七章 実地調査

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 民俗学コースの実地調査実習初日は、極寒だった。おそらく、元々この土地に住んでいる人からしてみれば、木枯らしが吹いた程度だろう。しかし、都会のぬくぬくとした環境で育った俺は、寒さにとてつもなく弱かった。この辺りは雪も降るらしい。ホワイトクリスマスとか、雪の中のイルミネーションとか、雪国に対する憧れはあったが、秋なのにここまで気温が下がると先が思いやられる。それにしても、実習の参加者の割合がおかしい。ほとんど女子だ。男性の参加者は三人しかいない。対して女子はその四倍くらいはいる。ここで桜にまた「女難の相が」と言われたら、今度こそ死ぬんじゃないかと思う。


 現在、朝の十時。予定通り、参加者は八巡神社の鳥居の前に集まっている。マリア先輩がいないと思ったら、レポートのやり直しで、急遽不参加となったと言う。ちなみに、柳も不参加だ。竹内先生は普段は知的な会話を楽しんだり、冗談を言ったりする人だが、研究のこととなると鬼だ。一行目からダメ出しがある。レジメの見直しは最低五十回と命じ、年間二百冊の専門書の読破を指示する。竹内先生に学内から院生が出ないのは、授業が面白くないとか、民俗学に飽きたとか、そう言ったことではなく、竹内先生の卒論ゼミが厳しすぎるからだと聞く。マリア先輩のチューターをやっているから、俺もそんなことだろうと思ったし、その噂は本当だと知っている。マリア先輩も、竹内先生の愛ある指導のおかげで、何度も泣かされている。学部生には竹内先生の受けはいいが、本性を知っている俺は今から卒論ゼミが怖い。


「時間だな」


 竹内先生は一分の狂いもない腕時計を見ながら言い、学生たちに向かって話し始めた。今までがやがやとしていた学生たちは、ピタリと会話を止める。


「では、これから神主の方からお話を伺い、この土地について調べてもらう。くれぐれも、失礼のないように。それから、近くの公民館を、休憩所として使わせてもらうことになっている。彼の案内に従ってくれ。彼はまだ一年だから、質問は私に。分かったな?」


 全員が返事をして、竹内先生に引率されて行く。俺もその最後尾に続いた。


 俺の役割は、学生たちに世話をやくだけだ。調査の邪魔にならず、生活面でサポートできるようにするくらいの、ある意味とてもお気楽な仕事だ。明日からは朝一で公民館でストーブをたき、学生のために湯を沸かして茶を出し、買ってきたお菓子を並べるくらいだ。学生たちが調査に出ている間は、俺の自由時間となる。勉強していようと、小説を読んでいようと、何をしていても構わない。正直、こんな楽な仕事で大金を得るのは、どこか後ろめたい気がする。今日は初日だから布団屋から布団を借り、大広間に並べて置く必要がある。それに、昼に何人が公民館で昼食をとるのかを、店に報告し、公衆浴場で風呂を借りられるように、手配しておく必要がある。広い境内にはいくつもの小さな社があり、奥に進むと本殿がある。学生たちは冬馬さんから話を聞きながら、メモを取るのに必死だ。来年にはそちらの立場になるのだと、俺は見学にまわった。


 今日は特別に、本殿の社の中を見せてもらえることになった。鍵を外し、木製の扉を開くと、中央に錆びついた大きめの鈴が鎮座していた。


「この鈴が、この神社の御神体です」


 板張りの床をぎしぎしと言わせながら、学生たちがケースの中を覗き込む。まるで博物館の特別展を見に来た時のようだ。壁には子供用の人形や、赤一色の千羽鶴など、不気味なものが並んでいる。その様子に、参加した学生たちも辺りを見回して、独特な雰囲気に吞まれている。冬馬さんが学生たちに本殿から出るように言うと、学生たちは神妙な表情で静かに靴を履き始めた。もう誰も、無駄話をしていなかった。冬馬さんが鍵を閉めると、やっと学生たちの表情のこわばりが解けた。しかし、俺の場合はそうはいかなかった。椿とのつながりも鈴。そして八巡神社の御神体も鈴。しかも二つの鈴は大きさはほぼ同じくらいで、錆びていなければ、よく似ていただろう。これは偶然だろうか。それとも、何か意味があるのだろうか。俺は冬馬さんがこの神社と市の関係について、学生たちに語っている最中にもかかわらず、冷や汗を拭いていた。


 ここで、学生の中から手が挙がった。質問の受付については何も注意していなかったので、質疑応答はその場の流れで許されるのだろう。


「何ですか?」


 冬馬さんはゆっくりと、挙手したままの学生に言った。


「どうして、赤なのですか? 何か意味がありますか?」


 そう言われてみれば、ここの神社で売られているお守りも、奉納されていた千羽鶴も、赤一色だった。さらに、御神体の鎮座する場所にも、お雛様に用いられるような緋毛氈が敷いてあった。俺は神社の鳥居が赤いから、そういった信仰上の理由で赤いのだろうと思い、そこで思考を止めていた。何故、赤い色が信仰と結びつくのかまでは、考えていなかった。冬馬さんは微笑んでその学生の質問に答える。


「諸説あります。まず、ここに祀られている神様が、赤い色を好むからというのが一つの理由です。もう一つは、赤ん坊と関係しているという説です。赤ん坊は生と死の境の存在といえます。そういった境には、昔からこの世のものではない存在が在ると信じられてきました」


 学生たちの鉛筆が走る。何故鉛筆かというと、万が一何かにぶつかっても、傷や痕が修復しやすいようにするためだと言う。博物館学で習った、博物館に訪れた際に鉛筆でだけ筆記が許されているのと同じ理由だ。俺も頭の中でメモを取る。神様は赤い色が好き。それに、赤ん坊とも関係しているのかもしれない。そう言えば、七歳までは神の内だから、子供の成長を祝って七五三をやるんだっけ。ということは、座敷童もこの世の存在でありながら、この世の存在ではないことを、体現している存在なのか?


「他に質問は?」


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