第7話
◇
廊下を慌ただしく駆けていく音が聞こえてリズは目を覚ました。今日は朝から騒がしい。
目を擦りながら起き上がるとうーんと大きく伸びをする。まだまだ微睡む意識の中、ベッドから這い出して窓を開け、鎧戸の扉を開く。
今日も晴天で清々しい朝だ。なのに、何故か変な胸騒ぎがするのは何故だろう。
胸元に手を当てて首を傾げていると青と緑、赤の三つの球体が森の方から飛んで来る。
『おはようなの、リズ』
『浮かない顔をしているけどどうしたのー?』
『何か心配事でもあるなら話してみてよ』
「おはようございます。なんだが変な胸騒ぎがするのです。部屋の外が慌ただしいですし……何かあったのでしょうか」
この胸騒ぎがただの杞憂であって欲しい。しかし、いつだってこの胸騒ぎはリズの期待を裏切る。
父が事故に遭ったという知らせを聞いた時も、聖杯を壊した罪を着せられた時も。それらが起きる前には必ず心臓がドクドクと妙に早く脈打つのだ。
そして、今回もその予感が的中してしまった。
妖精三人は顔を見合わせてから頷くと、アクアが最初に口を開いた。
『要塞にいるシルヴァの騎士たちの半数が魔物の毒霧にやられたの。毒の巡りが早いから早くしないと助からないの』
「……っ!!」
リズはパジャマのまま部屋を飛び出して廊下へと出る。
「早く、お手伝いしませんと!」
毒に冒されて苦しむ彼らを想像した途端、恐ろしくなって腹の奥底が縮み上がった。
なんでもいいから彼らの力になりたい。役に立ちたい。だって、彼らはクロウの大事な仲間でいつもスピナを守ってくれているのだから。
廊下の突き当たりまで全力で走っていると、リズはそこでふと足を止めた。
(でも今の私が応援に入って何ができるんでしょう……)
不安が頭を過った途端、無力感を感じて動けなくなった。
薬の作り方は教わっていない。そもそも解毒薬の材料はとても貴重なため入手が困難である上、完全に取り除くには聖力が必要になる。聖力なしでも解毒薬は作れるが重症であればあるほどその効力は薄くなる。
結局のところ、リズにできることは何もない。
小さな手のひらを眺めながら俯いて考え込んでいると、イグニスが目の前にやって来る。
『不安なのは分かるけど、まずは落ち着いて着替えようか。それでいつものように美味しいご飯を作るんだ。前にも言ったけど、リズのご飯を食べればみんな癒やされるから元気になるよ』
――ご飯を作ればみんなが癒やされる。
イグニスの言うことは一理ある。しかし、魔物の毒は体内を循環するとメライアが聖学の時間に言っていた。毒に冒されると猛烈な痛みに襲われ、それに加えて魔物の種類によっては他の症状も追加される。当然食べられる状況ではないように思う。
「シルヴァの皆さんは魔物の毒を受けてしまったのですよね。毒を受けた人は苦しんでいますのでご飯を口にする余裕はないと思います」
『この間作ったベリーシロップを使うと良いよー。あれなら呑み込むだけだし大丈夫ー。それに解毒薬はとっても苦いから口直しに良いと思うー』
ヴェントのアドバイスを聞いたリズは弾かれたように顔を上げた。
良薬は口に苦し。リズも風邪で寝込んで薬を飲んだことがあるがその度に口の中に苦みが残って不快だった。シロップは甘いので良い口直しになるし、液体だから呑み込むだけで咀嚼する必要もない。
それに薬以外の甘い物を食べれば少しは気力がわくかもしれない。
「妙案です、ヴェント。これなら私にもできるお手伝いですし。早速シロップを持って行く準備をします」
自分の役割を見つけたリズは、イグニスにパジャマ姿を指摘されていたので一度部屋に戻って着替え始めた。
それからヘイリーたちが集まっているであろう司教室へと向かう。予想通り、そこにはヘイリーとクロウがいて、二人で話し合っているところだった。
「司教、離れ棟に重症者を連れてくるには人手もベッドの数も足りません。要塞で治療をした方が早いと思います」
「その方が良さそうですね。教会本部に連絡すると、今回は危機的状況と判断してくれたようで、早急に本部の人間を派遣してもらえることになりました。アシュトラン殿の時は別件で身動きが取れず、難しかったようですが今回は全面的に協力してくだいますし、あなたの呪いも浄化してくれると言っていました。替え馬を使えば数日でスピナに到着するでしょう」
ヘイリーの話を聞いたクロウは安堵の息を漏らした。
「それなら良かったです。一先ず、樹海で採ってきた薬草が要塞にありますのでそれを煎じて飲ませることができれば助けることができます」
ヘイリーは少しだけ安心したように表情を緩める。
「是非、その薬草をいただけますか。毒を浄化できるほどの聖力はありませんが、私の僅かな聖力を込めて解毒薬を作りましょう」
「薬草は病室隣の部屋に保管してあります。好きに使ってください。ところで司教、俺の呪いのことですが……」
「あのう、司教様……」
そこでリズが二人の話に割って入った。まだ会話が終わっていないのに話に入るのは行儀が悪い。しかし、二人が足早に歩き出そうとしていたので咄嗟に声を掛けてしまった。
「お話中にごめんなさい。ですが、どうか私も要塞へ連れて行ってください!!」
リズはヘイリーの服の裾を掴んで懇願した。
当然ではあるがヘイリーは微笑みながらも困っている。
「絶対絶対、邪魔はしません。足手まといにもならないよう心がけます。だからどうか……」
お願いします、という言葉と同時にリズは頭を下げる。
その様子を眺めていたクロウがおもむろに口を開いた。
「俺からもお願いします。リズを要塞へ連れて行ってあげてください。彼女ならきっとみんなの役に立ってくれます」
「お兄さんっ……」
まさかクロウが後押ししてくれるなんて思ってもみなかったリズは驚きと同時に彼から認めてもらえたような気がして胸が熱くなった。
リズが感動して顔を伏せていると、クロウが側に寄ってきて頭を優しく撫でてくれる。
「俺も行きたいのは山々だがまだ呪われている身だ。ここから出ることは危険だから、代わりにリズがみんなを助けてくれ」
「はい! 約束します!!」
リズが元気よく答えると、ヘイリーが頬を掻きながら側に寄ってきた。
「……分かりました。リズにも看病を手伝ってもらいましょう。人手も足りないでしょうからね」
渋々と言った様子ではあったが最終的にヘイリーはリズが手伝うことを了承してくれた。
クロウはリズの願いが聞き入れられたのを見届けると、リズの頭から手を離す。
「何もできないのがもどかしいですが、俺は俺のできることをします」
クロウはそう言ってポケットから加護石を取り出してそれを握り締める。
彼が言う自分にできることとは呪いを悪化させないよう、大人しく離れ棟にいるということのようだ。
その様子を見たリズは苦しくなって拳を握り締める。自分が同じ状況だったらきっとこの状況に憤っていただろう。大切な仲間が重症なのに自分は側に行くことも助けることもできないのだから。
「教会本部の使者が要塞に到着したら、必ずアシュトラン殿の呪いも解いてもらうようここに連れてきます。もう少しだけ我慢してください」
クロウはヘイリーの言葉を聞いて頷くと身を翻して司教室から出て行った。
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