第35話 忘れられていた物

10月も終わりに近付いた頃、健悟の合格通知が届く。2人で抱き合って喜んだのも束の間、今度は就活で忙しくなる。

実は教員試験も大変だが、狭い門の教員採用が一番の難関だ。

面接の傍ら、大学も卒業までに教員になる為の必修科目の単位が必要になるので、片時も気を緩められない。

今日も夜遅くまで課題をしている健悟の後ろ姿を見つめながら、薫は健悟にコーヒーを作り手渡すと、仕事して来ると伝え静かに部屋を出る。

最近、薫も仕事の傍ら健悟の為に料理を勉強し始めた。・・と言っても、本やネットで調べて挑戦する・・といった程度だが、少しでも健悟の役に立ちたかった。

ずっと自分を支えてくれていた健悟を、今度は自分が支えたい。

健悟に出会えてこんなにも幸せになれた。2人で過ごす日々がとても愛おしい。

好きだという気持ちがこれ以上にない位、膨らむ。

このままずっと側で穏やかに暮らしていけたら、どんなにいいだろうか・・・そんな願いにも似た想いが薫の胸に染み渡り、暖かくなる気持ちに薫はふふッと笑みを溢した。


「健悟くん、ご飯出来たよ」

薫の呼び掛けに健悟が笑顔で振り返る。健悟は椅子から立ち上がると、手を洗って来ますと洗面所へ向かう。

その間に薫はテーブルに皿を並べる。今日は健悟の好きなハンバーグだ。形は少し歪つだが、味は自信がある薫は出来上がったハンバーグを見つめながら小さくよしっと呟く。

「薫さん、いつもご飯作ってもらってすみません」

戻ってきた健悟は腰を下ろしながら薫に謝る。薫は大丈夫と微笑む。

「締め切り前はどうしても無理だし、それ以外なら俺の方が時間は融通効くし、全然平気だよ。でも、そろそろもう一つの仕事始まるから、今までみたいには出来ないかも。ごめんね」

「その頃には俺も落ち着くと思います。とりあえず就活だけ何とかなれば、大学の単位は大丈夫なので、薫さんも仕事に集中してください」

箸を掴みながら健悟も笑顔で答える。2人でいただきますと声を合わせると、健悟は口にハンバーグを放り込みながら美味しいと薫を褒めた。

薫はありがとうと照れながら箸を掴む手を動かす。しばらくして、ふっとカレンダーが目に止まり、薫は手を止める。

「もう11月も半ばかぁ・・・今年は本当に色々あったから、何かあっと言うまに感じる。あっ、健悟くん、誕生日は何が欲しい?」

「あ・・・その事なんですが・・・」

健悟も手を止めて薫に話しかける。薫はきょとんとした顔で健悟を見つめる。

「薫さん、今年は俺が決めてもいいですか?」

「えっ?自分の誕生日を自分でセッティングするの?」

「自分の誕生日というかクリスマスでもあるし、それに薫さん、去年も今年も誕生日してないですよね?」

「あっ・・・」

健悟の言葉にそう言えばと思い出す。薫の誕生日は4月だ。去年は健悟とまだ出会えてなかったし、今年は引っ越しや母の事ですっかり忘れていた。

「俺、いつもしてもらってばかりで、薫さんの誕生日すらできなかったのが気になってて・・・」

「仕方ないよ。俺もすっかり忘れてたし・・・」

「俺、薫さんの誕生日をちゃんと祝いたいんです。薫さんが俺の誕生日を祝ってくれたみたいに、俺も薫さんの生まれた日を祝いたい」

「でも・・・」

「就活もその頃には結果がどうであれ終わるし、課題ももうすぐ終わります。だから、俺が決めてもいいですか?」

「・・・・わかった。じゃあ、俺もそのつもりで仕事を片付けておくね。ふふっ、誕生日なんて久しぶりだ。楽しみにしとく」

「はい。俺に任せて下さい。それと・・・今日は、もう仕事ないですか?」

「うん。今日は終わりだから、ご飯食べてお風呂入って寝るだけ」

「じゃあ、俺も今日は終わって片付け手伝います。だから、一緒に風呂入りませんか?」

少し照れた顔で健悟が見つめる。薫は顔を赤らめ小さく頷く。

「ずっと忙しくていい忘れてたんですけど、ベット大きいの、いいですね」

その言葉に薫はますます顔を赤らめる。そう言えば、ベットを買ってから色々あったせいですっかりスルーしていた事を思い出す。

薫の母の看病、健悟の試験とあったのもあって、一緒に寝る事はあっても、そういう事は長い事していない。

必要な物、まだ残ってたかな?と不意に思い出し、恥ずかしさで薫は健悟の顔を見れないまま食事を済ました。

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