは彼を見下しているようだ。

 リズはもともと大司教のことはあまり好きではなかったが、ヘイリーに対する態度を見てその思いはより一層深まった。

(ひどいです。司教様はいつだって信者や困っている人のために力を尽くしてくださっているのに)

 リズは下唇を噛みしめながら眉尻を下げる。その一方で当の本人は嫌な顔一つせずに柔和な表情を浮かべていた。


「患者たちの容態ですが実を言うと先程完治致しました。今は毒も邪気も残っていません。ご足労頂いたにもかかわらず大変申し訳ございません」

 ヘイリーがしとやかに頭を下げると、大司教が慌てふためいた。

「なっ、なんだと? 魔物の毒を完全に消したというのか? 司教、おまえにはもう聖力がないはずだろう?」

 ヘイリーに力が戻れば自分の立場が危うくなると大司教は恐れているようだ。その証拠にヘイリーが聖力をどうやって戻したのか頻りに尋ねている。

 ヘイリーは胸に手を当てると告げた。


「大司教、教会本部を去る時に申し上げましたが私の聖力が戻ることは二度とありません。ですが、私以外に並々ならぬ聖力を持つ逸材が現れたのです」

「逸材だと!? それは誰だね? ……確かソルマーニ教会の聖職者は司教のおまえと修道士、それから修道女だったか」

 大司教は思い出しながら指を折ると漸く安堵の溜め息を漏らした。役職のない聖職者に浄化できるほどの聖力が宿ることは普段からよくあることで、一般的に修行の成果だと言われている。

 そして、なんの権力も持たない聖職者が並々ならぬ聖力を得たところで大司教の立場を揺るがす脅威にはならない。それらを総合的に判断して大司教は安心すると大きな腹を揺すった。


「ソルマーニ教会に所属しているのは修道士と修道女の二名です。要塞で看病に当たっているのは修道女・メライアです。……百聞は一見にしかずだと思いますのでまずは病室へ向かいましょう」

 ヘイリーはそこで話を切り上げると、病室のある建物の中へと案内していった。大司教もドロテアもヘイリーの後に続いて建物内へと入って行く。



(並々ならぬ聖力を持つ逸材だなんて……もしかしてメライアが次期聖女様?)

 聖女は十代半ばから二十代の乙女にのみその力が現れる。メライアは二十歳前半でもともと妖精が見えるくらいの聖力は備わっている。この状況で覚醒したのであればそれは大変素晴らしいことだ。

 リズは話の続きが気になったが、後をつけるわけにもいかないので厨房へと急ぐことにした。




 厨房に赴くと、要塞の料理人が既にカヌレを用意してくれていたので、あとはお茶の準備をすればいいだけだった。リズはティーセットをワゴンに載せて応接室へと運ぶ。

 応接室は要塞の外観に似合わず瀟洒な空間だった。黒檀のローテーブルの上に茶菓のセッティングをして準備が整うと、リズは大司教たちが来る前にそそくさと部屋を後にする。


 廊下の角を曲がったところで丁度向こうの方から大司教やヘイリーの声が聞こえてきた。

「まさか! 本当に毒も邪気も浄化できているとは!! これが本当ならば急いで教会本部へ戻り、羅針盤の確認をしなければいけないな!」

 大司教は大変興奮しているようで、近くにいなくてもその声がはっきりとこちらまで聞こえてきた。

(羅針盤の確認ということは、やはり次期聖女様が見つかったのですね。そしてそれがメライア)

 メライアは面倒見も良く、そしてドロテアと同じように誰に対しても親切で優しい。彼女ならば善き聖女として信者を導いてくれるだろう。


 リズは気づかれないようにこっそりと三人の様子を窺った。

 当然ながら大司教は興奮して顔を赤らめているし、話を聞いているヘイリーも朗らかだ。

「長年ドロテアが聖女としての務めを果たしてくれていたが、これで漸く引退できるな」

「ええ、大司教。私も漸く肩の荷が下りました。ずっと次期聖女が現れなかったので不安だったのです」

 ドロテアも次期聖女の訪れを知ってとても喜んでいる。彼女は十年間聖女として教会に仕えてきたのだ。その間、聖女であるために様々な制約を強いられてきたに違いない。


(確か叔母様が聖女になったのは十六歳だったはずです。私は十一歳から教会本部で暮らしていますが、叔母様が側にいてくださったので寂しくはありませんでした。ですが聖女である叔母様は簡単には家族と会えませんでしたし、気軽に外出することもできませんでした。これまでとは違う生活を強いられて四苦八苦したことでしょう)

 現に、ドロテアが聖女を務めている間に彼女の両親、つまりリズの祖父母は亡くなっている。葬式には出られたが生前に会うことは叶わなかった。漸くドロテアは聖女の務めを終えて俗世に戻ることができる。


 メライアが聖女となりドロテアが引退したら、どこかの町で一緒に暮らせるかもしれない。リズの胸の中で期待が膨らんでいく。

「まずは羅針盤を確かめないことにはどうにもなりませんよ。それにまだ彼女にも話していない内容ですので……このことはくれぐれも内密にお願いします」

 ヘイリーは口元に人差し指を立てた。


「分かっておる。わしは一度教会本部に戻って羅針盤が光っていないか確認してこよう」

「お願いします。――さて、立ち話も何ですし一度応接室の中へ。美味しいお茶とお菓子を用意していますので、寛ぎながら今後のお話を致しましょう」

「そうですね。私もゆっくりお茶を飲みながら、詳しいお話が聞きたいですわ」

 三人は談笑しながら応接室へと入っていった。


 まだ、周りには秘密となっている次期聖女の存在。

 リズは早くメライアに伝えたくてうずうずしたが、これは自分よりもヘイリーの口から言われた方が彼女はきっと感激するだろう。


(このことは誰にも言いません。私だけの秘密です)

 ヘイリーがメライアに聖女だと告げるその時まで、リズは口が裂けても漏らさないと胸に刻んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る