第8話



 ◇


 離れ棟から戻り夕食の準備をしていたリズはヘイリーに呼び出されたので重たい足取りで廊下を歩いていた。

「やっぱり司教様、怒ってらっしゃるでしょうね」

 これからのことを予期して気が気でない。はあっと深い溜め息を吐いていると、一緒に付いてきてくれている妖精たちが口々に言う。


『リズ、ヘイリーに叱られるのが怖いの?』

『リズを泣かせたら僕が仕返しするー』

『完膚なきまでにやっつける』

 三人の妖精は可愛らしい声でとんでもなく物騒なこと言い始める。終いには、どういう方法での仕返しが一番効果的なのか話し始めたので慌ててリズは割って入った。


「あ、ありがとうみなさん。だけど今回は私が悪いので叱られて当然です。お願いだから仕返しはやめて?」

 必死に頼み込むと三人が輪になってひそひそと話し始める。それからこちらを向いてにっこりと笑顔を見せた。

『リズがそう言うなら』

 妖精たちが引き下がってくれたのでリズは安堵の息を漏らす。しかしそれも束の間、司教室の前に辿り着いてしまったのでたちまち緊張を覚える。



 リズは一度深呼吸をしてから控えめに扉を叩いた。返事があったので部屋の中に入ると、何故かケイルズとメライアもいた。

(ま、まさか三人から叱られる?)

 普段温厚な人たちから一斉に怒られる時程、身に堪えるものはない。

 リズは涙目になりながらヘイリーが座っている机の前まで歩いて行く。


「……あの、司教様。お呼びでしょうか?」

「夕食の準備中なのに呼び出してすみません。みなさんをお呼びしたのは報告することがあるからなんです」

 ヘイリーは柔和な微笑みを浮かべていて、いつもと変わらないようにも見える。しかし、一度も怒っている姿を見たことがないリズの心臓はドキドキしっぱなしだった。

(悪いことをした自覚があるなら、自分の非を認めて誠心誠意謝った方が良いですよね)

 先に謝ることを決心したリズはヘイリーが次の言葉を紡ぐ前に勢いよく頭を下げた。


「司教様、勝手に一人で離れ棟へ、お兄さんのご飯を届けに行ってごめんなさい!」

 頭を下げているため、ヘイリーがどんな表情をしているのかリズには分からない。

 少しの間を置いて、ヘイリーがゆっくりと口を開いた。

「そのことなら心配要りません。私もケイルズもメライアも怒っていないですし、リズなら離れ棟へ行っても大丈夫です」

「……え?」

 顔を上げたリズはきょとんとして首を傾げる。


 どうして大丈夫だとヘイリーが言い切るのか分からない。それならケイルズもメライアも大丈夫ということなのだろうか。

 分からないでいると、ケイルズが説明してくれた。

「リズの周りにはいつも妖精が飛んでるだろ? それってつまり、妖精に好かれてるってことなんだ。妖精に好かれている人間は魔物も死霊も手は出せない。彼らの報復ほど怖いものはないから」

「妖精に好かれると魔物も死霊も手が出せないなんて初めて聞きました」

「一般的には聖学の教科書にも載っていない内容だから。僕も司教に教わるまで知らなかったんだ」

「そうなんですか。……でもあれ? そうすると、みなさんには妖精の姿が見えているのですか!?」

 リズが目を丸くすると、ケイルズは頷いた。


「僕たち全員、妖精の姿が見えるよ。リズみたいに気さくに会話することはないけど」

 ケイルズによると、妖精と会話するにはまず彼らの好物である角砂糖やキャンディなどの対価を支払ってからでないと話し掛けられないらしい。しかも話し掛けて答えてくれるかもその妖精の気分次第だ。

 リズのように無条件で妖精が自発的に話し掛け、動いてくれることは大変珍しいようだ。


「どうして妖精が見えていることや、妖精の性質を教えてくれなかったのですか? 私、知らなかったです。それにてっきり叱られると思って……ずっと思い悩んでいました……」

 気づけば瞳には水膜が張り、目尻から涙が零れそうになる。

 元の姿、十七歳のリズならこれくらいのことで感情に振り回されることはなかったのに、何故か七歳のリズには抑えることができない。

 すると、メライアが優しく抱き締めて背中を撫でてくれた。


「嗚呼、リズ泣かないで。聖学の勉強を一緒にしているけど、まだそこまで内容が辿り着いていなかったのよ」

 リズはメライアの時間がある時に彼女から少しずつ聖学について学んでいる。習っている内容は教会本部にいた頃の知識が大半で代わり映えがしなかった。

「進み具合がゆっくりだったのは、都会から田舎に来たって聞いていたから新しい環境に慣れるまでは様子を見ていたのよ。だけど、知らないことばかりで却って混乱させてしまったわね」

 リズはメライアの言葉に虚を衝かれた。


 そうだ。ここでの生活は始まったばかりで知らないことが多い。それが当たり前のはずなのに、自分はもうスピナの暮らしに慣れていると思い込んでいた。

 王都と違って田舎は妖精の姿が見える人が多いとクロウが言っていた。都会と田舎ではいろいろと見えてくるもの、学ぶものが違うようだ。

 ヘイリーも席を立ってリズの側に寄るとしゃがみ込む。


「説明不足でいろいろと不安にさせてしまいましたね。ですが、リズにはこれからも離れ棟へ行ってアシュトラン殿のご飯を届けて欲しいのです。これはあなたにしかできないことで、守護陣の補強が終わったら改めて頼もうと思っていました」

「そうだったのですね。私こそ先走ってしまってごめんなさい」

 リズが謝ると、あやすようにヘイリーが頭を優しく撫でてくれる。


 すると、今まで大人しかった妖精たちが急に怒り始めた。

『ああーっ! リズを泣かせたの!!』

『成敗してくれるー!』

 目を吊り上げるアクアとヴェントが手を上にあげて、自分の身体よりも大きな球を作り始める。

 ヴェントの球からは風が吹き荒れ始め、アクアの球からは雨雲が発生し、室内にいるにもかかわらず雨が降り始める。風と雨が合わさって嵐が出現した。


 本棚にあった本が風によって吹き飛ばされ、大雨によって全員ずぶ濡れになる。

「待ってくださいアクア、ヴェント。みなさんは悪くないから仕返しなんかしちゃだめっ!!」

 リズが必死に叫ぶと、途端に風と雨がピタリと止んだ。

 なるほど。妖精を怒らせるとどういうことなのか。なんとなく分かった気がする。


 妖精に好かれているリズが泣いた時でさえこうなのだから、愛し子であるドロテアの場合はもっと強大な力が働くのだろう。隣国から一目置かれている理由を改めて実感した気がする。

『だけどリズ、虐められて悲しかったんじゃないの?』

 イグニスから控えめに尋ねられて、リズはきっぱりと否定した。


「ううん。今のはちょっと、感情が高ぶってしまっただけです。だからここにいる司教やケイルズ、メライアを傷つけることは絶対にだめ。みんな私の大事な家族です。イグニス、濡れてしまった室内を乾かすことはできますか?」

『リズが望むなら』

 イグニスは室内を飛び回りながらキラキラとした赤色の粉を振りまいていく。それが床に落ちると、水分が蒸発して瞬く間に乾いていった。濡れてしまった衣服や家具、床なども元通りになった。ヴェントも床に散らばった本を元通りに戻してくれた。



「さて、仕切り直しといきましょうか」

 ヘイリーはパンッと手を叩くと改めて席についた。

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