第2章 リズの癒しご飯

第1話



 リズがスピナに来てから二週間が過ぎた。

 王都の暮らしから辺境の暮らしになって変わったことは時間がゆったりと流れていることを肌で感じられることだ。


 王都の教会本部では毎日めまぐるしい一日を過ごしていたが、辺境のソルマーニ教会ではその日できることをすれば良いという方針なのでとてものんびりしている。

 時間があれば畑の水遣り、草むしり、聖学の勉強をするくらいで後は自由時間だ。必ずしなくてはいけないことは、掃除と洗濯。朝の祈りをしに礼拝堂へ行くこと。

 そして――美味しいご飯を作ることだ。




 メライアがリズの作ったレンズ豆のスープを食べたあの日、彼女は興奮冷めやらぬ状態でリズをヘイリーがいる司教室へ連れて行った。そして、リズの料理の腕がどれ程凄いのかを力説し、是非料理担当にと推薦してくれた。


 リズはヘイリーとは初対面だったのでまずは自己紹介も兼ねて挨拶をした。

 ヘイリーは面長な輪郭で、細い目は榛色をしており、白髪の交じった茶髪の初老男性だった。


 話を聞いたヘイリーはこんな小さい子供に厨房を任せるのは危ないと難色を示したが、メライアが水筒に入れて持ってきたレンズ豆のスープを食べると、あっさり納得してくれた。

 リズは自分を断罪した司教のように厳しい人だったらどうしようと始終びくびくしていたが、ヘイリーから醸し出される優しい雰囲気に緊張の糸がほぐれた。


 ヘイリーは「こんなに凄い料理を作れるなんてリズは立派なコックさんだね」と頭を撫でて褒めてくれた。

 どうやらこの教会にとって食事は最大の問題だったようで、まともに料理ができる人間が誰もいなくて困っていたようだ。

 これまではメライアが料理を行っていたが彼女の料理スキルは壊滅的だった。ヘイリーとケイルズはメライアよりももっと酷く、包丁を握ることすらできない。美味しいご飯が約束されるならとヘイリーはその日からリズを教会の料理担当として任命してくれた。


 それから会いたかったクロウはというと、既に要塞に帰ってしまった後だった。

 結局きちんとお礼が言えないままになっているので残念で仕方ない。


 ヘイリー曰く、非番になったら会いに来ると言っていたらしいが、それはなかなか難しいみたいだ。

 第三部隊シルヴァは他の部隊と異なって常に魔物に備えて要塞で待機していなくてはならない。隊長という立場もあり、そう簡単に休むのは難しいのだろう。


 クロウやアスランに会えないのは寂しいが、ヘイリーを含む教会の聖職者たちはみんなリズに優しく、暮らしていてとても居心地が良かった。何よりもみんなが「美味しい」と言って毎日喜んでご飯を食べてくれる姿は作り甲斐がある。

(みなさんのために、私にもできることがあって良かったです)

 こうしてリズは、すぐにソルマーニ教会になくてはならない存在になったのだった。






 小鳥のさえずりで目が覚めたリズはベッドからもぞもぞと起き出すと、両開きの窓を開き、鎧戸を開ける。今日も快晴で爽やかな空気が風に乗って室内に入ってくる。


『リズ、おはようなの』

『おはようー』

 窓を開けると青色を帯びた水の妖精と緑色を帯びた風の妖精がひょっこりと顔を出す。二人は樹海で出会ってから、ずっとリズについてきてくれていた。


「おはようアクア、ヴェント」

 水の妖精さん、風の妖精さんと呼ぶのは長いので、水の妖精にはアクア、風の妖精にはヴェントという名前をつけさせてもらった。二人ともその名前で呼んでも嫌がらないので気に入ってくれているみたいだ。

 挨拶をしていると、遠くからもう一つふわふわと光る球体が飛んでくる。


『おはよう。リズ』

 目を擦りながらやって来たのは赤色を帯びた妖精だ。

「あら、おはようイグニス」

 最後に現れたイグニスはこの教会の厨房で出会った火の妖精。他の妖精とも交流があるが、この三人とは特に仲良しだ。

 遅れてやって来たイグニスを見てアクアが頬を膨らませる。


『イグニスったら寝ぼすけなの。もっと計画的に動くべきなの』

『そんなことないよ。アクアがせっかちなだけだよ!』

『はあ? 失礼なのっ! 行動が早いって言って欲しいのっ!』

 ぷりぷりと怒る彼らは可愛らしいが激しさが増してはいけないので慌てて止めに入る。


「こらこら二人とも。角砂糖をあげるから喧嘩しないで」

 リズは瓶の蓋を開けて角砂糖を三人に一つずつ手渡していく。

『わあい! お砂糖!!』

 妖精たちはパッと笑顔になるとお礼をいって受け取った。何の変哲もない角砂糖だが大好物のようなので、定期的にあげている。すると、角砂糖を大事そうに抱えるヴェントが思い出したように口を開いた。


『あ、大事なことを言い忘れてたー。もうすぐこわーい人が教会に来るから気をつけてー』

「怖い人?」

 それはもしかして、教会本部の人間だろうか。小さい女の子の姿になっているので大丈夫だとは思うが、自分が生きていることがバレてしまったらどうしよう。

 不安な気持ちで胸がいっぱいになる。


『リズは大丈夫なの。彼に近づいても問題なしなの』

『いざとなれば僕たちが守ってあげるー』

『問題は他の人たちだよ。ヘイリーでも打つ手がないよ』

「ええっと、司教様でも打つ手がないってどういうことです? もう少し、分かりやすく教えてくれませんか?」

 妖精たちが話すことは時折曖昧で何を言っているのか分かりにくい。


 リズが詳しい事情を訊こうと説明を求めたが、妖精たちは角砂糖に我慢ができなくなったようで食事をするためにどこかへと飛んでいってしまった。

「怖い人って……一体誰でしょう?」

 まったく見当がつかないリズは、腕を組んで首を捻るばかりだった。



 仕方がないので気を取り直して、メライアが作ってくれた水色のワンピースに袖を通し、顔を洗って身支度を調えると、朝の祈りのために礼拝堂へと向かう。

 既にケイルズとメライアは集まっていて、リズが席につくと、丁度ヘイリーがやって来た。


 妖精たちが予告していたとおり、思い詰めた様子のヘイリーが祭壇へと上がる。

「おはようございます。朝の祈りの前に、一つ報告することがあるので聞いてください」

 ヘイリーは周囲をぐるりと見回してから深刻そうに口を開いた。


「実は、昨夜遅くから第三部隊シルヴァの隊長であるクロウ・アシュトラン殿が修道院のに隔離されています」

 その話を聞いて、ケイルズとメライアの二人のうちのどちらかのヒュッと息を呑む音が聞こえてきた。

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