第6話 回復(リハビリ)5 ハンドメイドマルシェ
まだ息が白く見えるほどではないが、枯れ葉が道に落ちるようになった季節。
「あれ、何かやってる」
特にやることがなくて、ぶらぶら町を歩いていた
階段を降りて案内板を見ると、十数人の出店者がいる。要は昔のフリーマーケットのようなものだ。
薬子はそのうちの一つに目をとめた。若い女性が、自分の描いたイラストをグッズにして売っている。
「いらっしゃいませ」
「な……なかなかパンチがありますね」
彼女が売っていたのは、「デス舞子」というキャラクターだった。顔を白塗りにした舞妓さんがゴスロリ風味の着物を着て、ごついロックギターを持っている。本物が見たら失神しそうなキャラクターだが、絵はとても上手だった。
「でも、この指のところとかすごい……」
舞子の繊細な指に、全て違うデザインの指輪がはまっている。
「ありがとうございます! 頑張って考えたんですよ。やっぱり手って描くの難しいから、どうせ描くならこだわりたいなって思って! 納得いくまで考えてたら、威信さつの締め切りギリギリになっちゃいました」
「本当にすごいです。特にこの薬指の……」
褒めると心底彼女が嬉しそうにした。小型犬がぶんぶん尻尾を振っているようなかわいらしさに、薬子の心も和む。
会計を済ませた薬子に、彼女はにこにこと笑いかける。
「今はまだできてないんですけど、良いデザイナーさんと出会えたら、指輪も実際に作ってもらおうと思ってるんです。お姉さん、また来てくださいね!」
「またその時はよろしく」
その場をとりつくろって、薬子は店を離れた。
「指輪、かあ」
着古してぺらぺらになったしょぼくさいカットソーを見て、薬子は苦笑いした。買うなら服や靴の方が、圧倒的に先だ。指輪が買えるようになるのは、いつの事だろう。財布の中身を見て、再度ため息をつく。
しかし数日後、そんな薬子にもいいことがあった。
「あれ、こんなにポイントたまってたっけ?」
何気なく、クレジットカードの電子明細を見ていた時。予想より遥かに多くのポイントがたまっていた。
今は何よりも現金、またはそれに準ずるものがありがたい。早々に交換しようと、薬子は急いで手続きを済ませた。
結果、一万円の商品券が手に入った。これで現金の減少を補える。しかし、薬子は手放しで喜んではいなかった。
「でも、冬になると光熱費高いし……全部使っちゃうのはダメだな」
半分強を貯金に回し、他でなにかできないかと薬子は考えた。できれば何か楽しいこと。今までの鬱憤を吹き飛ばしてくれるようなこと。
近日行われるイベントを検索していると、不意に一枚の写真に目がとまった。この前見かけた店たちに、よく似ている。
「ハンドメイドマルシェ」と、そう記されている。自分が作ったものを持ち寄って売るイベントで、スペースは三百近くになるそうだ。それが、ちょうど一週間後に開催される。いいタイミングだ、と薬子は喜んだ。
次の日、起きてすぐに薬子はコンビニに赴いた。そこの券売機でイベントを指定すると、コンビニのレジでチケットを購入できる。
チケット売り場に並ぶ必要も無い。映画の配信といい、よくできたシステムだ。こういう人を甘やかす仕組みは、誰が考えているのだろう。
当日、久しぶりにお気に入りの服を着て薬子は出かけた。どちらへ行ったらいいのかと迷ったが、人の流れを目印に進むと、すぐ看板が見えてくる。複数の看板に従って歩くと、目的地のホールが見えてきた。
埋め立て地に作られたホールは、薬子の予想を大幅に越える大きさだった。人が蛇のようになって吸い込まれていくのに、溢れてくる気配がない。しかも敷地内には、同じようなホールがあと五つもあるのだ。
「ハンドメイドマルシェ受付の方、こちらですー」
なんとか目的の館に辿り着くと、揃いのTシャツを着たスタッフが案内をしていた。薬子は握り締めていたチケットを彼らに見せ、パンフレットをもらう。横には、同じような入場者がたくさん並んでいた。
皆がなんとなく浮き足立っているように感じる。無理もない。会場には三百以上の店が並び、まさに祭。その雰囲気が、人をたかぶらせ、自然とそうさせているのだ。その気持ちは薬子もよく分かった。
開け放された扉をくぐると、様々なブースがびっしり並んでいる。薬子はざっと見回してみたが、服や陶磁器まで自作している人がいることに驚いた。
やはり一番多いのは、アクセサリーのブースだ。ほとんどが女性向けのようである。青、緑など透明な硝子が並ぶネックレス。品の良い小粒の真珠をちりばめたピアス。ビーズや天然石を組みあわせて作ったブレスレット。いずれもとても綺麗だったが、昔の服を着ている薬子はなんだか気後れしてしまった。
欲しいなと思う物もいくつかあったが、もっと素敵な人が買った方がいいに違いない。あまり派手なものはもて余すし、第一、高価だ。
「予算は二千円……」
食費をできるだけ削ってみたが、交通費と入場料を引くと、会場で使えるのはその程度の額。
とんでもない数の出展者を見ていると、あれもこれも欲しくなる。これは薬子の理性が、欲に勝てるかという戦いでもあった。
千円台で買える物など少ないだろうと思っていたが、文房具や小物に限れば選択肢はかなり多かった。真剣に店先で顔をつきあわせている人たちも多い。薬子はそういう人たちと一緒に、今日買うべき逸品を吟味し始めた。
暖かそうな毛並みを再現したフェルトのぬいぐるみ、文房具をかたどったキーホルダー、猫の細工がしてあるアロマストーン。
うっとりするような細かさやかわいらしさの中で、ふとシンプルな造形が薬子の目にとまった。
「最新作なんですよ、見ていってください」
声の方を見ると、卓の上に様々なグッズが並んでいる。全て食材や料理をモチーフにした小物類だ。ノートやシール、トートバックに並んで、立体物が見える。掌大のポーチの山だ。
「かわいい、これ」
かまぼこのポーチを見て、薬子は噴き出した。
「鞄の中に入れとくと、面白いですよ。うち、こういう食べ物シリーズ作ってるんです。他にも見ますか?」
店を開いていたのは若い男女の二人連れで、薬子がうなずくと、女性の方が色々とポーチを見せてくれる。おにぎりやいなり寿司、クロワッサンにオムライスと和洋問わず色々なものがあった。
「でも、ちょっと発注がうまくいかなくて……今日ちゃんと商品が届いてるのは、かまぼこだけなんですよ。展示品販売でも良ければ、他のもお売りできますけど」
確かに、他は袋に入っていないサンプルが置いてあるだけだ。かまぼこだけがたくさん並んでいる光景は、妙にシュールである。
薬子は微笑みながら言った。
「いえ、このかまぼこが気に入ったので。これをください」
「ごめんなさい、次はそろえておきますから」
明るく言う女性に、薬子は笑って首を横に振った。不測の事態やミスなどよくあること、それで苛々する人間にはなりたくない。──自分がされて嫌だったことは、他人にもしないのだ。
同じように感じていた人がいたらしく、ポーチを指さして笑う女性たちの姿が見えた。薬子が買ったそれを揺らすと、楽しそうに微笑みかけてくれる。
──人に会うのも、悪くないかもしれない。
人間不信の沼に落ちこんでいた薬子の精神が、ほんの少しだけ浮上した気がした。
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