第7話



 修道院の外観は礼拝堂同様立派だが、中はシンプルで親しみのある空間だった。昼過ぎということもあるせいか、他の聖職者とは一人も遭遇しない。

 最初に案内された場所は綺麗に掃除された個室だった。右端にベッドがあり、その隣には四角い窓が一つある。ベッドの反対側に机が置かれていて、その隣にはキャビネットもあった。


「今日からここがあなたのお部屋よ。私の部屋の隣だから、何かあればいつでも訪ねてきてね。トイレとお風呂は廊下の突き当たりにあるわ」

「分かりました。お姉さん」

 するとメライアは相好を崩した。

「あら、私のことはメライアと呼んで。ケイルズもケイルズでいいわ。リズと同じくらいの子からそう呼ばれているのよ」

「分かりました。メリャイア。……すみません、メライア」


 普通に言ったつもりなのに舌がもつれて言い間違えてしまった。名前を言い間違えるなんて失礼だとリズは内心ひやひやする。

 メライアを一瞥すると、彼女は頬に手を当てて何故だか嬉しそうにしていた。

「はああ、可愛い。……えっと、発音しにくい名前だから気にしないで。次のところへ案内するわね」



 メライアにトイレやお風呂、脱衣室など、普段使いそうな部屋を案内してもらってから、最後に食堂へ足を運ぶ。



 食堂は奥に厨房へ続く入り口があり、部屋の中央には長机と長椅子が並んでいる。壁際には食器棚があり、木製の食器類が綺麗に収納されていた。


「今は食事時じゃないから昼の残りしかないんだけど。まだたっぷりあるから用意するわ。食事は私が担当なの」

 椅子に座るよう促されたのでリズは素直に席につく。

 樹海からここに来るまでひとっ飛びではあったが小腹が空くくらいには時間が経っている。折角なので好意に甘えさせてもうことにした。


「ねえ、メライア。質問なのですが、ここには他に誰がいるのですか?」

「大きな教会にはたくさんの聖職者がいるんだけど、ここは辺境地だから。私と修道士のケイルズ、それから司教のヘイリー様の三人しか聖職者はいないわ」

「思ったよりも少ないですね」

「あら、リズは都会の教会に行ったことがあるのかしら? 聖職者の数は都会に比べるととっても少ないけど、聖騎士の数は多いわよ。普段は要塞で任務に就いているからあまり顔をあわせないんだけど……確か二十人くらいね。クロウ様はそこの部隊の隊長をしているわ」

「お兄さんからも聞きました。隊長さんだなんて凄いですよね」


 すると、メライアがこちらを向いて「ここだけの話だけど」と前置きをした。

「クロウ様個人も凄いけど、実は彼、アスティカル聖国の貴族であるアシュトラン伯爵家の人間なの。しかも嫡男だから正統な後継者よ」

 リズはその名前を聞いてぴくりと身体を揺らした。


(アシュトラン……伯爵家……クロウ・アシュトラン)

 フルネームを頭の中で呟いた途端、リズはあることを思い出した。

 クロウ・アシュトラン――その名前は教会本部で何度か聞いた名前だった。


 通常、貴族の子供なら聖国の騎士団に所属するか教会の聖騎士団でも第一部隊サラマンドラに所属する。それにもかかわらず、彼は第三部隊シルヴァに自ら志願した。

 彼の腕ならサラマンドラの隊長も務まると聖騎士の誰かが話しているのを聞いたことがあったし、どうしてわざわざシルヴァに志願したのか不思議だった。

(平和な聖国では戦争は起きません。シルヴァは魔物の討伐が多いみたいですし、もしかしてシルヴァに志願したのは戦闘狂……とか?)


 しかし、クロウのことを思い返してみても戦闘狂な印象はまったく受けなかった。寧ろ優しくて親切な人、というのがリズの印象である。

 あれこれ思案していると、いつの間にか目の前にはほわほわと湯気が漂うレンズ豆のスープとこんがりと焼かれた――少々焼きすぎたパン、ミルクが並んでいる。


 メライアが厨房から持ってきてくれたようだ。

「冷めないうちに召し上がれ。おかわりもあるからね」

「ありがとうございます。いただきます」

 リズはスプーンを手に取ると、スープを口に運んだ。


「……っ!?」

「どう? 美味しい? みんなからは不評なんだけど都会暮らしのリズの口に合うんじゃないかしら?」

 口に入れた途端、表現のできない味にリズは言葉を失った。


 美味しそうな見た目とは裏腹にその味は期待を大いに裏切る惨事となっている。スープがたくさん残っている理由はこの味つけのせいだ。しかもスープ皿の底から出てきたタマネギとニンジンは焦げ付いているのに、メインのレンズ豆はまだ煮えていない状態だ。


