6-4
柳と冬馬さんに見送られ、鳥居をくぐった時、俺の財布の鈴が鳴った。小さな音だったが、確かに鳴っていた。そして俺はこのことで椿との約束を思い出す。八巡神社には近づかないという約束だ。しかし俺はもうこの実習に参加する予定だったので、言い訳を考えながら家路につく。ゆっくりとした俺の足取りだったが、鈴は鳴り続けていた。こんなことは初めてだ。バッグから財布を取り出すと、そこに付けていた鈴が、震えるように小刻みに鳴っていた。一体何だろうと考えていると、また椿に何かあったのではないかと心配になった。俺の足は自然と速足になった。しかし、そこで俺はあることに気が付いた。確かめるために、立ち止まる。すると、音が消える。また歩き出すと、音がする。この繰り返しだった。明らかに、俺は何者かに尾行されている。何の前触れもなく駆け出した俺は、急に角を曲がり、店の看板の後ろに身を隠した。
慌てた様子で、追跡者が転がるように角から出てくる。驚いたのは、俺の方だった。姿を現し、きょろきょろと辺りを見回し、俺の姿を探していたのは、着物を着た女の子だった。切りそろえられた黒髪に、大きな黒い瞳で、白い肌をしていた。見失ったためか、肩を落としたその女の子は、いつの間にか姿を消していた。女の子は、裸足だった。こんな事を言ったら椿は怒るだろうが、椿よりも座敷童感が強い女の子だった。しかも、俺はあの女の子を知っている気がしてならない。あの大きな黒い瞳に、いつだったか見つめられていた気がする。そして、顔の輪郭も覚えているような気がする。一体、どこからついてきたのか。そして、何故俺を尾行してきたのか。そしてあの子は誰だったのか。謎は解けないまま、俺は帰宅した。
「ただいま」
俺が靴を脱ぎ、部屋に入ると、そこにいるはずの椿の姿がなかった。まさか、また風呂場かと思って開けてみるが、そこにもいない。
「椿? あれ?」
ベッドの布団を捲ってみたり、クローゼットを開けてみたり、台所の隅を覗いてみたり、トイレをノックしたり、いろいろと探したが、どこにも椿の姿がない。しかし、椿はこの間取りからは出られないはずだ。俺の頭をかすめるのは、柳と付き合うことになった日の夜の出来事だ。あの時はこの鈴があったから、何とか椿の存在を確かな物に出来たが、今回は様子が違う。そして、杏の言葉も思い出される。
——その座敷童、危ないかもしれない。
俺という不幸体質の主を持ったがゆえに、完全な姿を保てなくなった椿は、ついに限界を超えてしまったのではないか。つまり、消失してしまったという可能性があるのだ。俺はハッとして、神棚の前で財布の鈴を鳴らした。そして神社に詣でるように柏手を打ち、椿のことを強く念じた。その直後だった。俺の後ろで、別の鈴の音が鳴った。そこには、床に倒れ、息も絶え絶えな椿の姿があった。
「椿! 良かった!」
俺は嬉しさのあまり、椿を抱きしめた。
「あ、主様、禊ぎを……。は、やく……」
「禊ぎ? ああ、風呂か。分かった。分かったから、少し休んでてくれ」
俺はベッドに椿を寝かせ、風呂場で水風呂に入った。正直、この季節の水風呂はかなり厳しかったが、椿の存在には代えられない。風邪を引く覚悟で、俺は体を清めた。服も取り替えて、ベッドの中の椿に近付く。どうやら眠ってしまったようだ。それほどまでに、体力も気力も使い果たしたということか。やはり、八巡神社に近付いたのが悪かったのだ。それに、この俺が不幸体質であることも。俺はそっと椿の頭を撫でた。
「ごめんな。もう少し、我慢してくれよ」
こうなったら、借金をしてでも早くこの部屋から出るしかない。今回の実習の手伝いが終わったら、もう八巡神社にも柳にも近づくことはやめよう。俺はそう腹を括って、夕食の準備に取りかかった。その途中、椿は起き出して俺の腰に手を回して抱きついた。
「主様。お願いです。椿以外に、誰にも名前を与えないで下さい」
小さな声は、かすかに涙に滲んでいた。
「分かったよ、椿。だからもう少し待ってろ。今夕食作ってるから」
「はい」
椿はすんなり離れ、ベッドにもぐり込んだ。俺は椿と牡丹のおかげで、和食なら一通り作れるようになっていた。その力を使い、金欠ながら立派に夕食を作り、酒も供えた。それらを椿の前に置くと、椿は「美味しいです」と顔をほころばせたが、やはり元気がなかった。俺は申し訳ない気分になりながら、それを平らげた。
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