第22話 回復(リハビリ)21 持ち帰りピザ
その日、
大きな通り、信号が赤に変わろうとしているので、薬子は渡らず足を止めた。それなのに、向かい側から一気に自転車が駆け抜けてくる。
様子をうかがっていた薬子の鼻先を、すごい勢いで駆け抜けていった。薬子の方が、かえって体を揺らしてたたらを踏む。
この頃よく見る、宅配サービスの自転車だ。既存の会社より設備は大したことがないが、安価らしくどんどん広がっている。
「あっぶねえなあ!」
見かねた中年男性が声をあげる。しかし巨大なリュックを背負った若者は、止まろうともしなかった。
「すんませーん」
残したのはそれだけ、まさに生返事というやつだ。あまり人相のよくない若者に見えるのは、その返事の印象かもしれない。
「まったく」
「ああいうのには言っても無駄ですよ。喧嘩になったらどうするの」
奥さんらしき女性にたしなめられて、男性は憂いの表情になった。俺の考えが古いのかな、と彼の顔に書いてある。薬子は彼が気の毒になった。
薬子の近所の人が利用しているからか、家の近辺でも見かけるが、時々道路を自分の物と勘違いしているような、マナーの悪い人がいるのが困りものだった。普通は会社が配達員の管理をするものだが、最近の会社は実は名前を貸しているだけで、放置されているケースがあると聞く。
「それでも潰れないのは、便利だからか」
今のところ、こういったできあい食品の宅配業者を頼んだことのない薬子は嘆息した。好きだったファミレスはいつの間にかなくなり、なんだかよくわからないテイクアウト総合店になってしまっている。
正月にも思ったが、店がなくなって什器が運び出された後というのは、どうしてこんなにも寂しいのだろう。立ちふさがる現実を突きつけられたように感じるからだろうか。どうせ入るなら、もっとましな店ならよかったのに。
「なんだかなあ……」
薬子は宅配ピザのお兄ちゃんなら好きだが、ああいうのはいただけない。そう思っていたら、急にピザが食べたくなってきた。……実は年始から努力した結果、体重が三キロ減っており、今日くらいはいいかなとまた自分に甘くなっている。
しかし、ピザを頼むのは薬子にとってかなりハードルが高かった。電話注文も噛みそうで嫌だし、持ってきてもらった時に一人で注文したのが分かると、妙に気恥ずかしい。
向こうはそんなこと気にしていないし、持ってくるアルバイトのお兄ちゃんだって薬子なんかどうでもいいだろうが、とにかく嫌なものは嫌なのだ。
そんなノミの心臓かつ偏屈な薬子だったが、ネット社会はそういう人間にとても甘くできている。今回もそうだった。
「あ」
画面の下に出ていた宅配ピザの広告を、間違えてスマホでタップしてしまった。指の動きが遅い薬子は、しばしばこれをやらかす。
注文ページに飛ばされて、薬子は苦笑した。戻ろうとして、しばし目をとめる。
「今はこれもネットでできるのか」
全く知らなかった薬子は苦笑した。これならクレジットカード支払いもできるから、配達人も小銭を持ち歩かなくて済んで楽だろう。それでも当たり前のことなのだが、扉をあけてひとりぼっちの室内を見られるのは変わりない。
「そこはさすがに改善されないよねえ。こっちが頑張らないと」
らちもないことを考えてしまった、と苦笑しながら画面を閉じにかかる。すると、今度はこんな記載を見つけてしまった。
「お持ち帰りならさらにお得! 二枚目から半額!!」
半額なんて儲け度外視にしか見えないが、大丈夫なのだろうか。つい、そう考えてしまう。
「でも、配達のための人件費がいらないっていうのは大きいのかも」
きちんと客に食事を届け、金をごまかさず持ち帰ってくれる人材。そういう人たちを一定数確保して管理しようと思えば、かなり人件費がかかるだろう。昼間見たようなちょっと古びた自転車で配達、というわけにはいかないだろうし。客が自分から来てくれて、受け取ってくれるならそれで足が出ないのかもしれない。
