第10話 迫り来る大型犬
あれからしばらくすると締め切りが近づき、こもり期間に入った。
健悟は宣言通り、籠り期間に入ると、最初は三日に一回だったのが、二日に一回と減り、今では毎日来て薫の食事を作るようになった。
来る時間が遅い時はそのまま泊まり、朝食を準備して大学に向かう。学生でバイトしている身なので無理をしない事、食費は出すので買い物したレシートを必ず渡す事を条件に、健悟の好きな様にさせていた。
それから、時間がある時は一緒にご飯を食べる事も条件に入れた。あの日、話したゆっくり歩み寄る事への第一歩だと思ったからだ。あれから付き合うと言う話は特にする訳でもなく、今まで通りの友達としての付き合いをしている。
今日も健悟お手製の野菜炒め定食だ。薫の事を考え、バランスの良い食事になっている。体育教師を目指しているのもあって、こう言った栄養管理も学んでいるのかも知れないと思うほど出来た食事内容だ。
おかげで体調もすごぶる良く、寝不足を除けば、健康体そのものだ。
「健悟君、今、週何日バイトなのかな?」
健悟が作った味噌汁を啜りながら薫は尋ねる。同じ様に味噌汁を啜っていた健悟が薫に顔を向ける。
「今は週3日です。飲食店なので、忙しいシーズンになるとシフトが増える時はありますが、店長さんが良い方で学生の本分を優先しなさいと無理なシフトは入れないんです。もちろん、稼ぎたい時は増やしてくれますが・・・」
「なるほど・・」
「どうしましたか?あ、無理してるとかは無いですからね」
慌てて言葉を足す健悟に笑って答える。
「はい。無理はしないという条件でしたから、そこは心配していません。健悟くんは色塗りとか得意ですか?」
「色塗り・・?」
首を傾げる健悟を他所に、箸を置いて机から原稿を取り健悟に見せる。
「ここ、髪とか黒く塗ってるじゃないですか。ベタって言うんですが、もし、可能であれば、今みたいな忙しい時期だけベタ塗りのバイトをしてくれないかなっと思って。ちょうど佐藤さんに相談しようか悩んでたんです」
「ベタ・・・」
「あ、やり方とかは教えます。今回は俺1人で仕上げますが、次からできないかと思いまして・・。無理には言いませんし、バイト代もそんなに沢山は出せないんですが、手伝ってくれるとありがたいです」
「色塗りが得意かはわからないですが、お手伝いはしたいです。薫さん、いつも大変そうだから・・。ですが、俺みたいな素人がやって、逆に迷惑かけませんか?」
チラチラと顔色を伺うような目で薫を見つめる。その仕草が、また犬が縋りつくように見えて、薫は身悶えする。
(この大型犬は、わかってやっているのだろうか)
ごほっと咳払いをして、健悟を真っ直ぐに見つめる。
「そこは俺がフォローします。お手伝い、お願いできますか?」
「わかりました。なるべく足を引っ張らないように俺も勉強してきます」
この人は本気で勉強するつもりだ・・健悟の言葉に思わす吹き出してしまう。
「じゃあ、改めてよろしくお願いします。あ、くれぐれも無理は禁物ですからね!」
人差し指を立てて、健悟に注意する。そしてまた、ふふっと笑う。健悟は無言のまま薫を見つめていたが、すっと手を伸ばし薫の頭に触れ、優しく撫でる。
健悟の手に体がビクッとなる。
「な、何するんですか!?」
薫の声にハッと気付いた健悟はすみませんと手を引っ込める。少し照れたような
健悟の顔に薫も顔を赤める。
しばらく気まずい沈黙が流れた。
今まで雰囲気に飲まれて、触れたり、抱きしめられたりしたが、健悟にあんな事を言われた後だと、どうしてこうも意識してしまうのだろう・・そう思いながら、箸を取る。
「こ、この味噌汁、いつもながら美味しいです」
ドクドクと高鳴る鼓動を聞かれまいと、明るい声で食事の話題にすり替える。
「口に合って良かったです」
薫の意図を察しているのか、健悟も話に乗る。そのまま別の話題に移ってきまづい雰囲氣を振り払った。
俺の恋愛経験値が高かったら、今の行動もスムーズにできただろうか?健悟は恋愛感情がわからないとは言え、人並みに付き合ったりして経験値は俺より遥か上だ。
頭を撫でるとか、健悟にとっては大した事ない仕草なのかも知れない。
長らく人付き合いもしていなかったから、下手すると友人関係のレベルも雲泥の差かも知れない。
妄想の中では色んなことが経験値高いのに、リアルになると全然ダメだと凹む薫だった。
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