第9話



「今回みなさんを呼び出したのはこれを渡すためです」

 そう言って机の上に置いたのはつるつるとした緑色が美しい孔雀石だった。石の中には六芒星の模様が入っている。



「これは守護石といって離れ棟の守護陣と同じように悪い物を寄せ付けない力があります。教会の保管室を探してみたら見つかったので、みなさんにそれぞれ渡しておきます。これがあればもしもの時に身を守れますよ」


 次にヘイリーは半透明のつるつるとした月長石を机の上に置くと、「それから」と付け加えた。

「守護石ともう一つ、加護石も見つかったのであとでアシュトラン殿にお渡しするつもりです」

 リズはすかさず手を挙げた。


「司教様、守護石と加護石は何が違うのですか?」

「良い質問ですね。守護石が悪いものから身を守る石であるのに対し、加護石は呪いを受けてしまった人の呪いの悪化を防ぎ、緩和させる力を持っています。両方とも濃厚な聖力が込められています。これがあればアシュトラン殿も自由に外を歩くことができるでしょう。とはいえ、一般の信者が礼拝に来るので安全面を考慮して、動ける範囲は修道院と離れ棟に限定させていただきますが」


 加護石があれば、クロウは自由に歩き回ることができる。離れ棟から出て、日の光を浴びられる。閉じこもっているよりもそちらの方がストレスも溜まらず良さそうだ。

 明るい希望を持つことができて、リズの顔がぱっと輝いた。

「もちろん、リズの作るご飯がアシュトラン殿を元気にします。夕飯も頼みますよ」

「はい、私に任せてください!」

 リズは胸の辺りで拳を作ると元気よく返事をした。






 守護石を受け取って解散すると、リズは再び厨房に戻って作業を開始する。

 入り口の棚に置いていた三角巾を頭に付けてからエプロンをしめる。


『リズ今夜は何作る? 今日は何の日?』

 厨房のかまどへ先に戻っていたイグニスが火を熾しながら尋ねてくる。



 イグニスが何の日かと尋ねてくる理由は、ソルマーニ教会を含む教会には毎日何を主菜にして夕飯を食べるかが暗黙のルールとして決められているからだ。


 因みにソルマーニ教会では豆料理が日曜日と水曜日、魚料理が月曜日、玉子料理が火曜日と金曜日、肉料理が木曜日と土曜日と決まっている。


 山間なので海産物は滅多に捕れないこともあり、魚がない日は他のもので代用している。食材はいつもケイルズが町から仕入れてくれているので、その食材を見てから何を作るか決めていた。

 そして今日は木曜日なので肉料理の日だ。

「今夜はメインにポークカツレツのレモンソース添えを作ります」

『分かった、火が必要な時は任せて』

「ありがとうイグニス」

 まずは付け合わせにニンジンのグラッセを作る。


 ニンジンは皮を剥き、一センチ幅で輪切りにする。小鍋にニンジンと水を入れてから柔らかくなるまで中火で茹でる。柔らかくなったらイグニスに火力を強めてもらい、水分を煮詰めていき、ハチミツとレモン汁を入れてさらに煮詰める。水分がなくなったらかまどから小鍋を下ろし、刻んだハーブをかけて混ぜ合わせる。


 ニンジンのグラッセを冷ましている間に、次はポークカツレツを作っていく。

 豚肉の塊を包丁で食べやすいサイズに薄切りし、包丁の背や麺棒で叩いて肉を柔らかくする。塩とこしょうを振って白ワインをかけて十分間置いておく。

「さて、待っている間にポークカツレツにとっても合うレモンソースを作りましょう」

 温めておいた小鍋にバターを入れて溶けたら白ワインを加えてアルコールを飛ばす。レモン汁を加えて塩とこしょうで味を調えれば簡単にレモンソースができあがる。


 十分寝かせておいた豚肉に小麦粉を振り、卵液をくぐらせて、最後にパン粉を付ける。

 多めに油をいれたフライパンが温まったらそっとパン粉の付いた豚肉を置く。

 ジュウジュウという音からパチパチと軽快な音に変わったところで引っくり返すのがポイントだ。

 両面がこんがりとしたきつね色になるまで揚げ焼きしたら、ポークカツレツをお皿に盛り付けて、先程作っておいたレモンソースをかけ、ニンジンのグラッセを飾りつければ完成だ。


