第7話
(そう言えば教会本部で一度、洋梨のタルトを食べたことがあったが……今みたいに美味かったな)
あれは丁度半年前、教会本部へ招集された時だった。あの時は突然招集を掛けられて不眠不休で要塞から教会本部へ向かったため、何かを食べる余裕もなかった。なんとか時間には間に合ったが、目的の会議場まで辿り着けず困り果てていると、籠を提げた、素朴な少女がこちらに気がついて話し掛けてくれた。
事情を説明すると彼女は行き先が同じだと言って道を案内してくれた。
何をしに行くのか尋ねると、大司教のために焼いた洋梨のタルトを届けに行くのだという。そして何を思ったのか、彼女は味見と称して一切れ分けてくれた。
最初は丁重に断ったが、しっとりとした梨とアーモンドが香るタルトを目の前にして、空きっ腹をこれ以上我慢させることはできなかった。
行儀は悪いが立ち止まって一切れ食べると、それは大変美味だった。
コンポートされた梨は舌の上で蕩けるように甘く、タルト生地のアーモンドのほろほろとした食感とよく合っている。梨は聖国で食べられる定番フルーツの一つなので、もちろんそれを使ったお菓子は伯爵家でも出されたことはあるし、食べたこともある。それなのに今までにないくらい感動したのは初めてだった。
美味しいことを伝えると、少女ははにかみながら自分の自信作だから褒めてもらえて嬉しいと言っていた。
何となく彼女の名前が気になって尋ねようとしたが、丁度知り合いの聖騎士に呼ばれたのでそのまま名前を聞かないまま別れてしまった。
(何故……あの少女の記憶が蘇ったんだろう)
そこでふと、クロウはリズがあの少女と似ていることに気がついた。あの少女と同じシルバーブロンド色の髪と青い瞳。見た目もどこか似ている気がする。恐らくそれで思い出してしまったのだろう。
あの時出会った少女の腕は相当だったと思う。しかし、それよりも驚くべきはリズの方だ。何故なら、届けてくれたご飯を作ったのはリズだというのだから。
(リズは七歳くらいの子供。それなのにもう料理ができるなんて驚きだ。味付けは優しく、労ってくれているのがよく分かった。こんな危険な場所に単身乗り込んできたことは感心しないが、俺を思ってのことだろう……)
とはいえ、彼女の安全のためにもきちんと忠告はしておかなくてはいけない。
クロウが危険な場所に来てはいけないことをやんわりと注意すると、リズは自分の取った行動が良くないことだということを充分理解しているようだった。
きつく責めるつもりはないが、万が一自分が目を離した隙にリズが襲われたら彼女を守れない。あんなに小さな子がまた苦しむ環境に置かれるなんてクロウには耐えられなかった。
クロウがリズを心配しているといつの間にかヘイリーが現れた。
彼はリズがここに一人で来たのは自分がお願いしたからだと言った。それを聞いて最初は怒りを覚えて彼のやったことに口出したが、リズをよく観察すると後ろめたそうに視線を泳がせている。その様子を見て、彼が庇っているのだと悟ったクロウはそれ以上何も言えなかった。
ヘイリーはリズを修道院へ帰るよう言いつけると部屋の扉を閉める。
クロウは息を吐くと改めてヘイリーに感謝の意を述べた。
「この度は教会の扉を開いていただきありがとうございます。あなたでなければ、きっとこんなにも早く対応はして頂けなかったでしょう」
「そんなことありません。聖職者たるものこれくらい当然のことですよ。今、ケイルズとメライアに清めの塩と聖水を準備させています。今の私が保有する聖力だけでは心もとないので、それらを使って守護陣を強化しておきます。それと、塩の弾丸を追加で届けに来ました」
「ありがたく頂きます」
丁度手元の残り数が少なかったのでこの差し入れは非常にありがたい。何から何まで手を尽くしてくれるヘイリーにクロウは頭が下がる思いだ。
腰のベルトに付けているケースに弾丸を収納していると、ヘイリーが指を差して尋ねてきた。
「ところでアシュトラン殿、ポケットから出ているそのチェーンは?」
クロウはポケットに入っている物の存在を思い出して、あっと声を上げる。
「そうだ。これを司教にお見せしようと思っていました」
ポケットから出したあるもの――それは錆びてしまったオーバル型のロケットペンダントだ。
死霊が消えた場所に落ちていたもので、何かの手がかりになると思って持ち帰っていた。
「表面は錆びていますが、中の状態はそれほど悪くありません。廃墟内と比べると劣化してまだ日も浅いです」
クロウはロケットペンダントを開いて中に描かれている絵をヘイリーに見せた。そこには若い女性の絵が描かれている。茶色の髪に青い瞳をしている彼女は優しく微笑んでいた。
「死霊が生前に持っていたものだと思います。この絵の女性を見たことはありますか?」
クロウはヘイリーの様子を窺った。
この絵の女性がスピナの住人なら、持ち主である死霊もここ近辺の住人に違いない。彼女がどこの誰なのかが判明すれば亡くなった原因も突き止めることができるだろう。
クロウが期待に胸を膨らませているとヘイリーから意外な言葉が返ってきた。
「……絵を見る限りこの女性はスピナの住人ではありませんね。これは憶測ですが死霊は生前、どこかで人攫いにあって、廃墟に連れ込まれてしまったのかもしれません。ところで彼女の亡骸はありましたか? まだあるのなら安らかに眠らせてあげたいのですが」
「いいえ、亡骸は見当たりませんでした。さらに言うと、死霊を倒した直後に廃墟が崩れてしまい、我々も命からがら脱出しましたので、もし亡骸があったとしても、もう救い出すことはできません」
「そうですか。では廃墟のある方角に向かって後でお祈りをすることにします」
物憂げな表情のヘイリーは胸の上に手を置いて目を伏せる。
クロウはロケットペンダントの蓋を閉じて再びポケットに戻した。
「すみません。助けて頂いてばかりで何のお役にも立てず……」
クロウが面目ないと頭を下げるとヘイリーが狼狽した。
「何を仰るんですか。聖騎士の死者を出さなかったアシュトラン殿は大変ご立派ですよ。魔物の多いこの地域で死霊が現れるなんてイレギュラーです。聡明な判断がなければ死者が出ていたかもしれません。呪いのせいですべてが後ろ向きに思えてしまうのかもしれませんが、どうか気を確かに。あなたがスピナに赴任されて一年経ちますが、その間スピナの住人は一度も魔物に襲われずに済んでいます。大変素晴らしいことです」
ヘイリーは「今はゆっくり休んでください。いずれ聖力のある司教が来ますから」と言い残すと、バスケットを手にして帰っていった。
(ゆっくり、か……)
クロウはヘイリーがいなくなった廊下を見つめながら、額に手をやると前髪を掻き上げた。
正直、ゆっくりしている暇はあまりない。この辺境地に来て一年――もう一年も経ってしまっている。心の中では日増しに焦りが募っている。
(早くこの任務を終えて戻らなくては……陛下の命で潜入しているが時間が掛かりすぎている)
溜め息を吐くと、クロウは弾丸の装填が途中までだったことを思い出し、黙々とピストルに弾丸を詰め始める。
クロウが聖騎士団に所属している本当の理由、それは彼が信仰心に厚いわけでも噂にある戦闘狂だからでもない。教会内部に潜り込み、腐敗の実態を暴く証拠集めのため、ひいてはこのアスティカル聖国の国王・ウィリアムの密命を受けてのことだった。
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