第2話
「メライア、一緒に森へ行って木の実を摘みに行きませんか?」
メライアは聖書の写本を作っているようで、声を掛けると動かしている手を止めて顔を上げた。
「まあリズ。とっても素敵なお誘いだこと。でも私はこの章を今日中に終わらせないといけないのよ」
メライアは残念そうに写本へと視線を移した。
リズが背伸びをして作業台の羊皮紙を覗き込めば、読みやすい綺麗な文字と芸術的な装飾文字が並んでいる。メライアが任されているのは装飾文字のようで、書き込まれた部分のインクはまだ乾いていなかった。
「そうですか……。大事なお仕事なので仕方ないです。頑張ってくださいね」
応援の言葉を掛けると、突然メライアが呻き声を上げて胸に両手を当て、立ち上がるとリズの肩を抱く。
「嗚呼、今度は必ず一緒に行くと約束するわ。……はあ、可愛いリズの誘いを断るなんて罪悪感に苛まれそう。いいえ、仕事を応援してくれているのだから気持ちはありがたく受け取るべきで……」
メライアは暫くぶつぶつと独り言を呟く。暫くして咳払いをすると、彼女はリズに言った。
「とにかく、写本作業は早めに終わるように頑張るわね。一応伝えておくと、修道院裏から要塞に続く森は安全だからリズが入っても大丈夫よ。この時期だといろんな木の実が実っていると思うわ」
「わあ、本当ですか? それはとても楽しみです!」
話を聞いてリズは胸を高鳴らせた。
(王都と違ってスピナには森があります。きっと新鮮な木の実がたくさん採れるに違いありません!)
リズは支度を済ませると息を弾ませ、スキップしながら出かけた。
森の中は木々が生い茂っているが、枝葉の間から木漏れ日が差していて明るかった。小鳥がさえずりながら枝と枝の間を飛び、野ウサギやリスが駆け回っている。
「わあっ!! 野ウサギを見るのもリスを見るのも初めてです。とっても可愛い~」
つぶらな瞳の小動物を目撃してリズはきゃあきゃあと大はしゃぎしてしまう。
可愛いもふもふな動物が好きなので十七歳の姿だったとしても今のように黄色い声を上げているはずだ。
小動物はリズの存在に気がつくとぴゅーっと走り去ってしまう。
「ううっ、やはりアスランのようにはいかないですね。彼らは野生で警戒心も強いので近づくことすらできません。触ることができないのはとても残念ですが、この目であの可愛らしい動物を見られたのですから眼福です」
あまりの可愛さに胸が苦しくなって何度か深呼吸をするリズ。
漸く発作のようなものが落ち着いたので改めて木の実を探し始めた。辺りを注意深く観察しながら歩いていると、青紫色をした実がついている木がたくさん現れる。
近づいて実を確かめてみると、それはブルーベリーだった。
「わあっ、ブルーベリーがこんなにたくさん実っているなんて凄いです!」
持ってきていた肩掛け鞄から四つ折りにした麻袋を取り出して、ブルーベリーを摘み始める。
美味しそうなものを選んで摘んでいると、どこからともなくたくさん妖精が集まってきた。彼らはこの森に住む妖精のようでとても物知りだ。
『甘いブルーベリーは今摘んでいる木の隣だよ。是非持って帰ってね』
『あっちにはブラックベリーやラズベリーも実っているよ。甘酸っぱくて美味しいよ』
いろいろな情報を提供してくれる妖精にリズは心から感謝する。だが、あいにく角砂糖を持ち歩いていなかったので、お礼ができない。
「ああ、ごめんなさい。折角教えてもらったのにお礼の角砂糖を持ち合わせていません」
しょんぼりと肩を落とすと、妖精の一人が首を横に振った。
『いつも三人を通じて角砂糖をもらっているから大丈夫だよ』
『日頃の感謝を込めてリズに美味しい木の実を持って帰ってもらいたいんだ』
日頃の感謝? はて、一体何のことだろう。
リズは二、三瞬きをしてから首を傾げた。
三人から角砂糖をもらっている。それはつまり、アクアとヴェント、イグニスの三人のことだろう。
(角砂糖を渡すといつもどこかへ行ってしまうので不思議に思っていましたが、あれは仲間の妖精に角砂糖を渡すためだったのですね。独り占めしているわけではなかったみたいです)
妖精たちの話に納得がいったリズはお言葉に甘えて美味しい木の実の場所を教えてもらった。
麻袋が一杯になるまでブルーベリーやブラックベリー、ラズベリーを摘み終わるとそれを紐で縛って肩掛け鞄にしまう。
一仕事終えて木陰の下にある大きな石の上に座ったリズは、持ってきていた水筒を取り出すと水分補給をする。
ついでに野菜サンドの包みを広げて食べ始めた。
「ふう。妖精さんたちのお陰でとっても質の良い木の実が手に入りましたし、そろそろ戻りましょう」
休憩している間も妖精たちはリズの周りを楽しそうに飛んでいる。
ソルマーニ教会でも三人の妖精以外の妖精と会うことはある。だが、一度にたくさんの妖精と遭遇するなんて滅多にないことなので、その多さに見入ってしまう。
(この人数の妖精さんが教会に押し寄せたら、大変なことになりますね)
ヘイリーたちは妖精の姿を見ることができるので、一度に大勢の妖精が押し寄せたら腰を抜かすに違いない。
彼らの驚く姿を想像してくすくすと笑っていると突然、森の奥から茂みをかき分ける音が聞こえてくる。
「何でしょう? 野ウサギ……にしては大きな身体です。クマはこの辺りに出没するのでしょうか?」
クマ、或いはオオカミだった場合どうすればいいだろう。メライアは安全な森だと言っていたが魔物と同じでお腹を空かせた肉食獣が山から下りてきたのであればそれはそれで大変だ。
不安を抱いているといつの間にか現れたヴェントが肩に留まると優しく頬を撫でてくれる。
『落ち着いてリズ。心配いらないよー』
『大丈夫なの。あの子には前にも会っているの』
もう一方の肩にはアクアとイグニスがちょこんと座っている。
(前にも会っている?)
それは一体誰だろう。
怖がりながらも、リズは一歩前へと足を踏み出し、音のする方へと近づいていく。
そして、茂みの中を覗き込むと同時にそこから白い塊が飛び出してきた。リズは白い塊にそのまま押し倒されてしまう。
「きゃああっ!」
びっくりして悲鳴を上げるも、ふわふわとした柔らかい毛が頬に当たる。
真っ白な毛並みにお日様の匂い。そこからリズはこの生き物が何であるのかを言い当てた。
「アスラン!」
「キュウン」
それはクロウが飼っている不思議な魔物、アスランだった。相変わらず人懐っこい性格で敵意はまるでない。
リズはアスランのたてがみに顔を埋めると、存分に頬擦りをした。
「アスランの毛並みはなんて素敵なのでしょう。嗚呼、相変わらずふわふわで気持ち良い~」
アスランもリズに会えたことが嬉しいようでゴロゴロと喉を鳴らしてくれる。それから一頻り毛並みを堪能させてもらったリズはどうしてアスランがここにいるのか不思議に思った。
何故ならアスランは平生、要塞で暮らしている。脱走してここまで来てしまったのだろうか。
しかしアスランは人間の言葉をよく理解している賢い魔物だ。ここまで来たのには何か訳があるはずだ。
「アスラン、あなたはどうしてここにいるのですか? 要塞にいないと心配されますよ?」
するとアスランは鼻面をリズのスカートのポケットに押しつけてくる。中に入っているものを取り出せば、それは六芒星が刻まれた孔雀石――守護石だった。
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