第6話



 ◇


 クロウは早朝から離れ棟の外で鍛練を行っていた。

 一汗かいたところで一旦休憩に入り、近くの水場で顔を洗う。水が滴る前髪を掻き上げながらタオルで顔を拭き、肩に掛けて空を見上げた。

 朝日が山肌から顔を出し、青々とした山の木々を照らしている。遠くにある堅牢な要塞の白い壁は暁色に染まり、普段とは違う顔を見せていた。この時間帯だとそろそろ聖職者たちが起きて活動を始める頃だろう。


 ふと、三日前のリズの表情が頭を過る。口端についたビーツのマッシュポテトを取ってそれを食べると、顔を真っ赤にして涙目になっていた。その姿はとても愛らしく、守ってあげたいという庇護欲をかき立てる。

 彼女は子供扱いされるのが嫌いなようだ。まだ十歳にも満たない女の子。子供扱いしないで欲しいと言われても、不思議とませている感じはしない。


 日頃の彼女の大人びた態度や雰囲気からして確かに子供扱いするのは良くなかったと少しだけ反省した。

(リズはその辺の同じ年の子供とは違う。だからこそ、子供扱いするのはあまり良くないかもしれないな)

 気を取り直して次の鍛練に入るべく、タオルを木の枝に掛けているとピアスが振動し始めた。

 クロウは留め具に触れた。



「――やあ、クロウ。その後容態はどうだい?」

 何とも気の抜けた声で話しかけられるが、相手は他でもない国王のウィリアムだった。早朝とはいえ、今は外にいるのでクロウは木の陰に隠れて周囲を確認しながら答える。

「ヘイリー司教が加護石をくださったお陰で今のところ廃人にはなっていません。教会敷地内であれば自由に動けます」

「流石、元大司教のヘイリーだ。私の命を助けるために彼は自身が保有する聖力のほとんどをなくしてしまった。惜しい人材を失ったと未だに後悔している」

 先程までの声色とは打って違ってもの悲しい色が帯びている。



 ヘイリーが聖力のほとんどをなくしてしまった理由は、七年前に開催された狩猟大会でウィリアムが魔物に襲われてしまったからだ。

 噛みつかれた場所が悪かったウィリアムは瞬く間に瀕死の状況に陥ってしまった。

 本来、聖力は使っても休んでいればまた使うことができるようになる。聖力を持つ人間はそれぞれ聖力の保有量が決まっていて、それを使い切ってしまうと二度ともとの量に戻ることはない。


 よって一気に放出して聖力を失わないよう、身体は聖力の保有量に見合った量を小出しにするよう自然と調整してくれている。

 しかし、ヘイリーはウィリアムの命を救うために体内に保有していた聖力を一気に解放し、ほとんど使い果たしてしまった。これによりヘイリーは以前のような力を持つことはできなくなり、自ら大司教の席を明け渡して辺境地のスピナへと引っ込んでしまった。


「司教は聖力を失ったことに後悔はないと言っていましたよ。陛下が悔やまれてはそれこそ司教の面目が立ちません」

「……それもそうか。人を助け導くのが彼の務めだものな」

 ウィリアムは自分の抱いている感情がヘイリーの矜持を傷つけることになると気づくと考えを改める。

 息を吐いたウィリアムは気を取り直して本題に入った。


「この間言っていた人物、メアリー・ブランドンの身元が判明した。彼女は王都から南の商業都市で栄えている商家の娘だ。彼女が四歳の頃に母親のジェシーは病死している。メアリーの方は一年前から行方不明になっているようだ」

 隠密の調査によるとメアリーは長女であり、正式なブランドン家の子供であったが、後妻と異母妹に虐められていたという。父親はメアリーには無関心で助けようともしなかった。それもあってメアリーは常に周りの目を気にして怯えながら生活していた。


「他に彼女について何か分かりましたか? 行方不明になる前は?」

「行方不明になる前、メアリーは頻繁に男と会っていた。男と会う度にメアリーは浮かれていてとても幸せそうだった、と目撃した住人が漏らしていた。ただ、その男は聖騎士だったという情報が上がっている」

 クロウはぴくりと片眉を跳ね上げた。

(聖騎士? ということは教会側とメアリーの失踪には何か関係があるのか?)

 ウィリアムの話を聞いて逡巡していたクロウだったが突然顔を上げた。

 クロウの耳にぱたぱたと走る音が入ってくる。それは徐々にこちらに近づいてきていた。


「……陛下、申し訳ございません。誰か来たので一旦通信を切らせて頂きます」

 クロウは素早く通信を切る。

 暫くすると顔を真っ青にしたケイルズがこちらに駆けてきた。


「ケイルズ、こんな朝早くにどうした?」

「クロウ殿、大変です。き、緊急事態ですよ!!」

 ケイルズは息を整えながら次の言葉を紡ぐ。

「たった今、要塞から連絡がありまして。……シルヴァの半数が魔物の毒にやられて重症になっているそうなんです!!」

「なんだと!?」


 魔物の毒は種類にもよるが大半が即効性だ。

 彼らを離れ棟の隔離施設まで連れてくるにしてもベッドの数が足りない。さらに言えば、隊員の半数が重症の状況で残りの半数に要塞をあけて手伝わせるわけにはいかない。

 この混乱を突いて、魔物が要塞へ押し寄せてくればスピナに危険が及んでしまう。


「まずは司教と話し合わなければ」

 クロウはケイルズと一緒にヘイリーのいる司教室へと急いだ。

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