第16話 回復(リハビリ)15 雑貨店
起き出した
「うー、いてて……」
薬子は家を出た。ここ数日で急に気温が落ち、コートをまとっている人が多い。
寒いが、雪は降っていない。ただしビルの隙間をくぐり抜けるように突風が吹き、道行く人の外套や髪を揺らしていた。薬子のように眼鏡をかけていると、白くなった息が眼鏡にかかってたちまち視界が悪くなる。
薬子はカイロをほぐしながら手を温め、眼鏡を拭き拭きしながらゆっくり進んだ。目的地は、徒歩で三十分くらい。薬子の家の最寄り駅から、地下鉄で数駅、西に進んだ先にある。
もとは、海外からやってきた船から荷物を積み下ろしたり、貿易の手続きをする人たちが多く住む通りだったという。今ではその人たちにかわって雑貨店やカフェが点在し、違う意味で賑わっていると聞いた。
販売イベントには行くようになったが、固定の店舗で雑貨を探してみたことはなかった。だったら一度行ってみようかと、薬子は重い腰をあげたのだった。
地下鉄の駅から降りると、通りはすぐに見つかった。南に向かって人が流れているから、それに従って横断歩道を渡ればすぐだ。
「近くに住んでると、意外と来ないもんだねえ。なんでなんだろ」
あえて避けていたわけではないが、今までちゃんと来たことはなかった。この街には大きな橋や異人館など観光地がいくつかあるが、そういえばほとんどまともに行ったことがない。
薬子は通りをしげしげと見る。狭い通りだが、路面沿いにずらっと店の看板が並んでいた。
古いビルが多いが、汚いとかうらぶれたとかそういう感じは全くしない。やはり雑貨やカフェがメインとあって、若い男女やカップルが通りでは目立つ。彼らは古いビルや看板の前で、歓声をあげながら写真を撮っていた。
さすがに通りを埋め尽くすほどの人、とはいかないが、散歩をするにはちょうどいい混み具合だ。
あてもなく薬子はその通りをそぞろ歩いた。古着店を巡っているという若い男性たちが、はしゃいで買った物を見せ合っている。彼らの荷物は膨れあがっていたが、その顔はとても楽しそうだった。
「あんな友達、いたらいいなあ……」
薬子はぽつっとこぼす。そのまま、指をくわえてそこを通り過ぎた。
地下にも時々店があるが、薬子が興味を引かれるものはなかった。やっと通りの半分まできたところで、気になる雑貨店を見つけ足を止める。
軒先には招くように、真っ赤な馬の置物が置いてある。表から少し覗くだけでも、ぶら下がったカラフルな鞄や布、食器類がたくさん見えた。そのまま吸い込まれるように、薬子は店に入る。
入り口は小さかったが、奥行きがあり見た目より遥かに広かった。下がっている袋はメキシコ産のバッグだそうで、その奥にはラグの棚が続いている。
さらに左手にうつると、食器やハンカチなど小物類が並ぶ。国産だけにとどまらず、インドのポーチやタイのバケツ、オーストラリアのサンタクロース人形まで様々だ。特に刺繍が細かいインドのポーチに薬子は飛びついたが、結構なお値段だったのでしずしずと棚に戻した。
「もっと早く知ってれば、色々買ったのに」
薬子は悔やんだが、それはもう後の祭りというやつだろう。言っても仕方がない。今はあのストレスから解放されただけでも、恵まれていると思おう。
その後、アイスをなめたり古着屋をひやかしているうちに、日が落ちてきた。時刻は午後五時。さすがに人通りも減ってきて、薬子は狭い通りにぽつんと立っていた。
寒さが押し寄せてきて、鼻をすする。通りの最後の方に来ると店も減ってきて、普通の町並みに変わっていく。
もう少し歩けそうだが、帰りにスーパーにも寄りたい。薬子はうろつくのをやめて帰ろうと、来た道を戻り始めた。
すると、看板に目が止まった。それが再び、薬子を引きつける。行きは通りの前の方ばかり見ていたから、気がつかなかった。
かわいらしい馬のイラストの看板だ。今日は何かと、馬に縁がある。店の方を見て、薬子は驚いた。
「うわ、めちゃくちゃ急な階段」
