第16話 恋人らしく?

「やっと終わったー」

最後の一枚を隣の棚に並べて机に顔を伏せる。あれから1ヶ月近く経ち、薫は締切の為に篭っていた。

その間にも健悟はベタ塗りのバイトとは他に甲斐甲斐しく通っては、薫にご飯を作っていた。

最初は自分の事もあるのに、ベタ塗りバイトにご飯までやらなくていいと断ったが、頑なに心配だからと断られた。原稿の合間を縫って会ってはいたが、やはり締め切りが近づくとどうしても籠らなくてはならなくなる。

そうなると、どうしても2人でゆっくりする時間が少なくなる。ご飯を作って一緒に食べれば薫と一緒に時間が過ごせると健悟は言った。

机に顔を伏せながら、これじゃ、ダメだよなぁと薫は呟く。

あの日、健悟から改めて告白された日、一緒に寝たいと言う健悟に戸惑いながら顔を赤らめている薫に、健悟は微笑みながら手を握るだけだと伝え、本当にそのまま寝てしまった。

それから何度か健悟が泊まる機会があったが、薫が恥ずかしがるのでキスすらしていない。ただただ、健全に手を繋いで寝るだけ。

「健悟くん、確実に俺に気をつかってるよな・・・付き合いたてなのに、月半分はまともにデートすらできない。本当にこんな俺が恋人でいいのかなぁ・・・」

臆病虫が疲労の体と心を蝕む。あぁ・・落ちたらダメだ・・余計に健悟に気を遣わせてしまう・・・そう思いながらも不安が拭い切れなかった。


「んっ・・・」

体の揺れと温もりに目が覚めると、健悟が薫を抱っこした状態で寝室に向かっていた。

「け、健悟くん!」

すぐ近くにある顔に驚いて声が上ずる。健悟はふふっと笑いながら、足を止めずに寝室のドアを開け、部屋に入っていく。

「起こしてすみません。あの姿勢で寝てると体痛くなると思って。締切お疲れ様です」

「あ、ありがとう。重かったでしょ?」

薫をベットに下ろしながら、健悟は首を振る。

「俺、これでも鍛えてるので。薫さんに鍵をもらってて良かったです」

ポケットから鍵を取り出し、目の前でチャラチャラと鳴らして見せる。それから薫に横になるように促し、布団を被せ優しく頭を撫でる。

「もう少し寝てください。俺は夕飯作ってきます」

そう言って立ちあがろうとする健悟の手を徐に掴む。

「きょ、今日、別のバイトは無いんですよね?」

「はい。大学も明日は2限からなので、泊まるつもりで来ました」

「じゃ、じゃあ、ご飯は後ででいいから、俺も手伝うから、少しだけ俺と寝ませんか?」

口に出して、変な誘い文句になってしまった事に気づき、薫は真っ赤になる。健悟は少し驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になりわかりましたと薫の隣に寝そべる。

薫を見つめ、優しく撫でる健悟の手が心地良かった。少しの間、その余韻に浸かり、薫は口を開く。

「お、俺・・・健悟くんとキスがしたいです・・・」

意を決して出した言葉は思ったより小さな声だった。健悟の手が止まり、沈黙が続く。

「け、健悟くん・・・いや?」

「そんなわけ・・・そんなわけないじゃないですか。俺、薫さんに嫌われたくなくて、これでも凄い我慢してるんです」

切なそうな声で薫に囁き、抱き寄せる。

「お、俺、経験ないから、緊張しちゃって今すぐには最後までってできないかも知れないけど、ちゃんと健悟くんと普通の恋人がするような事がしたいと思ってます。俺が不甲斐ないから、いつも健悟くんには我慢してもらってるから・・・」

「薫さん、したいと思ってる事は俺のわがままで、薫さんが気にする事じゃ無いですよ?」

「で、でも、俺の仕事柄、2人でゆっくりする時間も思うように取れない。俺、もっと健悟くんとしたい事も話したい事もあるのに、それはきっと健悟くんも一緒なのに・・・」

薫を抱きしめる腕の力が緩み、健悟は薫の顔を覗き込む。

「正直、毎日でも薫さんには会いたいです。でも、俺も薫さんもそれぞれやるべき事があって、そこを無理して崩すと、後からその穴埋めが来ると思うんです。その事ですれ違ったりするのは嫌です。だから、俺達は俺達のペースで進みましょう」

「うん・・・」

「薫さん、これからも不安に思う事は、1人で悩まずに俺に話してください。2人の事は2人で解決していきましょう。俺は年下だから頼りにならないかも知れないけど、薫さんにとって1番頼れる男でいたいです」

「健悟くんは年下に見えないくらいしっかりしてて、かっこよくて、俺はすごく救われてます。無理して背伸びとかはしないでください。今のままの健悟くんが好きです」

薫の言葉に健悟は笑みを浮かべ、また髪を撫でる。その手がゆっくりと薫の頬に触れ、互いに見つめたまま沈黙が続く。そして、ゆっくりと健悟の顔が近づき、薫は目を閉じる。

触れるだけの優しいキスが何度も薫の口に注がれる。健悟は薫をまた抱き寄せ耳元で囁く。

「今日はこれだけ。これから少しずつ慣れて貰うので覚悟して下さい」

優しく耳に響く健悟の低い声が、薫の体をゾクリと震わす。触れるだけの優しいキスに酔い、耳元で囁いただけなのに、体を震わす自分が恥ずかしくなり、健悟が言う慣れてもらうという行為に勝手に妄想が膨らみ、心臓が飛び出してしまわないかと思うほど、薫の鼓動は鳴り響いていた。

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