7-3


「君はどう思う? この実習を取るなら何をテーマにしたい?」

「え、と。座敷童ですかね」


 本当ならば、ここで引き継ぐべきテーマを言うところだっただろうが、俺が今興味があるのはそこだけだった。竹内先生は、煎餅をバリバリとかみ砕き、コーヒーでそれを飲み下した。ブラックコーヒーに醤油煎餅って、合うのだろうか? 


「ここには、座敷童の伝承がやはりあるのか?」

「やはり?」

「六年もやっていると、ちらほらと聞き取って来る学生がいたんだよ。君はどこでそれを?」

「俺の場合は、大家さんに聞きました」

「ほう。大家さんは何歳くらいだ? 女性か?」


 竹内先生の押してはいけないスイッチを、押してしまったらしい。完全に研究者モードになっている。興味津々の様子で、俺に近付いてくる。


「女性です。歳は、だいたい七十代くらいだと思います」


ごめんなさい、大家さん。勝手に情報漏洩しました。そして牡丹、ごめんなさい。謝るから、殺さないで。


「ふむ。で、どのような伝承だったか、覚えているな?」

「はい」


俺は大家さんから聞いた座敷童と庄屋の話を、竹内先生に話した。もちろん、俺のアパートに神棚があり、本物の座敷童である椿と同棲していることは話さなかった。


「私が学生から聞いたものと、少し違うな」


口頭伝承とは、往々にしてそんなものである。同じ座敷童について語られていても、短かったり、長かったり、内容が全然違ったりする。口頭で人々の間に伝承されてきた物語であるため、どれが先か、どれが正しいのかなどには答えがない。後世に生きる俺たちは、そんな物語を比較検討することで、自分なりの考察を行っていくのである。ちなみに竹内先生が六年間の実地調査で聞いたことがある座敷童に関する口頭伝承は、二種類あった。いずれも俺が大家さんから聞いたものと大きくは違わないが、興味深い差異が見られた。


 一つは、俺が聞いた口頭伝承に続きがあった。座敷童の神棚を新しい妻が壊した後、その庄屋の家は不幸に見舞われ、病に伏し、結局御家断絶となる。その後、実は庄屋には奉公に出していた息子がいることが判明し、その息子が家の窮状を知る。息子は家に戻り、神棚を新調し、座敷童をもう一度家に戻すことに成功し、家も商売も立て直すというものだ。家の当主に成長した息子は、座敷童を大事にするという誓いを立て、鈴をその証として神棚に祀った。


 もう一つも、俺が知っていたものと大きくは変わらないが、切ない要素が含まれていた。庄屋の家から避難した座敷童は、元の優しい庄屋が忘れられず、どこにも行く当てがなかった。福の神である座敷童は、祀られないと死んでしまう。庄屋は神棚を壊した新妻と離婚し、座敷童を探し歩き、ようやく見つけるが、時はすでに遅かった。消えていく座敷童は、庄屋に鈴を残して自分のことを忘れなければ、またいつか出会えると言って消えてしまう。庄屋はその鈴をお守り代わりにして、決心し、店も家も立て直すことに成功する。しかし、豊かさが戻った庄屋には、もう座敷童は必要なかった。それでも座敷童が忘れられない庄屋は、八巡神社にその鈴を奉納し、この世を去った。


 どちらも、胸に苦いものが残る。そして鈴がキーワードになっており、重要な役割を果たしている。そして、その鈴は、いずれも八巡神社の御神体を彷彿とさせた。俺にとって、これらの口頭伝承は、もはや他人事ではなかった。口頭伝承であるから、それをそのまま歴史上の史実と捉えられないということは、知っている。それに口頭伝承は、社会システムであり、その口頭伝承が伝わっている社会を維持するための物だ。それも、分かっている。しかし、もしも庄屋の家系に生き残りがいて、鈴を祀ったなら、俺の部屋の神棚はその生き残りが伝承した神棚ということになる。そしてその鈴が、いつしか神社に祀られるようになった。そうとは考えられないだろうか。それに、二つ目の口頭伝承に、気になる部分があった。それは豊かになった庄屋には、座敷童は必要なくなり、消えてしまうという部分だ。つまり、椿の存在は、俺が思っているほど単純なものではないのだ。しかもここでも鈴が、八巡神社の御神体として出てくる。これは一体どういうことなのだろう。そして、俺が大家さんから聞いた口頭伝承にだけ、鈴が出てこなかったのは、偶然か、必然か。考えるだけで、俺の心臓は長距離を走った時のように、ばくばくと音を立てていた。


「六年も調査しているのに、君のを合わせても三つだ。どうやらすこし暮らしに余裕がある年配の方でないといけないらしいな」


 竹内先生が腕を組んで、そんな事を言った。


「お金持ち、ということですか?」


 そこにヒントがあるならば、喉から手が出るほど欲しかった。しかし、竹内先生は首を横に振った。


「お金持ち、イコール、暮らしに余裕があるとは限らないだろう?」

「ああ、そうですね」

「君にこの口頭伝承を聞かせてくれたのは、大家さんだと言ったね?」

「はい」

「大家はお金さえあればなれるものではない。管理するのは建物だけではないからな。その建物に入る住民や、企業の人間も管理しなければならない。すると、社会的関係を良好に保つことができ、他人を見る目があり、周囲に頼りにされ、それに答えることができる。信頼関係も重要だ。その結果として借り手が順序よく見つかり、収入につながると言うわけだ。暮らしに余裕があるとは、そう言うことだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る