 後は薄切りにしておいたタマネギと一口大にちぎっておいたレタスをボウルに入れ、オリーブオイルと塩で和えれば、副菜のサラダができる。

 朝に焼いておいたパンを温め直してバスケットに乗せれば今夜の献立が出来上がった。



「わあ、とっても良い匂いがするわ」

 美味しそうな匂いに連れられて厨房にやって来たのはメライアだ。

 料理皿を覗き込むと感激した様子で声を上げた。

「嗚呼、今日も凄いご飯を作ったのね。とっても美味しそうだわ」

 食べるのが楽しみだと言うメライアはほくほく顔で食堂に料理を運ぶのを手伝ってくれた。

 小皿やコップ、カトラリーを並べていると夕食の時間になり、ヘイリーとケイルズもやって来る。


 ケイルズは並べられた料理を一目見て眉を上げた。

「おおっ。今日のご飯はとても豪勢だね。そしてこれは世に言うポークカツレツ? 初めて食べる料理だよ!」

 ソルマーニ教会で育ったケイルズは生まれてこの方ポークカツレツを食べたことがないらしい。初めて見る衣を纏った料理に浮き立っている。


「さあ、みなさん席について。食事の前に感謝の祈りを捧げましょう」

 ヘイリーに促されて全員が席に着く。長机の上座にはヘイリーが座り、その隣にケイルズとメライア。向かいにリズが着席する。

 みんなで手を組んで目を閉じると感謝の祈りを捧げた。

「恵みを与えてくださった母なる大地よ、妖精よ、その慈しみに感謝してこの食事をいただきます」

 祈りの言葉を紡ぎ終わるとみんなが一斉にナイフとフォークを手にする。


 ケイルズやメライアは気になっていたポークカツレツへと真っ先に手を伸ばしていた。リズもそれに倣ってポークカツレツから食べてみることにする。

 フォークで押さえてナイフを入れれば、サクッサクッと小気味よい音がして、中の豚肉が肉汁と一緒に顔を出す。それと同時に爽やかなレモンとバターが鼻孔をくすぐる。

 一切れ食べてみれば、サクサクな衣としつこくないバター、そしてレモンのさっぱりとした酸味が口の中でいっぱいになった。


 ふと、周りを見るとみんなポークカツレツの味に目をきらきらと輝かせている。

(このレシピはお城の元料理人さんに教えてもらったものですが、やっぱりいつ作っても美味しいです)

 みんなの姿を見て悦に入ると、ケイルズとメライアが感想を言ってくれた。


「このポークカツレツ、カラッと揚がってて凄く美味しい! それにレモンソースがめちゃくちゃ良い仕事をしてる。リズは料理の天才だね」

「私、今までこんなに美味しい肉料理食べたことないかも! 母さんが作ってくれたカツレツなんか比じゃないわ」

「えへへ。褒めてくれてありがとうございます。みなさんにそう言っていただけると作り甲斐があります」

 はにかみながらリズは二人にお礼を言うと二人がぽっと頬を赤く染める。


「嗚呼、リズは可愛くて料理もできて…天才ね!」

 メライアはリズの可愛らしさと美味しいご飯にメロメロになった。

(こんなに絶賛されたことないので、嬉しいですけどなんだか恐縮してしまいます……)

 ドロテアに引き取られてからはお城の元料理人に教えを請い、美食家である彼女のために定期的に料理を作って出していた。彼女からはいつも「美味しい」という言葉を掛けてもらっていたがここまで大絶賛されたことはなかった。ソルマーニ教会の食事事情を考えればここまで大絶賛されるのは合点がいく。その反面、褒められすぎて気恥ずかしくなる。


 見た目からすればリズは小さな女の子。幼い子供が手の凝った料理を作るのだから、褒めたくなるのも無理はないのかもしれない。

(なんだか騙しているみたいで申し訳ないです。でも事実を言ってしまったら、私がリズベットだということも話さなくてはいけません。そうなると、私はまた教会本部へ連れ戻されて処罰されてしまいます)


 折角ドロテアが妖精女王や妖精たちに力を借りてリズの身体を小さくしてくれたのだ。彼女の恩情を無碍にするわけにはいかない。

(やっぱりこのまま黙っておいた方が穏便に済む……のかもしれないです)

 リズが物憂げに考え込んでいると、ケイルズがリズに聞こえない声でメライアに嘆く。


「嗚呼……今までリズはどんな過酷な環境で育ってきたんだろ。こんな手の込んだ料理、あの歳で作れないよ。それに僕らが褒めても全然調子に乗らないし」

「確かにこれだけの腕前なのにリズったら謙虚よね。私だったらもっと図に乗ってるわよ」

 メライアがフォークに刺したポークカツレツを眺めながら眉根を寄せる。

 すると、ヘイリーが二人に顔を寄せて囁いた。


「人には触れられたくない過去があります。記憶を呼び起こしてリズを悲しませるようなことはしないように。二人とも、良いですね?」

 その言葉に二人は真顔で大きく頷いたのだった。




 食事が終わり、リズが長机の上の食器を集めているとヘイリーに声を掛けられた。

「リズ。アシュトラン殿のご飯はありますか?」

「はい、もちろんです。バスケットに詰めて用意してありますよ」

「そうですか。では私が届けに行きますね。夜は妖精や守護石があるとはいえ、闇の力が増幅してリズには危険です。昼間はまだ安全なので、朝と昼はリズが届けてくれますか?」

「分かりました。……あの、司教様。たまにはお兄さんと一緒にご飯を食べても良いですか?」

 リズは躊躇いながらも尋ねた。


 クロウは呪いが解けるまでずっと一人で離れ棟や修道院周辺で過ごさなくてはいけない。自分の空いている時間は、彼が寂しくないよう側にいて何か恩返しをしたい、というのがリズの願いだった。

 リズの申し出を聞いたヘイリーはにっこりと微笑んだ。

「ええ。構いませんとも。その方がアシュトラン殿も嬉しいでしょう」

「ありがとうございます、司教様!」

 快諾してもらったリズは足取り軽やかに食器を洗い場へと運ぶと、洗い場で皿洗いを始めた。

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