第4話



 軽くパニックを起こしていると、隣に立っていた人はリズと同じ目線になるようにしゃがんでから優しい声を掛けてくれる。


「大丈夫だ、何も怖いことはしない」

 聞き覚えの声に反応したリズはぱっと顔を上げた。

「――お、お兄さん!!」


 リズはクロウの名前を呼んだが、彼の様子を見て言葉を失った。

 クロウの顔色は悪く、目の下にはクマができている。樹海で出会った時の溌剌さが微塵もなく、疲弊しているのが一目瞭然だった。

 クロウは生気のない目を細めた。


「怖がらせてしまってすまない。誰も入ってこないと聞いていたのに気配がしたから。悪い何かが入り込んで来たのかと思って様子を見に来たんだ」

「……そうだったのですね」

 痛ましい姿に心を痛めるリズは声を絞り出して答える。

「それにしてもリズ。君はここに来てはいけない。危険な場所だから早く出ていくんだ」

 クロウは尻餅をついているリズを抱き上げてから、ゆっくりと床に降ろして立たせてくれた。


「危険な場所だと知っています。でも私、お兄さんの役に立ちたくて」

「俺の役に立ちたかった?」

 尋ねられてリズはこっくりと頷いた。

「そうです。それで私――」

 すると、リズの言葉を遮るように奥の部屋から呻き声が聞こえてきた。

 おどろおどろしい声にリズが立ち竦んでいると、クロウが優しく頭を撫でてくれた。


「俺が必ず守るからリズはここにいて。向こうに敵がいるんだ」

「敵って死霊のことですか? だけど、お兄さん一人で戦うなんて……」

 とても疲弊しているから難しいのではないか。


 明らかに体調が悪そうな状況下でクロウが死霊と戦うのは分が悪い。

 せめてパンを一口でもとリズが提案しようとするが、目を離した隙にクロウの姿は消えていた。声のする方へ頭を動かすと、クロウが部屋の中に入っていく姿が見える。

「待って!」

 リズはバスケットを持ち上げると、クロウの後を追いかけた。



 呻き声のする部屋に到着すると、開かれた扉からリズは部屋の中を覗き込む。部屋には黒い人影のようなものがいくつも現れていて、呻き声を上げながらクロウの周りを彷徨っていた。

 初めて見る恐ろしい生き物に、リズは困惑した。


「あれは一体何ですか!?」

『あれは死霊の怨念――影と呼ばれるものだよ。ここには守護陣が張られているから死霊自体は入り込めない。だけど影を飛ばすことで、死霊の接吻を受けた人間を弱らせることができる』

 イグニスが説明してくれたところで、丁度影が一斉にクロウに襲いかかる。


「悪いな。俺はまだおまえたちに魂を喰われる訳にはいかないんだ」

 クロウはピストルを構えると弾丸を黒い影に撃ち込んでいく。

 弾丸を撃ち込まれた影はつんざくような悲鳴を上げながら跡形もなく消失するが、その悲鳴はガラス窓に爪を立てて引っ掻くような音で、リズは堪らず両耳を塞いだ。

 その間もクロウは顔色一つ変えずに的確に影を仕留めていき、漸く最後の一体が消失した。


「……一旦退いたか。日が落ちれば死霊が集まって、そのうち守護陣を破って中に入り込んで来そうだな」

 クロウは舌打ちをしながらリボルバーに次の弾丸を装填する。だが、指から弾丸が床に滑り落ちると同時に彼はその場に蹲ってしまった。

「お兄さん!! 大丈夫ですか!?」

 リズは慌ててクロウの元へと駆け寄った。


 額には珠のような汗をかき、息遣いは荒い。先程よりも顔色がさらに青白くなって悪化している。

 名前を呼ぶとクロウはゆっくりと顔をこちらに向けた。

「リズ、どうして追ってきたんだ? ここは最も死に近い場所。一緒にいれば君も危険な目に遭う。早くここを離れるんだ」

「ありがとうございます。でも、今はお兄さんが心配です。何かして欲しいことはありませんか?」

 リズが尋ねるとクロウは少し困った表情を浮かべた。


「君みたいな小さい子に頼むことじゃないが……立ち上がるのを手伝ってくれないか。さっきの戦闘で体力を消耗してしまって、身体が鉛のように重いんだ」

「分かりました」

 リズはクロウに手を貸した。

 さりげなくヴェントが力を使って補助をしてくれたお陰で、彼をベッドに座らせることに成功した。

「ありがとう。……ところで、そのバスケットはなんだ?」

 クロウはリズが持ってきていたバスケットに気づくと指さした。


「あ、そうでした。私、これを届けに来たんです」

 リズはバスケットから水筒を取り出して深めの皿にスープをよそう。

 熱々の鍋から水筒に移したばかりなのでまだスープからはほわほわと湯気が立ち上っている。ベーコンのスモーキーな香りとセロリの独特な香りが室内に立ちこめる。

 リズはベッド脇のテーブルの上にスープとパンを置くと、スプーンを差し出した。


「このスープとパンを食べてください。きっと心がホッとします。少しでも食べないと体力が持ちませんよ」

 にっこりと微笑むリズに対して、クロウは困惑する。

「気持ちは大変ありがたいんだが……」

「お兄さん、呪いに打ち勝つには体力が必要です。死霊の接吻を受けてから何も食べていないのであれば、なおのこと。身体には栄養が必要ですよ!」

 リズは真剣な面持ちで身を乗り出すようにして訴える。


 それでもクロウは困った表情を浮かべるだけで手を動かそうとしなかった。

 大変な目に遭って食事も喉を通らないのかもしれないが、せめて一口だけでも食べて欲しい。

「こんな状況でお腹は空いていないのかもしれませんが、少しでも……一口だけでも食べましょう」

 リズが必死に何度も訴えると、とうとうクロウが根負けした。

「……分かった。じゃあ、一口だけ」

 クロウはリズから木製のスプーンを受け取ると、細かく刻まれたタマネギやベーコンを掬って口へと運ぶ。

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