第38話 初恋

「健悟くん、これからは無闇に手を出してはいけません」

ロビーを出てから佐藤が健悟に注意をすると、健悟はすみませんと謝る。大きな体を丸めて謝る姿に、薫も一緒に佐藤に謝罪した。

「私は健悟くんの今までの頑張りを見てきました。だからこそ、あんなクズの為に未来を棒に振る事はあってはいけないんです。そんな事が起これば、今まで支えて来た親御さんを悲しませる事になります。もちろん先生も。何より自分の努力で掴み取った未来を大事にしてくださいね」

言葉尻は優しいものの、いつもは吐かない暴言が佐藤の怒りを表す。しょげている2人を見ながら佐藤はまったくとため息を吐くが、すぐにいつもの笑顔に戻る。

「ですが、先生を守ってくれた事には感謝してます。ありがとうござます」

佐藤はそう告げると、待っているタクシーに薫達を押し込み、ちゃんと領収書を切るようにと念を押し、ドアを閉めて手を振る。

2人は頭を下げ、佐藤と別れた。

帰りのタクシーの中、しばらく沈黙していたが薫は健悟の顔を見ながら口を開く。

「健悟くん、今日はありがとう。迎えに来てくれたんだよね?」

「・・・薫さん、家を出る時凄い顔してたから、きっと疲れて帰るだろうと思って・・・。ロビーのソファに座って待ってたら、薫さんが降りてくるのが見えたんですが、あの男と話してたからてっきり知り合いに会って話し込んでるのかと・・・でも、すぐに様子がおかしいのに気付いたんです」

ボソボソと話す健悟に、気付いてくれてありがとうと呟く。

「俺・・・自分が情けないよ。あんな奴を想ったせいで何もかもがおかしくなった。本当に俺はバカだ・・・」

悲しそうに呟く薫の手を健悟は握ると、優しく微笑む。

「薫さんはバカじゃないです。あいつがクズだっただけです。薫さんがバカだったら俺とは出会えてません」

「健悟くん・・・」

「薫さんが前に言ってたじゃないですか。軽いときめきがあっても心底恋焦がれる恋はそうそうないって。薫さん、まだあいつに気持ちあるんですか?」

「ある訳ないだろ。俺、受け入れられない人もいるのは当たり前だって言ったけど、あの当時は本当に辛くて先輩を恨んだ事も正直あったよ」

「じゃあ、そこまで恋焦がれてなかったって事です。薫さん、俺は?俺には恋焦がれてくれますか?」

薫を見つめる健悟に少し照れながらも、薫も真っ直ぐに見つめ返す。

「健悟くんには毎日恋焦がれてる。朝起きてから寝る時までずっと健悟くんが胸の中に居座っているんだ。健悟くんと早く2人になりたくて仕事頑張ったり、健悟くんの為に出来る事を毎日考えたり、そうやって一日が過ぎていくんだ。俺の中には毎日健悟くんへの好きで溢れてる」

「俺もです。どこにいても薫さんの顔が浮かんで、早く会いたくて、薫さんに触れたくて仕方ないんです。薫さん、俺はこの気持ちが初恋だと思ってます。だから、薫さんも同じ気持ちなら、薫さんにとってもこれが初恋です」

そうだねと薫は微笑みながら、健悟の肩にもたれかかる。健悟も薫の肩に手を回し、薫の髪に顔を埋める。

2人が甘い雰囲気に浸っていると、タクシーの運転手が咳払いをした。

「お客さん、ここを曲がったら目的地ですが、合ってますか?」

その声に薫は慌てて体を起こし、合ってますと答えると顔を赤らめ俯く。健悟はお構いなしと言わんばかりに、今度は薫の腰に手を回し自分の方へ引き寄せる。

更に顔を赤らめた薫は、腰に回された健悟の手を叩くが、健悟はふふっと笑いながら、薫の耳元で可愛いと囁く。

茹蛸になった薫は、このまま抵抗すればするほど健悟が揶揄ってくると悟り、家に着くまで俯き、じっと耐えていた。

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