第6話



 ◇


 クロウは今回ほど自分の失態を悔いたことはなかった。

 辺境地であるスピナ周辺は魔物ばかりが出没する。その思い込みに囚われてしまったせいで死霊に対する備えが不十分となり、悲劇を招いてしまった。

 聖騎士団第三部隊シルヴァは要塞で暮らしていて、山から魔物が人里へ下りて来ないか常に監視する。そして、有事の際は戦うのが役目だ。


 人や物が行き交う交易路であればもっと魔物対策や道の整備に投資がいくだろうが、あいにくここは辺境地。接している隣国とは別ルートで交易路が確保されているし、そちらは商業都市が多く栄えているのでわざわざスピナを通って隣国へ向かう者はほとんどいない。

 それに時季的に魔物の動きが活発になるので山間を抜けて隣国へ行く人間は極めて少なくなる。


 当然のことながら、シルヴァは活発になった魔物の討伐に向けて対策を練っていたのだが、その矢先に教会本部から調査依頼がクロウのもとに届いた。

 内容は、国境沿いにある廃墟に禍々しいものが住みついていないか調査して欲しいというものだった。人が住まなくなった邸は邪気が滞りやすく、魔物たちの住処になりやすい。数年に一度、シルヴァが魔物の巣がないか調査を行い、あれば駆除することになっていた。



 依頼書を確認したクロウは禍々しいものが魔物だと思い込んだ。魔物から受けた傷や毒に効く薬草やキノコを樹海で採り、備えを万全にして廃墟へと向かった。

 ところが、副隊長のマイロンも含めて十数人で廃墟に訪れてみると、そこにいたのは魔物でなく女の死霊だった。


 通常、幽霊は充分な聖力がなければ視認することはできない。しかし、怨念が積もりに積もった死霊の場合は聖力を持っていなくても認識することが可能だ。クロウを含む全員が死霊の姿をとらえていた。

 長い髪を振り乱し、落ち窪んだ眼窩がんかの底で、激憤の炎を燃やしている。

 女はこの世に未練があると同時に怨恨を抱いているようで、生きている自分たちに気づいた途端、襲いかかってきた。


 一つ、ここで説明をしておくと魔物と死霊の倒し方は真っ向から異なる。

 魔物は額にある核と呼ばれる部分を破壊するかくびを落とすことで倒すことができる。対して肉体を持たない幽霊に有効なのは塩の弾丸を霊体に撃ち込むこと。


 禍々しいものが魔物だと思い込んでしまっていたせいで、シルヴァの隊員たちは拳銃を持っていたが塩の弾丸を充分用意していなかった。そのため前線で戦っていた隊員の一人が弾切れを起こして死霊に襲われそうになった。

 クロウは隊員を庇いつつ、塩の弾丸を霊体に撃ち込んだが相打ちとなり、死霊の接吻を頬に受けてしまった。

 死霊は狂気に満ちた瞳で薄気味悪い笑みを浮かべていた。


『あははははは! 聖騎士、ざまあないわね。あんたも私と同じように苦しむといいわ。あいつに呪いを掛けられなかったのは残念だけどあんたに呪いを掛けられたんだから少しは満足よ。……早くあいつが玉座から転がり落ちることを祈っているわ。だってあそこは――私の居場所だったんだから……』

 死霊はそう言い残すと跡形もなく消失してしまった。

 クロウは最後の言葉が妙に引っかかったが、一刻を争う状況だったのですぐに下山してソルマーニ教会へと駆け込んだ。


 死霊の接吻を受けた人間は死霊などの悪霊を引き寄せる体質になると言われている。放って置けば周りにいる呪いを受けていない者にまで累が及ぶので先を急いだ。

 深夜に教会を訪問したにもかかわらず、ヘイリーは事情を知るとすぐに離れ棟へ案内して、さらには守護陣を施してくれた。守護陣があるのだからこれでましになるだろうと、クロウは高を括っていた。

 しかし、ヘイリーの守護陣は死霊の侵入を防ぐことができても影の侵入を防ぐことはできなかった。影が窓の隙間から幾度となく入り込んできては魂を貪り喰おうと狙ってくる。


 ヘイリーから万が一に備えて塩の弾丸を袋いっぱいにもらっていたがすぐに役に立つこととなった。次々と忍び寄る影に塩の弾丸を撃ち込んで倒していく。そうこうしているうちに夜明けになり、太陽が顔を見せ始める。日が差せば影の活動も弱まると思っていたが影の数が少し減っただけで状況は芳しくなかった。


(まだ一日も経っていないのにこの有様とは。あの死霊の怨念は相当だったらしいな。司教の聖力が万全なら、こいつらが入り込む余地はなかっただろうが、今は考えても仕方がない。……問題は俺の体力がいつまで持つかだ)

 死霊の接吻を受けた人間は日に日に生気がなくなって眠ることも食べることもできない廃人になると言われている。まだ寝なくても平気だが、問題は食事だった。体力をつけるために携帯用の干し肉を口に含むと身体が受けつけず、吐き戻してしまった。早速呪いの洗礼を受ける形となり、その後もドライレーズンで試してみたが無理だった。


 空腹のままでは思考が鈍って素早い判断ができなくなってしまう。思い悩んでいると、部屋の外から何かが入り込む気配がする。腰に剣をさし、ピストルに塩の弾丸を詰めてから廊下へと向かうと、そこには小さな女の子――リズがバスケットを持ってこちらに向かってきていた。

 離れ棟なんて言葉を耳にしただけでも恐ろしいというのに、わざわざリズは自分のためにご飯を持って来てくれた。だが、身体は既に食べ物を受けつけなくなっている。折角危険を冒してまで届けてくれたのに無駄足を踏むだけになってしまう。


 吐き戻している姿は情けないので見られたくなかったが、必死に訴えるリズの姿はいじらしく、とうとうクロウはスープを食べてみることにした。

 するとどうだろう。

 不思議なことにスープはするすると喉を通っていった。野菜を噛んでいる間も吐き気をもよおすことはない。パンだっていつも通り美味しく食べることができた。

 クロウは夢中になってスープを食べ、漸く空腹を満たすことができた。



 これほど心に染みるご飯を食べたのはいつぶりだろう。

 伯爵家に生まれて何の苦労もせずに生きてきたと思われがちだがそれは違う。アシュトラン家の家庭環境は最悪も最悪だった。愛人に溺れる父と嫉妬に狂う母。居心地の悪い邸で食べる食事は砂を噛むようなものだった。

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