第23話 回復(リハビリ)22 シール

 そのコメントに気づいたのは、ギリギリで飛び乗った電車の中だった。ブログの下書きをしようとして自分のページを開いた薬子やくこは、見慣れない通知が来ているのに気づいた。


「突然失礼します。いつも楽しく読ませてもらってます! この本、読んでみて面白かったです……同じ作者で、他になにかオススメの作品はありますか?」


 薬子は嘘かと思って、再度コメント欄を見直した。


 ブログを丁寧に読んでくれているようだ。どこの人だろう。薬子のサークルはネットを舞台にしているから、日本のどこからでも参加できる。声をかけてくれて素直に嬉しかった。元気が出たと、伝えたい。


 でも出先で、コメントがすぐに返せないのが恨めしい。いくつか思い出す作品はあるが、本当にそれでいいのか。持っている本とつき合わせて決めたかった。


 薬子は頭をかく。もっと本に頼らなくても、面白いことが書ければいいのに。コメントをくれた人を楽しい気持ちにできればいいのに、と思う。


「手帳、手帳と……」


 薬子は手帳を出した。最近は仕事がないから、スケジュールを細かく確認する必要がない。その場でやることをメモする少々の手間を惜しむと、そのまま忘れてしまうのだ。


「それにしても真っ白な手帳だなあ」


 ぽつんぽつんと、まばらに買い物や医療機関への受診が入っているだけだから、空白の方が多い。改めて、自分が世捨て人のようになっていることに気づかされた。


「……少しは賑やかにしたい」


 せめて気分だけでも。そう思ったが、その時点ではすぐ忘れてしまった。


 薬子はその日家に帰って、ブログのコメントを返す。そしてぼんやり手帳を見ていると、あることを思い出した。


「この前、シール買ったっけ」


 机の引き出しに入れていた蝶のシールを取りだし、手帳に貼り付けていく。薬子はしばらく流れ作業のように、黙々と貼り続けた。


 不思議としょぼい予定表が、賑やかになった気がした。それに、「貼る」という行為そのものがなんだか楽しい。単純な動きのはずなのに、何故だろう。小学生の頃、やたら家具にシールを貼っていたことを思い出した。


「あ、もう終わっちゃった」


 ページに欲望のまま貼っていたら、残りが少なくなっていた。鮮やかな青色のシールを大事に袋に戻し、薬子は寝支度をする。


 次の日、起きた薬子は商店街に向かった。来年のカレンダーを買い忘れていたためだ。スマホにもカレンダーはあるのだが、どうも家の中に一つないと落ち着かない。


 しかし、文房具店を回っても、これだというものは見つからなかった。


 無理に買うこともないか、と思っていたら、百円ショップに意外と良いデザインのものがあったので、迷わずそれにした。


「結果的に得しちゃったなあ」


 薬子が少々ほくほくしながら街を歩くと、文房具店が目に入った。


「ボールペンの替え、ちょっと買っておくか」


 本当はそのまま帰るつもりだったのだが、薬子は踵を返した。


 この文房具店は少し変わっていて、大きな書店の一角にある。それでも決して狭くはなく、白を基調とした店内には一般的な文具はもちろん、珍しい画材もあった。


 目当ての品を発見した薬子がレジに向かおうとすると、ふと足が止まった。


「あ、ここにもシールがある……」


 思わずバッグの中の小銭入れを押さえた。少し予定外の出費や、欲しい贅沢品があったら、ここから出していいというルールにしているのだ。


 確かさっきのお釣りが千円近くあったから、全部は無理でも、二~三シートくらいは買えるはずだ。


 薬子は冷静になるため息を吐き、顔を上げてシールを見つめた。オーソドックスなかわいいイラストのものから、外国風の大人っぽい文字のもの、小さなおじさんがずらっと並ぶギャグ調のもの。見ているだけで顔がゆるんでしまう。この列全部くださいと言えるものなら言いたい。


「ま、実際はそんな財力ないけどね」


 薬子は並んでいる中から気に入った順に三つ選んだ。残りは、またどこかで巡り会えたら買おう。


 いそいそと家に戻り、薬子は手帳にシールを貼って一人にやっと笑った。バカみたいと思わないでもないが、この瞬間の楽しさは格別だ。


 もっといい使い方がないかとネットで検索してみると、「コラージュ」という単語が出てきた。フランス語で「のり付け」を意味し、異なる素材を貼り合わせてひとつの作品を作る方法だ。


 最近はおしゃれな紙やマスキングテープ、シールを組み合わせるのが流行っていて、若い女性向けの素材セットなんかも結構な数が出ているらしい。確かに、上手い人の作品は見事に各素材がお互いを生かしあっていた。


「コラージュねえ……でも、こっちの方の才能はないかな」


 薬子は早々にページを閉じた。作品を見てみるのは楽しかったが、これをセンス良く作ろうと思うとかえってストレスになりそうだ。細々と、自分が楽しいようにしているのが一番である。


「そうだ」


 薬子は、家に帰ったらやろうと思っていたことを思い出した。


「確か、この辺に……あった!」


 ちょうどいいサイズの、お菓子の空き缶を見つけた。これからシールを少しずつ貯めていって、いつかいっぱい使えるようにしてやろう。昔、そうしていたように。


 薬子は缶を見つめながら、もう一度にんまり笑った。


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