先の見えない細い階段に少し躊躇したが、せっかくだからと薬子は歩を進めた。やや登るのにてこずったが、薬子は手すりにしがみつくようにして登り切る。昇った先は狭い踊り場になっていて、左手に扉がある。
ノブを回して扉をくぐると、八畳程度の店があった。中央に台がひとつあって、後は壁際が全て商品棚になっている。奥のカウンターに座っていた女性店主が、いらっしゃいませと明るい声をあげた。
彼女は椅子に座って、小袋に何かを詰めている。薬子は邪魔せず、店内を見て回ることにした。
店内にはかわいらしい小物が多い。いよいよクリスマスが近いからか、サンタの置物やメッセージカードが台いっぱいに置いてあった。微笑むサンタや動物の表情が可愛くて、自然と手にとってしまう。
薬子がカードを取り上げて悩んでいると、店主が軽く笑うのが見えた。うさんくさい客だと思われてはいないかと、急に気になる。
「すみません、べたべた触っちゃって」
「どうぞどうぞ。その動物のカード、うちの主人がデザインしたものなんですよ」
「え!」
薬子は驚いた。それを見て、店主が席を立つ。
「向こうの壁側にもありますし、こっちには画集が。もし良ければ、よろしくお願いします。──こちらにはご旅行で?」
「いえ、近くに住んでるんです。……でも、この通りにちゃんと来たことがなくて。ここの存在も、全然知りませんでした」
一本奥まった道にありますからね、と店主は笑った。
「うちはカードとかシールの紙ものがメインなんです。あとは少し、食器と布かな。お好きですか?」
「カードは写真立てに入れて飾ったりしますよ。母がそうしてたので。……そういえば、昔シールも集めてたなあ」
薬子がまだ、小学校低学年くらいの年の頃。小さなお菓子の缶をもらって、それにご褒美でもらったシールや消しゴムを溜めていた。店主はそれを聞いて笑う。
「私もやってました。もったいなくて、結局使えなかったりして」
「そうですそうです」
記憶をたぐって、薬子も笑った。気持ちを分かってもらえると、とても嬉しい。
「それがちょっと悔しいんですかね。大人になってから、改めて集め直す人が多いですよ。うちは通販もやってて、けっこう遠方に送ったりもしてます」
聞けば、万単位で買い物をする人もいるらしい。薬子にも、その気持ちはよく分かった。軽いものなら郵送費は百八十円、遠方に住む人にはずいぶん助かるサービスだろう。
幸い、薬子は間近でじっくり商品を見ることができる。ポストカードもシールも、安い物は百円台からあるから、選ぶのも楽しい。
「これにします」
シールの棚から、外国の切手風のセットを一つ。あとはクリスマスカードの、トナカイモチーフのものを一つ選んだ。法子に出せば、喜ぶだろう。
「あと三週間もすればクリスマスですもんね。今年も早いなあ」
会計をしながら、店主がつぶやく。
「クリスマスのシールは、これから入ってくるんですか?」
薬子が言うと、店主は苦笑した。
「いえいえ。今年は早めに仕入れたんですが、お探しの方が多くて。もう中央のテーブルに残ってるだけなんですよ」
「え!?」
「クリスマスセールも年々早くなってますし、最近はハロウィンが終わったらもうクリスマスの準備をされる方が多いみたいで」
薬子が気づかないうちに、そんなことになっていたのか。自然とため息がもれる。
「とりあえず来週、クリスマスではないんですが、何点かシールが入ると思いますよ。良かったら見に来てください」
店主はそう言って笑顔を見せた。かなり頻繁に商品が入れ替わっているようだ。これはこまめに覗かねばならない。
是非、と返事をした薬子は店を出て、ふと思った。
「……物欲は敵なのに、それでいいのかな?」
色々やりたいことが出た、というのは回復の兆しだろう。しかし、働く事への恐怖心はまだ残っている。……どうせ回復するなら、逆にしてくれれば良かったのに。
薬子はなんとなく困ってしまって、暗くなってきた通りを進んだ。
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