6-3

 通された客間は、広くて日当たりが良かった。畳の上にあめ色に輝く矩形の机が鎮座していた。下座に座った俺たちは、緊張しながら柳親子を待つ。桜が心得た様子で座布団を出してくれたので、誰がどの位置に座るかは一目瞭然だった。そこに、柳が一人の男性を伴って部屋に入って来た。白い着物に袴姿の男性は、俺の思い描いていた通りの威厳があり、堂々とした態度はこちらが背筋を伸ばしたくなる。眼光が鋭く、白髪交じりの髪の毛を後ろに撫でつけている。蛇に睨まれた蛙の心地だ。しかし、竹内先生を見つけると、その表情がにわかに和らいだ。


「これはこれは、竹内先生。いつも娘がお世話になっております」


 神主さんはそう言って、竹内先生に軽く頭を下げた。そして再び表情を引き締め、俺とマリア先輩を見た。


「今回の院生さんは、いつもより若いようだが?」

「今回はこっちが院生で、そっちは学生です」

「マリアです」

「あ、樹拓磨です。よろしくお願いします」


 俺は咄嗟に頭を下げる。マリア先輩もさすがに空気を読んだらしく、一緒に頭を下げていた。どこか抜けていても、ちゃんとするところは、ちゃんとする。マリア先輩は意外に世渡り上手なのかもしれない。挨拶の後、俺はキャプ付きの缶コーヒーを配り、竹内先生はさっそく開封して一口飲んだ。こちらが緊張から足も崩せずにいるのに、竹内先生はいつも通り自然に振舞う。まるで仲のいい友達の家にでも遊びに来たかのような、そんな雰囲気だ。改めて、大学教授は曲者ぞろいで、強者ぞろいだと思う。


「こちらこそ、いつも差し入れありがとう。私は冬馬とうまといいます」

「そして柳のパパなのですぅー。ね? パパ」


 柳が神主さんの肩に寄りかかる。神主さんは耳まで赤くして、柳を押し返す。


「こら、柳。お客様の前で、それはやめろと言っているだろう」

「え? そうだっけ?」


 ああ、俺の神主さん像が崩れていく。この人、外面は真面目な神主さんなのに、柳の前では娘に甘いパパなんだな。なんだか娘にデレデレになっている神主さんの神社って、御利益がなさそうだな、と思ってしまう。貧乏神の柳がどうしてこの人を対象にしたか、やっと分かった気がする。色々な意味で、この人は柳の「パパ」なんだな。俺の家でも椿が俺にべったりだから、冬馬さんに親近感を覚えてしまう。どんな神様であれ、好かれることって、大変ですよね。分かる、とても分かる。しかし、俺の隣りの竹内先生は、そんな光景には目もくれず、半ば強引に本題に入る。


「それで、今年も学生を受け入れて頂けますか?」

「もちろんです」


断る理由なんかありませんよ、と笑う冬馬さんに、竹内先生も「ありがとうございます」と頭を下げる。


「日程はいかがでしょうか? 受験シーズンはお忙しいでしょうから、早めにした方が良さそうですね」


「そうして下さると有難いです」


 受験シーズンは、大学側も忙しいというイメージだったが、教授方にとっては受験担当にならない限り、フィールドワークのシーズンだ。受験生への対応は、大学の事務が行うため、教授たちはあまり関係ないらしい。その一方で、神社は神主も巫女も大忙しだ。特にこの神社は「八」という末広がりの縁起のいい漢字を持つ神社で、かつ病除けの御利益があるとして有名だ。受験生にとって体調不良は、自分のこれまでの努力を発揮できなくなる可能性を高めるので、出来るだけ避けたいものだ。そのため、受験シーズンになると県内外から受験生やその親が、参拝に訪れ、お守りを買っていく。それが年末年始と重なるため、その前に調査日程を組む必要があるということだ。今はもう九月だから、早くて来月辺りになるのだろうか。いや、その前に、俺は何か重要なことを忘れている気がするのだが、どうしても思い出せなかった。


「今年も、学生さんは十五人程度ですか?」

「はい。そう見込んでいます。それと、この二人が手伝いです」

「二、三年生が主ですね?」

「はい。一年生も一応参加はできるのですが、メインはそうなります」

「時間帯は十時から四時までですね」

「はい。昼食は近くの定食屋に頼みますので、お構いなく」

「今回も公民館をお借りですか?」

「はい。毎年ですし、長距離通学の学生もいますので」


 俺とマリア先輩は顔を見合わせた。大学には電車で通ってきている人もいる。そのため、調査開始時間の十時に間に合わない学生もいるわけだ。俺もマリア先輩も大学近くのアパートで、一人暮らしをしているため、そこまで気が付かなかった。毎年、公民館に泊まって調査していたのか。しかも、調査期間は一週間もある。その期間、ずっと公民館暮らしになるとは、かなりハードな調査なのだと思い知らされた。それに、昼食代は一食一人につき、五百円だ。定食屋で五百円とは安すぎる。かなりの粗食になりそうだ。実地調査とは、精神的にはもちろん、体力的にも厳しいものなのかもしれない。俺とマリア先輩がそんなことを感じている間にも、竹内先生と冬馬さんの確認作業は淡々と進み、缶コーヒーには手を付けないまま、神社を後にすることになった。


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