(……身体が小さくなってしまったからできることは限られていると思っていましたけど、料理くらいならやれるかもしれません。メライアに代わって私が料理をしましょう。ここに置いてもらう以上、できることをして役に立たないと)

 舌に残ったスープの味をミルクとパンで消したリズはメライアに向き直った。


「メライア、もしかして料理を作るのが苦手ですか?」

「うっ、それは……」

 図星を突かれたメライアは顔を真っ赤にさせ、目を泳がせてから俯いた。

「あの、試しに私がレンズ豆のスープを作ってもいいですか?」

「えっ? だけど、小さなリズに厨房は危ないんじゃ……」


 メライアはリズに包丁を持たせたり、かまどの火を使わせたりすることは危険なのではないかと心配しているようだ。リズは首を横に振ると自信満々な笑みを浮かべる。

「私、ここに来るまで毎日料理を作っていたので包丁もかまどの火も平気です。なので、まずは私の作るレンズ豆のスープを食べてみてから、今後どうするか判断してください」

 メライアは少し考えた後、側で見守るのを条件に調理することを了承してくれた。

 そうと決まれば、リズはそそくさと厨房へと足を運ぶ。



 身長が小さいので踏み台を借りて調理場に立ち、服の袖を捲る。


 まずは調理台に残っていたレンズ豆をさっと水で洗ってからザルに上げて水気を切る。それからタマネギとニンジンをみじん切りにして熱した鍋にオリーブオイルをひいてみじん切りにした野菜を炒める。ある程度炒まったら水を入れて煮立たせ、ぐつぐつと音が鳴り始めたところでレンズ豆を入れて蓋をする。


「この時、ずっと強火だとタマネギとニンジンが焦げ付いてしまうので、弱火にします」

「あっ、なるほど! だから私の作るスープはあんな仕上がりになるのね」

 メライアはリズからどうして自分のスープが残念な仕上がりになったのかを教えてもらい納得する。またそれと同時にリズの手際の良さを見て感心しているようだった。


「あら、もう使ったまな板や包丁を洗い終えたの? 私が料理を作る時って結構時間が掛かるけど、リズはてきぱきしているわね」

「前に料理をしていたきょうか……場所では朝昼晩と五品作るように言われていましたから」

「えっ!? 五品も!?」


 聖職者の食事の内容は通常だと朝食はパンとスープとミルク、昼食は料理が二品とパン、夕食は料理が二品とパン、それからデザートと構成が決まっている。

 しかし聖女であるドロテアは、大変な美食家かつ量より質にこだわる人で、彼女の健康面に合わせてリズは料理も担っていた。

(大司教様専属の料理人は元お城の料理人。その方に料理を一から教えて頂きました)


 メライアはかまどの前に立っているリズの小さな背中をしげしげと眺めた。

「……まだあんなに小さいのに、これまで一体どれだけ大変な思いをしてきたの」

 メライアはリズの働きぶりを眺めながら眉尻を下げてぽつりと呟いた。

 しかし、当の本人はレンズ豆のスープの仕上げに集中していたため、まったく聞こえていない。


「最後に塩で味を調えて……」

 リズはかまどから鍋を降ろすと、用意していたお皿にスープを盛り付ける。

 みじん切りのタマネギもニンジンも柔らかそうで、レンズ豆はふっくらとしていて最後にパセリを散らせば完成だ。

「どうぞ食べてみてください。あ、熱いので火傷には注意してくださいね」


 メライアはお皿を受け取ると試食する。

 まだまだ熱々の具材をスプーンで掬い、何度か息を吹いて冷ます。ぱくりと口の中に入れた途端、メライアが唸り声を上げた。

「んーっ!!」

 メライアは目を見開いてキラキラと橙色の瞳を輝かせた。


「嘘っ!? 塩で味付けしただけなのに、こんなに野菜って美味しいの? 私が作ったレンズ豆のスープと食感も味も全然違うわ!!」

「えへへ。野菜は種類ごとに調理方法が異なります。うま味を最大限に出せる方法で調理するのが一番ですよ」

「そ、そうなのね。嗚呼、タマネギとニンジンが甘くって、レンズ豆がほくほくしてて……凄いわ! もう一杯お代わりしても良いかしら?」

 メライアはあっという間にスープを平らげた。


 ドロテアに料理を提供して「美味しい」という褒め言葉はもらっていたが、ここまで喜んでもらえるのは初めてだ。恐らく、相当美味しいご飯に飢えていたのだろう。

「まだあるので是非召し上がってくださいね」

 美味しい美味しいと唱えるようにして食べてくれるメライアの姿にリズは目を細めたのだった。

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