第10話



 ヘイリーが離れ棟に顔を出してから、すぐにケイルズがやって来て守護陣の強化を行ってくれた。そのお陰なのかは分からないがそれ以降、影が室内に侵入してくることはなくなった。

 今は日が沈み、夜の帳が下りている。窓の外を見ると、昼間姿を見せなかった死霊が現れて、物欲しそうな目でこちらの様子を窺っていた。辺境地とはいっても、呪いの効力によってどこからともなく死霊は集まってくる。


 クロウは相手を睨み付けた。

「もしも守護陣を破って入って来たなら、容赦なく塩の弾丸をお見舞いする」

 手には常にピストルを携帯し、いつでも撃てる準備をしている。

 すると、背後から声を掛けられた。

「――今夜からは死霊が守護陣を破ることはないと思いますよ」

「……っ!!」

 驚いて後ろを振り向くと、廊下には灯りを持ったヘイリーが柔和な表情を浮かべて立っている。

 離れ棟に入ってくる気配がまったくしなかったので、クロウは思わずピストルを向けてしまった。


「司教、相変わらず突然現れるのはやめてもらえないだろうか? 心臓に悪い」

 銃口を下ろすと、クロウは肩を竦めて小さく溜め息を吐く。

 ヘイリーは一瞬でも銃口を向けられたにもかかわらず、肝が据わっているようで顔色一つ変えない。

「修道院と離れ棟を繋ぐ地下の隠し通路を知って良いのは司教だけですからね。あそこを通ってここへ来るので、驚かれるのも無理はありません」

 部屋の中に入るヘイリーはサイドテーブルの上に灯りとバスケットを置き、懐から半透明のつるつるとした月長石を取り出してこちらに差し出してきた。石の真ん中には六芒星が刻まれている。


「万が一の時に備えて数年前に聖力を溜め込んで作っておいた加護石を持ってきました。どうぞお使いください。これを肌身離さず持っていれば、死霊や影からは襲われませんし自由に出歩くことができます。ただし、呪いが解けた訳ではありませんので、くれぐれも教会敷地内からは出ないでくださいね。何かあった場合、対応できなくなります」

 人差し指を口元に立てるヘイリーから手のひらに収まる大きさの月長石へと視線を移す。

 クロウはそれを受け取るとそれを大事に懐にしまった。全盛期のヘイリーの聖力が込められているだけあって、石に触れた部分からはほのかに温かみを感じる。



「ありがとうございます。スピナの住人や司教に迷惑を掛けたくないので離れ棟周辺からは離れません。ところで、先程仰っていた死霊が守護陣を破ることはない、といのはどういう意味ですか? 塩と聖水を追加したお陰という訳ではなさそうだ」

 クロウが訝しむと、ヘイリーが部屋の隅にあった椅子を二つ真ん中に運んできて一方に腰を下ろした。続いてもう一方を手で示すので、クロウは大人しく椅子に腰を下ろす。


「ここの空気は今朝よりも澄んでいると感じませんか? それも驚くほど清浄です」

 言われてみれば。クロウはそうだと思った。

 ここに来たばかりの頃、離れ棟内はじめじめしていて吸い込む空気もカビ臭く、少し肌寒かった。しかし今はそれらがまったくない。寧ろ、森の中で新鮮な空気を吸っているようだった。

「これは私の憶測ですがリズに懐いている水の妖精が力を貸してくれたのだと思います」

「そんなまさか。リズは何の対価もなしに妖精からこれほどまでの力を借りられたのですか!?」

 クロウは意外な事実に泡を食った。

 平生、妖精から力を借りるには何かしらの対価を差し出さなくてはいけない。


 砂糖菓子を妖精にあげるのは一種のおまじないで、何かあれば彼らが手助けしてくれるかもしれないからだ。とはいえ彼らは気まぐれなので、必ず助けてくれるとは限らない。確実に力を借りるには妖精の愛し子と言われている聖女でなくてはならない。

 妖精たちにとって聖女は側にいて居心地が良く、手を貸したくなるのだという。


「リズが妖精を見て話すことができることは樹海で出会った時から知っていました。しかし、妖精から力を借りられるほどの聖力があるなんて……率直に言って、驚きを隠せません」

 クロウが驚きを隠せない理由は、充分な聖力が発現するのが一般的に十歳からだからだ。その前からも微力な聖力を持つ子供はいるが十歳以下で妖精に力を借りられるほどの聖力を持つ人間は歴史上聞いたことがない。