薬子は少し迷った。どうしようか。だが結局、好奇心と安さへの興味のほうが勝つ。何もかも知っているつもりでも、体験しないと分からないことが何度もあった。だから、今回ももしかしたらそうなのかもしれない。
好みのメニューのボタンをクリックしてカートに入れ、あとは指定された時間に店に行くだけだった。
薬子の家からは十五分強かかる。せっかくのピザが冷めてはいけないので、少し早めに出発した。
スマホの地図を見ながら、薬子は店にたどり着いた。近くまで来ると、大きなピザの看板があるのですぐにわかる。
中は思ったより狭い店だった。正面にカウンターが有り、店の手前側には客が座る長椅子が置いてある。食事をする店ではないので、机はない。
すでに親子連れが一組入って、ピザが焼き上がるのを待っていた。子どもたちは薬子が入ってきたのを見ると軽く視線を向けてきたが、すぐに興味を失ったようで、奥の店員やピザの箱ばかり見ている。
「できてますか?」
薬子の問いかけに対し、店員は受付番号を聞いてきた。それを言うと、あと十分ほど店内で待つよう指示される。どうやら、本当にぴったりの時間にできるように設定されているらしい。早く来て迷惑をかけたかもと申し訳なくなる。
特にうろつきたいとも思わなかったので、薬子は座って待つ。その間に、先に待っていた親子がピザを受け取って出ていった。見たところ数枚はあるから、今日はあの家はパーティーのようになるだろう。笑み崩れる子供と、それを見て微笑む両親の姿は眩しいものだった。
「お客様、三百五番のお客様」
とうとう呼ばれた薬子はカウンターに向かう。注文した二種類のピザと、サイドメニュー。あと、おまけでもらったコーラのペットボトルがそこにあった。
薬子は両手いっぱいに荷物を抱えて店から出てきた。冬の日が落ちかかって、足元がよく見えない。高さは大したことがないのだが、横に長いうえ、少しでも斜めにしないようにと思うと、薬子は気疲れしてしまった。
「……無事に着いたあ」
薬子は慣れない大荷物を抱えての帰還を、なんとかなしとげた。いつもの倍くらいの時間がかかってしまったが、そのおかげでピザのトッピングも大丈夫だった。
ピザはMサイズ、だいたい二から三人前程度だろうか。二枚買ってあるから、先に食べたい方を選ぶ。
一旦ピザをテーブルに乗せて、コーラをグラスに注ぐ。それから腰をおろして、大きく切った一片にかぶりついた。口いっぱいに、濃厚なソースの味が広がる。
次に行く前に、コーラをひと口含む。炭酸が口の中をしゅわっと洗い流して、大げさな甘みが舌を満たした。そうなると、今度はどんどん塩味がほしくなる。
薬子はひとりうなずく。これは無限のサイクルだ。
「うん、これはコーラが正解」
普段は決してとらないのだが、今日くらいは目をつぶろう。自分にとっては大きな目標を達成したのだから。
一枚目はぱりぱりした薄い生地、トマトソースの軽さにちょうどいい。上にのっているのもシーフードだから、食べ進めても胃が重くならなかった。薬子はあまりピザを食べないので、新鮮でいくらでも入る気がする。
ゆっくり食べたつもりだったのに、気づけばピザはほとんどなくなっていた。
残ったソースまで耳でさらえてきれいに平らげ、薬子は満足の声をあげた。毎週利用したいとまでは言わないが、月に一回くらいならピザを運んでもいいかもしれない。全く、いい時代になった。
薬子はもうひとつ、残ったピザの箱を見た。
「明日に残しておくか」
どうしようか迷ったが、今食べてもきっと美味しくないだろう。薬子はピザを皿にうつし、ラップをかけて冷蔵庫に入れた。
「明日の昼は、また豪華だなあ」
冷蔵庫をのぞきこむ瞬間は、きっと楽しいに違いない。薬子はほほえみながら、扉を閉めた。
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