第6話



 ◇


 初めてアスランの背中に乗った感想は、案外快適だった。

 風の抵抗を受けて目を開けるのは難しいかもしれないと思っていたがそんなことはなかった。さらに言えば、断罪場所として立たされた崖の上よりも遙かに高いところを飛んでいるはずなのにちっとも怖くない。


 眼下には広大な草原が広がっていてぽつりぽつりと羊の群れが見える。草原を通り過ぎると、徐々に集落はなくなっていき、森や山が増え始めていった。

 そしてリズとクロウを乗せたアスランが徐々に高度を下げていく。

「ほら、あれがスピナの町だ」

 リズは耳元で囁きながら前を指さすクロウの説明を受けて目を細める。



 スピナは村と言った方が正しいような小さな町だった。新緑の木々の間から顔を覗かせる石造りの家。珍しい石を使っているのか薄桃色をしていて、山間の色と相まってとても美しく幻想的だ。

 落ち着いた場所だが国境沿いということもあり、町の北には堅牢な要塞が建てられている。クロウによると国境沿いには教会の聖騎士団が配備されているので守りは万全らしい。


 もともと隣国とは仲が良く、侵入してくるのは人間目当てで襲いに来る魔物がほとんどなのだとか。この百年で隣国との関係が悪化して戦争になったことは一度もない。

 聖国の騎士団と違い、教会の聖騎士団は魔物に特化した戦闘に優れている。そのため、他の国境沿いよりも魔物が頻繁に出没するスピナ一帯は教会の警備管轄となっている。

 基本情報をクロウから教えてもらっていると、アスランが町の手前で着陸した。


「アスランは良い魔物だけど、悪い魔物と信じて恐れる住人もいるからここからは歩きだ」

「分かりました。アスラン、乗せてくれてありがとう!」

 リズはクロウに地面へ降ろしてもらうと、アスランに抱きついた。

 アスランもお礼と言わんばかりにほっぺを舌で舐めてくれる。

「あはは。くすぐったいです」

「アスラン。先に要塞に戻って身体を休めていてくれ。リズに町の中を案内してから向かうから」

 アスランは頷くと再び空高く飛んでいった。


「さあ行こう。ソルマーニ教会は町の一番北、要塞の手前にある」

 クロウに手を引かれてリズはソルマーニ教会を目指して歩き始めた。

 町の中は王都よりも規模は小さいが活気があった。広場では市場が開かれていたし、パン屋さんからは香ばしい匂いも漂ってくる。洗濯場では主婦たちが手を動かしながら話に花を咲かせているし、子供も元気にその周りで遊んでいる。

(なんだか村自体が大きな家族みたいです)

 率直な感想を心の中で呟きながら歩いていると、いつの間にか並木道に差し掛かる。

 綺麗に整備された一本道。両サイドに植えられた木々は青々とした葉が茂っていて、もっと日差しが強くなれば木陰が役に立つだろう。



 並木通りを抜ければいよいよ教会が現れる。

 リズは立派な建物を見て感嘆の声を上げた。

「わあ、あれがソルマーニ教会ですか?」

「ああ。今からあそこの司教に会いに行く。良い人だからきっとリズを迎え入れてくれるだろう」

 ソルマーニ教会は辺境地の教会とはいえど、地方都市のものに匹敵するほど立派な建物だった。礼拝堂はアルコース石で造られていて、アーチ状の大きな窓がいくつも並んでおり、窓ガラスは色とりどりのガラスが嵌め込まれている。

 門をくぐって中に入ると修道院も併設されていて、さらには自給自足の生活ができるように畑も作られていた。


 畑では作業をしている若い修道士がおり、彼はこちらに気づくと手を止めて挨拶をしてくれた。

 日に焼けた肌に金褐色の短い髪、つぶらな瞳は緑色をしている。

「こんにちは、クロウ殿。本日はいかがされましたか?」

「やあ、ケイルズ。急で申し訳ないが司教はいるか? この子を修道院に迎え入れて欲しいんだが」

 ケイルズはクロウの視線を追いかけてリズを見る。

 リズは前に出るとぺこりとお辞儀をした。


「こんにちは。リズです」

「……っ! ちょっとアシュトラン殿、これはどういうことですか!?」

「どういうこととは?」

 クロウは困惑するケイルズを見て首を傾げる。


「全然似てないですけど、この子はあなたの子供なんでしょう? 全然、似てないですけど」

 教会の聖職者の結婚は教会本部に申請が必要で、勝手に結婚することは御法度だ。もし隠れて結婚あるいは不貞行為をすれば破門になる。それは聖騎士でも同様だ。

「……そんな。まだクロウ殿は十九歳のはずなのにこんな大きな子供がいるなんて。……もしや若いうちに羽目をはずしたんですか」

 ケイルズがあらぬ想像を巡らせているので、すかさずクロウが否定する。


「待て待て、違うぞ。というか小さい子に聞かせる内容じゃないし、この子は俺の子でもない。相変わらず想像力が豊かだな。旅先で出会ったんだが身寄りがないから引き取ったんだ。それで面倒を見てもらえないか司教に相談しようと思っている」

「な、なあんだ。そうだったんですね。とんだ勘違いをしてしまいすみません!」

 ケイルズは脂汗を服の袖で拭って安堵の息を漏らす。変な誤解が解けて良かったとリズもほっとした。


 続いて背後から女の人に声を掛けられる。

「こんにちは。とっても可愛らしい子ね」

 振り返ると、そこには籠を下げた修道女が立っている。

 年齢はリズの実年齢より五つくらい上だろう。亜麻色の髪をきつくまとめ、橙色の瞳をしていて、右目下にはほくろがある。

「メライア、丁度紹介していたんだがこの子はリズだ。教会で面倒を見てもらいたいんだが、司教はいるか?」

「その話なら後ろで聞いていました。きっと司教なら快諾してくださいますよ。ケイルズ、クロウ様を司教室へお連れして」

「分かりました。こちらですよ」

 クロウはケイルズに案内されて礼拝堂の方へと移動してしまう。

(あ……お兄さんにお礼を言いそびれてしまいました)


 樹海で倒れているところを助けてもらい、さらにはここまで連れてきてくれた。彼と出会わなければ今頃樹海を彷徨っていただろうし、下手をすれば餓死していたかもしれない。

(いっぱい助けてもらいましたのに、私ったら全然お礼を言えていません)

 しゅんと項垂れていると、メライアがリズの肩の上に手をぽんと置く。


「クロウ様とはこれでお別れって訳じゃないから大丈夫よ。すぐに会えるわ。さあいらっしゃい、リズ。疲れたでしょうからまずはあっちで休みましょうね」

「……はい」

 リズはメライアに連れられて修道院へと歩いていった。

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