 ヘイリーはクロウの意見を聞きながら椅子の肘掛けに手を置き、指でトントンと叩く。


「ここからは私の独り言として聞いて欲しいのですが、リズが次期聖女なのではないか、という考えが頭を過って仕方がないのです。まだ確信は持てませんが、妖精はリズによく懐いています。それに、聖女ドロテアの代になってもう十年。そろそろ次期聖女が現れてもおかしくはありません」

 それはクロウも同じ意見だった。


 本来なら聖女は数年ごとに次の聖女候補が現れて交代する。

 聖女が現れると聖物である羅針盤に嵌め込まれた瑠璃が輝き始め、次期聖女となる乙女がいる方角に向かって青い光を飛ばすとされている。しかしこの十年間、羅針盤の瑠璃が輝くことはなく、乙女がいる方角を指し示すこともない。

 次期聖女となる乙女が現れると、大司教が真っ先に王族へ報告をし、教会本部の聖なる乙女の訪れを告げる鐘楼の鐘が鳴り響くのだがそれもない。


「司教の言うとおりいつ次期聖女が現れてもおかしくはないと思います。それにリズは歳のわりに大人びていて聡い」

 それもまた、聖女の資質なのだろうか。だとしたら彼女は素晴らしい聖女になるだろう。

「そういえば、アシュトラン殿がリズを見つけたのは樹海だと言っていましたね? 樹海は本来、人が寄りつかない場所です。いくらリズを殺そうとしたとはいえ、わざわざ樹海へ赴く親がいるでしょうか? 聖国民なら、あそこが妖精界の入り口であることは知っているはずです」

 聖国民にとって樹海は一度入れば二度と出られない恐ろしい場所であると同時に、妖精界へと繋がる入り口がある神聖かつ崇高な場所――聖域となっている。

 立ち入れるのは聖職者や聖騎士といった教会関係者だけで一般人は入ることを許されていない。さらに言うと、聖職者以外が罰を与えることは聖域を穢すことを意味するので重罪に値する。よって、信仰心の厚い聖国民がわざわざ樹海入りするのは不可解だった。ヘイリーが疑問視するのも当然だ。


「確かに言われてみればそうですね。我々聖国民にとってあの場所がどれだけ大切な場所なのか、小さい頃から教え込まれますから」

 そこでクロウの中に、ある一つの仮説が立った。

「――もしかして、リズの親は教会関係者なのでしょうか?」

 ヘイリーを見ると、彼は複雑そうな表情を浮かべていた。

「私もその線を捨てることができないでいます。メライアによるとリズは聖学の中級までの知識を獲得しているようです。実践向きである上級は流石に知らないようですが……。考えれば考えるほど、彼女は教会との関わりが深いように思えて仕方がありません。したがって、羅針盤が光っていない状態で彼女が次期聖女かもしれないことを教会本部へ知らせるのは慎重になるべきです」


 ヘイリーの意見はもっともだ。

 リズが次期聖女かもしれないという憶測だけで動けば、また彼女の身に危険が及ぶ。どんな理由があれ、我が子を亡き者にしようとした親だ。碌な人間ではないのは明らかなので、このままソルマーニ教会で保護した方が得策だろう。

「もしリズが次期聖女だと羅針盤が告げたなら、その時は教会本部が手厚く保護してくれるでしょう。……それにしても、俺が薬草を採りに樹海に入って保護しなければ、今頃どうなっていたことか。もしもリズが死ぬようなことがあれば妖精の怒りを買っていたかもしれません」

 クロウは額に手を当てて嘆息を漏らす。


 すると、ヘイリーが感心した様子で顎に手をやった。

「ほう。アシュトラン殿は薬草を採りに樹海に入り戻って来られるのですね。あそこは聖職者でも決まった道でなければ恐ろしくて通れないというのに。流石は次期伯爵様です」

 ヘイリーは感心した様子で手を叩くとクロウは咳払いをして話を濁した。


「司教、揶揄わないでください。家柄や爵位は関係ありません。教会本部から届いた調査依頼をしに廃墟へ行くため、その準備に薬草とキノコを採りに行っただけです」

 アスランの存在は他言するなと隊員たちにも口止めしていて、教会関係者には報告を伏せている。害のない魔物だとしても彼は生まれつき魔物だ。危険視されるかもしれないので、たとえ気の置けない存在であるヘイリーだとしても秘密にしている。

 クロウははぐらかすように話題を変えた。

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