第19話 回復(リハビリ)18 大晦日

 年がそろそろ変わろうとしている。薬子やくこは帰省しないと決めていたため、年末の準備もあっさりしたものだ。


「よし」


 お正月飾りも、百円均一で買った小さな物。玄関口に飾りの吸盤をくっつければ、それで準備完了だ。なにもしないよりは、華やいだ気分になる。


「おせちもさっき届いたし……」


 帰省しないと言うと、実家から一人用のおせちを送ってくれたのだ。餅は薬子が買ったから、これで三が日の食事の心配はいらない。


 布団の山にすっぽり入って後は寝正月……というのでも全然構わなかったのだが、今年はとにかく色々ありすぎた。全身に、「厄」がべったり貼り付いている気がする。


 科学的には意味が無い、虚しい妄想かもしれない。でも、気持ちがすっきりしないのだ。


「これは行くしかないか、神社」


 厄除けのお呪いやお守りがあれば、今年をきっぱりと「過去」にできる気がした。長引かせるのは、きっと良くない。


 薬子は気を取り直して、ダウンコートを引っ張り出す。そのまま街へと歩き出した。


 いつも大晦日は実家に帰って紅白を見ていたので、夜に出歩くなんて本当に初めてだ。顔を上げると街のイルミネーションが目に飛び込んできて、妙にまぶしい。


 凍えるように寒く感じるが、気温は五度くらいある。もっと北にある実家は、ひどく冷えていることだろう。帰省して窓の外を見ると、外が雪景色だったことを薬子はよく覚えている。


「うわあ」


 いつもは閑散としている小さな神社も、今日は人だかりがしている。道が狭いものだから、一層人の列はのろのろしていた。


 薬子は前方を、うんざりした気分で眺めた。このひどさでは、本殿に辿り着くまでに十分はかかるだろう。


「ま、期待せずのんびり待つか……」


 薬子は人混みをぼんやり見つめながら、立ったり止まったりを繰り返す。電灯で参拝客の影が重なり、大きな生き物のように動いていた。


 予想より少し早く列が動き、五分程度で本殿が見える。薬子は五円玉を賽銭箱に放り込み、神社の奥に向かって柏手をうった。


「……どうかこの厄を祓って下さい……」


 失われた時間は戻ってこないが、せめてこれからは。その思いをこめて、薬子はじっと目を閉じて祈った。


 参拝を済ませて場所を譲ると、本殿の横に絵馬が山のように積んであるのが見えた。この人混みだからもうないかと思ったが、十分に行き渡るように数をそろえているようだ。神社といえど、商売が上手い。


 昔は結婚とか出世とか、もっと俗っぽいことを頼んでいた。今は、そういう欲は綺麗に消えている。


 状況は日に日に悪くなるのかもしれない。この世から苦しいことはなくならないかもしれない。それでもどうか、厄が落ちて平穏に過ごせますように。


 薬子は本殿の時と、同じことを思った。その願いをこめて絵馬を書く。少し後ろにある木柵に吊るしに行くと、他の人の絵馬も目に入った。


「宝くじ百億円!!」

「ワールドカップに出る!!」

「五千兆円持ってる旦那が欲しい!!」


 なんだかすごいことをのたまっている絵馬もあった。しかしひょっとしたら、この中から本当に夢を叶える者が出るかもしれない。


 時期によっては銅像を撫でたり祝詞をあげてもらったりできるらしいが、とにかく今日は人が多すぎる。おみくじとお守りだけもらって帰ろう。これで気分良く戻れる。


 と、思っていたのだが。


「凶……」


 薬子はおみくじを見つめながら呆然とした。今更、百円返してほしい気分になる。


 いや、最近の神社はみんなが嫌うから、凶を入れないんじゃなかったのか。一年の運勢を占う人が多い、新年ならなおさら。それなのになんでこんなことに。


 薬子はおみくじの内容を見てみた。


 総合「神様は見ておられます。嘘をつかず悪事を行わず、真摯に生活すれば、きっと道が開けるでしょう」

 仕事「今は我慢の時」

 恋愛「顔で選ぶな」


 ひいた人間の気持ちなど一切頓着しない、神様のぶった斬り。恋愛の項目など、少し悪意すら感じる。


 呆然とする薬子の横で、皆が楽しそうにおみくじを引いていく。


「ここのおみくじ、当たるって評判みたいよ?」

「マジで? 私、大吉だった」

「いいなあ、あたしなんか小吉。交換しようよお」


 女子学生たちは、きゃっきゃと笑い声をあげながらおみくじを見せ合っている。


 ここに凶の女が居ますが、かわいそうな私と交換しませんか──とは、角が立つので言えなかった。薬子はため息をつき、そのおみくじをぎちぎちに柵に結びつける。しっかり結んだ様子をねめつけて、ようやくひと息ついた。


「嘘をつかず、か」


 薬子はぽつりとつぶやいた。


 母に意地を張るな、と言われた気がした。目の奥が熱くなって、泣きたくなるのをようやくこらえる。


 ──泣くな。まだ転職活動を始めたばかりじゃないか。


 薬子は大きく首を振り、空を見つめた。


「ええい、女の甲斐性みせたげるわ。来年は覚えてなさいよ」


 薬子はそう言って、甘酒の屋台へまっすぐに歩いて行った。

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