第11話
「……司教はそろそろ教会本部へ戻られた方が良いのではありませんか? いくらあの一件で聖力のほとんどを失ったからと言ってこんな辺境地に隠居するなど。……先代の大司教であるお父上もさぞ悲しまれていることでしょう」
「隠居生活も悪くはないですし、聖力のほとんどを失ったことに後悔はしていません。尊い命を救った対価として聖力がなくなったのなら、それは本望です。――さて、長居してしまいましたので私はそろそろお暇します。バスケットの中にリズが作った夕飯が入っているので召し上がってください。彼女、あなたのことを随分気に入っているみたいで明日からは一緒にご飯を食べたいそうですよ」
ヘイリーはサイドテーブルに置いていた灯りを取ると、一礼してから部屋を後にする。
一人になったクロウは腕を組んで思案顔になった。
(リズがもし次期聖女なら何故羅針盤が光らないんだろう。あれが光らない以上、教会側はリズを次期聖女だと断定できない。だが、彼女は対価なしに妖精の力を借りることができる……)
あれこれと考えを巡らせていると、不意にクロウが付けている右側のピアスが振動し始めた。
ピアスの留め具の部分を人差し指で触れたクロウは、居住まいを正す。
「聖国の太陽・ウィリアム国王陛下にクロウ・アシュトランが拝謁を賜ります」
クロウが耳に付けているピアスはただの装飾品ではない。これは装飾品の形をした通信具で王族が専属の工房で独自に開発させたものだ。
一般的な通信手段である水晶とは違い、持ち運びしやすく通信具と疑われない品なので隠密たちの間で重宝されている。
「……クロウ、通信連絡の時くらい挨拶は割愛しろといつも言っているだろう?」
国王のウィリアムは溜め息を吐くと困った様な声色で呟いた。
「さて、今日私が連絡をしたのは隠密から君が死霊の接吻を受けたという報告をもらったからだよ」
クロウはばつが悪い顔になった。隠密自体がつけられていることはウィリアムから知らされているが、もう情報が届いているとは。
まったく、聖国の隠密は仕事が速い。
「任務に支障が出てしまい、誠に申し訳ございません」
「君を責めるためにわざわざ連絡したのではないよ。魔物が多い辺境地で死霊が出たというのが少し気になってね」
ウィリアムはどうして辺境地で死霊が出たのか不思議に思っているようだ。
死霊は生きている人間がその場所で殺され、怨念を積もらせることで生まれる。普段から人通りのない国境沿いの廃墟で死霊が出るのは珍しいことだった。
「本来は治安部隊に任せれば良いんだけど場所が場所だ。隣国とのもめごとに発展しないか心配だし、きちんと調査しておきたい。何か手がかりはないか?」
「死霊がいた廃墟でロケットペンダントを拾いました。建物よりもまだ日が浅いので、恐らく死霊が生前持っていた品だと思います。中には女性の絵が描かれているので、この女性の身元が判明すれば、死霊だった女性の情報が分かるかもしれません」
クロウはロケットペンダントに描かれている女性の特徴について手短に説明した。
「そのロケットペンダントは後で伝書鳩を送るから、脚に括りつけてこちらに送ってくれ。それにしても手がかりは他にないか? 顔の特徴だけだと調査に時間が掛かる」
クロウはもう一度ロケットペンダントをためつすがめつして観察した。絵以外に手がかりになりそうなものは特にない。なんとなく、指の腹でペンダントの内側をなぞっていると、爪に絵の端が引っかかって少しだけ剥がれた。捲れた紙を見ると、小さな文字が書かれている。
――私の可愛い娘メアリー・ブランドンへ、母ジェシーが捧げる。
クロウはハッとしてその名前を読み上げた。
「この名前を調べていただければ、きっと行方不明になっている女性が見つかるはずです」
「……ブランドンか。言葉の響きからして我が国民だろう。それほど多い姓ではない。ロケットペンダントを持つくらいだから平民の中でもそれなりに裕福な家庭に違いない。すぐに調べさせよう」
「ありがとうございます」
「結果も出ていないのに感謝するのはまだ早いぞ。君は暫く身動きが取れない。できる限りのことはこちらでしなくてはな。――だが引き続き、取れる範囲で教会内部の不正については探ってくれ。最近どうも教会本部の動きがおかしい」
ウィリアムによると王都では数週間前に雨乞いの儀式が行われるはずだったのだが、急遽取りやめになったらしい。王家がその理由を大司教に尋ねたが、儀式の準備中に問題が発覚したため中止に踏み切ったと言い、それ以上詳しい理由を教えてはくれなかった。
教会本部で何かが起きていることは間違いない。十中八九、それが原因で教会本部からソルマーニ教会へ聖力のある司教がすぐに派遣されず、中途半端な状態になっているのだ。
通常であればもっと手際よくその日のうちに司教が派遣される。
クロウはウィリアムに挨拶するとピアスに触れて通信を切った。
ウィリアムからの密命は教会内部に潜り込み、不正を暴くための証拠集め。本来ならサラマンドラに配属されて教会本部の動向を探るのが一番手っ取り早いが、貴族の嫡男が聖国騎士団ではなくわざわざ教会騎士団に入るのは如何にも怪しい。
疑いの目を逸らすべく、クロウは自ら辺境地で活動するシルヴァに志願し、害意がないことを証明しなくてはならなかった。隊長になれば数ヶ月に一度、教会本部へ招集されるのでその時に機密文書などの保管室に忍び込んで証拠になりそうな情報を集めている。
回りくどいやり方だが、お陰で教会本部からはクロウに対する不信感は持たれていない。それにソルマーニ教会の司教であるヘイリーとは長年親交があり、信頼の置ける人物だ。
彼のもとで行動するのが一番だとクロウは判断している。
クロウは椅子の背にもたれると、顔を手で撫でた。
(一刻も早く任務に戻らなくてはいけないのに。それができなくて非常にもどかしい……)
天井を見つめていたクロウは頭を動かして前を向く。そしてふと、バスケットが目に留まった。
あの中に入っているのはリズが作ったという美味しいご飯。食事も受け付けない身体だったのに、リズの作ってくれたご飯だけは拒絶しなかった。
(今度は何を作ってくれたんだろう)
興味が湧いて椅子から立ち上がったクロウはバスケットの布を取り払う。そこにはまだほんのりと温かいカツレツ、それにサラダとパンが入っていた。
小さな彼女が一生懸命ご飯を作る姿が目に浮かぶ。
「……ありがたくいただくよ、リズ」
リズを思い浮かべながらクロウは目を細めると、テーブルに料理を並べるのだった。
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