8-6
俺が椿の小さな体を受け止めると、黒髪の椿が俺の腹部に顔を擦り付ける。その姿を見て、杏の言っていたことを思い出す。金髪碧眼の座敷童は、その存在自体が危ないという言葉だ。今の椿は菫のように黒髪で黒い瞳だ。つまり今の椿の存在は、安定しているということだろう。しかし、椿が俺の前から消えてそれほど時間が立っていない。こんなに短時間で、元の座敷童の姿に戻れたのだろうか。
「お前、どうして? もう、大丈夫なのか?」
「はい! ここは素晴らしいパワースポットですし、私は短い時間とはいえ、ここの
祭神だったので、元に戻ることが出来ました!」
口早に椿に説明され、俺は安堵から疲労を感じ、その場に崩れ落ちた。だが、ここは普段は立入禁止の本殿の中だ。早く帰らなければならない。
「良かった、椿。本当に良かった」
「はい! 主様のおかげでもありますよ」
「俺?」
「だって、いっぱい、いっぱい、私のことを呼んでくれていたじゃないですか! 椿って」
俺は崩れたまま、椿を抱きしめて頭を撫でた。いきなり消えたら、それは名前を呼ぶだろう。何度でも、何度でも。ウザいくらいに。
「じゃあ、急いで帰ろう」
俺は大人が子供にするように、椿の手を引いた。だが、椿はそこから動かなかった。
「椿?」
立ち尽くす椿を訝しんで振り返れば、椿は俺の手を振りほどいて笑顔を見せた。無理に笑っていることが明白な、ぎこちない笑顔だった。
「あの部屋には、もう戻れません。あの部屋にはもう、座敷童がいます」
「菫のことか? それなら気にすることはない」
「ダメなんです。座敷童は主様と一対。その原則は破れせん。きっと椿は、あの部屋には入れないでしょう」
椿は神妙な面持ちで、俺を見つめた後、眉を八の字にして笑った。
「だから、さようならです、主様」
「椿?」
「大丈夫です。椿にはつながりがあります」
椿は鈴を鳴らして見せた。
「私を捜してくれて、ありがとうございました」
「椿!」
俺の声も虚しく、椿は鈴の音だけを残して姿を消した。
俺は本殿から出ると、鍵を閉め、その鍵を冬馬さんの家の郵便受けに落とし、帰路についた。俺は夕暮れに、椿を諦めないと固く誓った。
アパートに帰ると、正座する牡丹の姿があった。
「牡丹、ごめん」
俺が話し始めようとすると、牡丹は「しー」と言いながら、鼻先に自分の人差し指をくっつけた。そして小声で俺に言った。
「今、眠ったところなんです」
ハッとして牡丹を見れば、牡丹の膝枕に頭を乗せたまま眠る菫の姿があった。机の上には夕食が準備されていた。
「牡丹も、見えるのか?」
牡丹は首を振った。ただ、人の気配や温もりを感じるのだと言う。そしてどこかで、「懐かしい匂いがする」と声がしたらしい。俺は一人合点していた。元々菫は、大家さんの家の座敷童だ。牡丹はそこのメイドだったため、大家さんの家の匂いが牡丹に移っていたのだろう。その匂いを嗅いで、菫は安心しきって眠っているのだろう。俺は菫をこのまま、この部屋の座敷童として受け入れようと決めた。そして、椿のことも諦められないのだ。
全ての神様たちを助けることは出来なくても、俺なりに出した答えだった。
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