7-2


 冬馬さんが促すが、今度は誰も手を挙げない。皆、同じ質問だったようだ。しかし、皆が釈然としているわけではなかった。諸説あるため、確定できないというのが腑に落ちない様子だ。竹内先生も授業で言っていたが、日本の学生は起源論的な説明をされると、安心してしまい、そこで思考停止に陥りやすい。まさに俺のことだった。つまり、先ほどの質疑応答を例にとると、「何故赤いのか?」について、「ここの神様が赤い色を好むから」と言い切ってもらったほうが、納得しやすいのだ。しかし、実際は真実は人の数だけあり、解釈も異なる。それを理解した上でないと、起源論はただのクイズ番組の解答と違わなくなってしまう。最近のクイズ番組では、諸説あることを無視していてよくないと、竹内先生は憤っていた。そして、学生にはけして思考停止にならないように注意していた。


 その後、神社に伝わる貴重な巻物があるということで、宝物殿に皆で移動した。蔵のような建物だった。中はミニ博物館といった体で、いくつかの資料が展示されていた。冬馬さんが学生たちを待たせ、宝物殿の奥に行く間に、竹内先生から説明があった。これから見せてもらう八巡神社縁起は、絵と書いずれも不明な巻物であり、紙の年代から江戸時代初期にかかれた物であること。今回の調査で六回を迎えるこの実習では、いつも拝見させてもらっていること。そして、もしもその巻物に値段を付ければ、数百万はくだらないということ。その金額に、学生たちの間に緊張が走る。俺は絶対に、巻物に近付かないと決めた。俺のことだから、こういう時にこそ、体質が災いして巻物を破りかねないのだ。博物館同様に、写真などは禁止された。そうこうしている内に、冬馬さんが桐で出来た箱を持って、戻って来た。両手で恭しく掲げられたそれは、いかにも貴重である。


 机の上に、紙に包まれた巻物を置き、紐をほどく。ゆっくりと巻物が転がすように開くと、そこには江戸時代に描かれたとは思えない色彩で、絵が保存されていた。字は読むことができないが、これも保存状態がいい。机の上に展開される文字が少ない絵巻物は、物語を表していることが分かる。以前に俺が竹内先生に聞かせてもらった、この土地の成り立ちに関する伝承である。冬馬さんは絵巻物を慣れた手つきで開きながら、説明していく。学生たちはそれを食い入るように見つめ、息をするのを忘れていた。俺も、その中の一人だ。巻物が巻き取られると、そこにいる全員からため息が漏れた。急いでメモに記憶を記録に残そうという強者もいる。冬馬さんが巻物を片付けると、竹内先生が宝物殿から学生たちを追い出した。ここで昼食の時間になったため、一度公民館に行くことになった。冬馬さんにお礼を言って、ぞろぞろと公民館に行く。畳に車座になって座り、ストーブを付けて休息をとる。終始緊張を強いられていた学生たちは、ここにきてようやく一息ついた表情になる。そこに、玄関から女性の声がして、昼食が届いた。店の人にはもう既に料金は支払い済みだし、今までも同じ店を利用していることから、店の人も心得たものだ。時間ぴったりに全員分を届けてくれる。俺一人では全員分を運べないので、下座に座っていた何人かに手伝ってもらいながら、上座の方から昼食を配る。女性は食べ終わった頃に器を取りに来ると言い残し、車で去って行く。俺が戻る頃には竹内先生は完食していた。食べるのが早い。一体その細い体のどこにそんな食欲があるのかと疑問に思う。俺はどんぶりを開けて、さっそく食べ始める。一食一人五百円以内というので、正直あまり期待していなかったが、期待以上のボリュームと味だった。昼食から一時まで休憩時間となった。その間に俺は学生たちに湯を沸かす。公民館の物でも消耗品は勝手に使えないので、竹内先生が買ってきてくれた緑茶や烏龍茶のティーパックや、インスタントコーヒーを学生たちが各々選んでいく。竹内先生はブラックコーヒーだ。


「飲みながらでいいから、聞いてほしい」


 まだ約束の午後一時になる前に、竹内先生が話し始めた。さすがはスパルタで知られるゼミを受け持つ教授だ。一分一秒として、研究に割く時間は無駄にしない。


「これから自分の受け持つテーマに沿って、調査してもらう。トイレは必ずここのトイレを使うこと。そして、自分の名乗りを忘れないことだ。そして午後四時にはここに戻り、今日の調査結果の報告会を開くからそのつもりで。では、一旦、解散だ」


 調査するテーマは、前年度からの引継ぎだ。学生たちには実地調査の前に、どの調査を引き継ぎたいかを選んでもらっている。一番人気は「神社」で、いつもジャンケンで調査班を決めている。調査班とはニ、三人で組んで、同じテーマで調査をする括りのことだ。調査後のレポート提出も、この班ごとの提出になる。二番人気は「信仰」で、神社以外の信仰と神社の関係性についてのテーマだ。次に「歴史」、「地名」、「方言」などとなる。


 神社の実地調査というと、神社だけを調査するように聞こえるのだが、実際は地域の人々のお宅訪問だ。昔から八巡神社や学生に理解のある高齢者の家庭は、調査を受け入れてくれる場合が多いが、新しく転入してきた家では拒否されることも多い。この調査拒否が続くと、心が折れる学生が多いと言う。レポートが出せないというプレッシャーに加え、拒否が続くと自尊心に傷がつく学生がいるのだ。俺は完全にこのタイプだから、来年からの調査参加に、早くも暗雲が立ち込めることになった。学生たちがそれぞれ調査に出かけている間、俺と竹内先生は基本的に暇だ。いや、先生は論文を持ってきていて、仕事をしているが、俺は小説を持ってきてしまっている。別に今更真面目ぶるつもりはないが、もう少し研究よりの新書などにしておけば良かったと後悔した。正直、沈黙が重たく、冷たい。


 そこに、救いの手が差し伸べられた。貸布団屋の車がバックで入って来たのだ。ワゴン車の後ろには、泊まり込みで調査を行う学生の人数分の布団が積まれていた。俺はその運び出しを買って出て、隣の和室に布団を運び入れた。ここでも先に支払いを済ませてあったため、貸布団屋はすぐに帰っていった。


「ご苦労だったね」

「あ、いいえ」


俺は竹内先生の隣りに座った。竹内先生は煎餅を片手に、論文を読んでいる。残念ながら日本語でも英語でも、ましてロシア語でもない文字で書いてある。

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