第37話 思わぬ人

「はぁ・・緊張しっぱなしで疲れた・・でも、健悟くんが選んでくれたこのスーツ、好評だったな」

微笑みながらスーツを撫でる。グレーで統一されたスーツはテイラーフィットのシングルタイプだ。ベストもグレーだが、ワイシャツは白にして、それに映える様にネクタイは黒の細かいストライプ、胸元には茶色のハンカチ、それに合わせて茶色の革靴を履いていた。

髪は誠が整えてくれた。正月明けに健悟の地元で会ってから、誠とは連絡先を交換して、何度か健悟と三人で食事をしていて付き合いがあったので、今日の為にとわざわざ自宅に来て今時の若者風という髪型にセットしてくれた。それが薫は嬉しかった。

誠の性格でもあったが、なんの気兼ねもなく付き合える友達が、健悟との関係を受け入れてくれ、健悟の事を支えてくれる誠の存在が有り難かった。

薫は手土産にもらった紙袋を握りしめ、会場をあとにする。

「佐藤さんが経費で落としてくれるって言ってたから、遠慮しないでタクシーで帰ろっと」

軽い足取りで、エレベータに乗り込むと数人の男性が乗り込んでくる。別の会場の客だろうと薫はエレベータのボタンを押しながら俯いていると、最後に入ってきた男性に声をかけられる。

「お前・・・薫か?」

懐かしい声に薫の胸がドキンっと大きく跳ねる。ゆっくりと顔をあげると見知った顔が目に入る。

「先輩・・・」


ロビーにつくと、先輩は連れに少し待っててと伝え、薫の手を引っ張り、少し離れた所で話始める。

「元気だったか?」

「・・・・はい」

「本当、久しぶりだな」

笑顔で話しかけてくる先輩の顔を見て、薫はモヤモヤと湧き出る哀しみのような、怒りのような感情に戸惑い俯く。

「何か、お前綺麗になったな」

不意に先輩の手が薫の手に触れ、体がビクッと震える。その様子に先輩はニヤリと笑みを浮かべる。

「お前、相変わらずアレのままか?」

その言葉に薫は顔をあげ、眉を顰める。

「あれから彼氏でもできたか?」

「・・・先輩には関係ありません」

「冷たいやつだな。昔は俺に惚れたくせに・・・なぁ、お互い大人になったんだから、昔の事は水に流そうぜ」

「・・・・先輩は、あれから俺がどうなったか知ってるんですね・・・」

「俺だってそんなつもりはなかったんだよ。つい友達に話したらそれがいつの間にか広まったんだ。でも、そのおかげで堂々と恋愛できただろ?」

その言葉に何の事かわからず、さらに眉を顰める。

「お前を狙ってる奴もいたそうじゃないか。それだとわかってて寄ってきたんだろ?よりどりみどりだったんじゃ無いのか?」

「もしかして・・・」

薫の脳裏にある事が思い出される。ある下校途中、他校の男子に絡まれ、何故か薫がゲイだと知っていて路地に連れ込まれそうになった。

その時は何とか逃げたが、それ以来、ビクビクしながら帰宅していたのを思い出す。何故、他校にまで知れ渡っていたのか、その当時の薫にはわからなかったが、先輩の言葉に全てが繋がった気がした。

「先輩が他校にまで言いふらしたんですか?」

「違うよ。正確に言えば、他校の友達がいてそいつが後輩に話したってだけ」

まるでそれが何とも無いかの様に話す先輩に薫は怒りが込み上げてくる。そんな薫に気づかないのか、先輩は薫の腕を掴み近寄り耳打ちをする。

「男慣れしてるなら、俺と遊ぶか?」

笑う様に囁く先輩の声に怒りを通り越して虚しさが込み上げてきて、目頭が熱くなる。こんなやつを想っていた自分が恥ずかしい。あんなに好きでたまらなかった人なのに、今は殺意さえ湧いてくる。

こんな人を好きにならなければ、好きだと言わなければ、高校生活も楽しめて、母とも関係が悪くならなかったかも知れない。後悔が次々と溢れてきて涙が出そうなのを必死に堪えて先輩を睨む。

「何だ?随分生意気になったな。まぁ、でも、そんな顔も悪くない」

そう言って手を引っ張るが、薫は振り解こうともう片方の手で先輩の手を掴む。

「離してください。俺はもう先輩と関わりたく無いです」

「めんどくさいな。いいから行くぞ」

更に強い力を込めて薫の腕を掴むと、痛みで顔を歪める。

「いやだ、離し・・・」

「あんた、薫さんに何してんだ?」

その声に顔を挙げると、先輩の手を振り解く健悟の姿があった。その姿に薫は安堵して、すかさず健悟の服を掴む。

健悟は薫を隠すように先輩の前へと身を乗り出す。

「いてぇな。お前、誰だよ?」

「誰だっていいだろ?さっさと消えろ」

「はっ、お前の彼氏か?」

「先輩には関係ない」

「本当、生意気になったな。お前、こいつがゲイで男と遊んでるって知ってるか?ちょっといい顔するとすぐに告ってくるような奴だ」

先輩の吐き捨てるようなセリフに健悟が怒りを露わにし、先輩の胸元を掴む。薫は慌てて間に入ろうとするが、力強く胸元を掴む健悟の手を引き離せずに、やめてと声をかける。すると後ろから佐藤の大きな声が聞こえた。

「健悟くん、やめなさい」

佐藤の声に健悟は腕を緩めると、佐藤はツカツカと足音を立てて近寄ってくる。そして、先輩の服をパシパシ叩きながら寄ったシワを直してやる。

「お前ら、覚えておけよ」

そう言って睨む先輩に佐藤は微笑みながら名刺を取り出す。

「あなた、隣の会場の出版社の方ですよね?私はこう言うものです」

取り出した名刺を先輩に渡すと、それを見た先輩が青ざめる。

「この会社・・・大手の・・・それにこの名前・・・」

吃りながら話す先輩を他所に、佐藤は相変わらすニコニコと微笑み続けた。

「手を出した健悟くんも悪いですが、元はと言えばあなたの暴言が原因です。いいですか?林先生はうちの大事な作家さんです。あなたも編集部にお勤めなら、作家さんへの対応は心得てますよね?幸い、私はあなたの会社の編集長やお抱えの作家さん達とはご贔屓にさせてもらってます。これ以上、先生にちょっかいをかけるのなら、どういう意味かわかりますよね?」

笑顔を作りながらも先輩に圧をかける佐藤の顔は今までに見たことないほど、怒りに満ちていた。先輩はすっかり萎縮して、すみませんと小さく謝罪するとそそくさとその場を立ち去って言った。

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