第8話 優しに触れる

「早かったね・・・」

薫が返信してから10分弱という速さで健悟が現れた。片手には何やら大きな紙袋を持っている。

「いつも待ち合わせする喫茶店にいたので・・・」

「え・・俺でも15分はかかるのに・・やっぱり、体が、足が長いと歩くのも早いんですね」

そう言って薫は笑いながら、部屋に招き入れる。そして、ふっと思い出す。いつも横に並んで歩いている健悟の姿を。いつも、俺の歩幅に合わせてくれていたのか・・その事実が嬉しくて顔が綻ぶ。

「少し散らかってるけど、座って下さい。今、コーヒー淹れますね」

「お構いなく。薫さん、仕事忙しいと思うので、あまり長居はしません」

健悟はそう言うと、促されたソファーに座り、足元に紙袋を置く。

「コーヒーは飲んで行ってください。俺のオススメです。それに、以前、仕事部屋を見てみたいと言っていたので、家に呼んだんです」

「覚えていてくれたんですか・・・」

「まぁ、散らかってて、あまりいい物では無いですけどね」

もしかしたら、もう会えないかも知れないしね・・と薫は小さな声で呟く。その声を誤魔化すかのようにコーヒーメーカーのボタンを押す。

しばらくするとコーヒーの匂いが部屋に立ち込め、カップに注がれる。その間にソファーの前の小さなテーブルを片付ける。何となく健悟の顔が見れず、俯いたまま沈黙が続いた。

音が止み、注がれたコーヒーカップを健悟に差し出すと、それを受け取った健悟が口を開く。

「薫さん、俺、あれから本屋に行ったんです」

「え?あ、じゃあ、その袋は本が入ってるんですか?ずいぶん買い込みましたね」

足元にある紙袋を見つめると、健悟は袋を開いて中身を見せる。

「どれがいいのか分からなくて、その、本屋にいた女子高校生に聞いて買ったんです」

「これって・・・」

袋を覗くと10冊くらいはある積み重なった漫画の表紙は、どれもBL本だった。

「薫さんの話を聞いて、男同士の恋愛が男女の恋愛と何が違うのか気になって、買いに行ったんです。そしたら、その棚に女子高校生が2人いて、腐男子?とかよくわからない事を聞かれたんですが、こんな感じの内容の本を探してるって答えたら、あれこれ勧められて・・・」

健悟の言葉に開いた口が塞がらない。この大男がBL棚で腐女子であろう女子高校生に、わざわざBL本を教えてもらうなんて、どんな珍風景なんだ。

「本を買って、あの喫茶店で読んでたら、こんな時間になってしまって・・」

「どうして・・・」

「・・・本を読んで、何となくわかりました。薫さんの言う、奇跡を手放してしまう気持ち・・・。でも、俺はやっぱりわかりません。本にもありました。ただ、人を好きになる事の何が悪いのか、どうしてそこまで傷付けられないといけないのか・・俺は、間違っていると思います」

真っ直ぐに薫を見つめ、力強く答える。この男は、どうしてこんなにも真面目で優しいんだろうか。俺の話をこんなにも受け止めてくれる。

その事が心底嬉しかった。薫はゆっくりと口を開く。

「きっとみんな臆病なんです。でも、それは普通の事です。自分には生き方も、考え方もあって、皆それを守るのに必死なんです。自分を誇示しないと強くなれないから・・だから、受け入れろとか理解しろとかは思っていません。自分を守る為に攻撃してしまうのも、人間だから仕方ないのかも知れませんね」

薫は少し寂しげな表情で、健悟にニコッと微笑み言葉を続ける。

「俺は痛みに慣れようとして笑ってたけど、大人になるにつれて、その痛みも鈍くなってもう平気だと思ってたけど、意外と簡単に折れてしまったんです。でも、不思議です。健悟君と知り合って、心がポカポカしたのは久しぶりです。こんな風に健悟君が俺の心配をしてくれて、理解して受け止めてくれて、それが本当に嬉しい。ありがとう、健吾君」

健悟に満面の笑みを浮かべてお礼を言うと、仕事机から一枚の色紙を取り出す。

「これ・・本当に恥ずかしいんだけど・・」

顔を赤らめながら健悟に差し出す。以前、健悟がイラスト付きでサインが欲しいと言っていたので用意はしていたが、なかなか照れ臭くて渡せずにいた。

「これも覚えていてくれたんですか?ありがとうございます」

嬉しそうに色紙を受け取り、じっと見つめる。あまりにも嬉しそうに見つめる健悟を見ながら、薫は恥ずかしさで俯く。

こんなに喜んでくれるなら、もっと早くに渡せば良かった。そう思えるほど、喜んでくれる健悟の気持ちが薫の心を暖めていった。

それからたわいの無い話をしていたら深夜になり、終電が過ぎてしまった事もあり、健悟を部屋に泊めることになった。誰が寝室で寝るのか一悶着あったが、薫がまだ仕事を終えてない事を理由に、健悟は寝室で、薫は仕事がひと段落したらソファーで寝ると言うことに落ち着いた。

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