5-5
梅野先輩と柳が、不思議そうに顔を見合わせている。杏の視線は、柳の顔に釘付けになっている。柳はその視線に気付かないふりをしている。何故か杏の登場で、俺たちはぎくしゃくしてしまう。それもそのはずか。杏は俺の元カノだし、柳は俺が彼女にしようとした経緯がある。杏はカウンターを振り返って、勢いよく宣言した。
「私、彼と一緒の部屋で結構です!」
「は? え? 何言ってんだよ、杏!」
「いいでしょ! 元々付き合ってたんだし。それに、今度は貧乏神に付き纏われている拓磨を、放っておけないわよ」
杏は柳をにらみつけて言った。
「え? 貧乏神?」
どうして柳が貧乏神だって知ってるんですか? 何、柳って女から見たら、そんなに分かりやすい神様だったのか? もしかして、俺って本当に見る目がないとか?
「そっちこそ、災厄神のくせに!」
いつもはおとなしくて和やかな柳も、さすがにキレ気味だった。いや、普通そうなるだろ。いきなり現れた同性に、貧乏神だの災厄神だの言ったら、どちらも怒るに決まっている。これ以上の侮辱はない言うほどの、暴言だ。これは、世に言う修羅場的な状態だろうか。それに、俺の部屋がいつの間にか杏と一緒という前提で、鍵がカウンターの上に用意されている。ホテルスタッフは、修羅場を無視して、鍵を杏に渡す。杏はその鍵を手にして、エレベーターに向かう。
「ほら、行くわよ。拓磨」
「気を付けてね、たーくん」
いやいや。どうして柳まで俺を送り出す立場になっているんだ。変わり身早くないか? でも、よく考えたらこれはチャンスなのかもしれない。杏と付き合ってからというもの、俺はほとんど保健室やら病院やらで過ごしたおかげで、碌に杏と話す時間が持てなかった。同室になったことで、その時間を少しでも取り戻せるのではないか。二人でエレベーターに乗って、四階の一室の鍵を開けた。
すぐにスリッパがあり、アメニティが揃っているのが見える。電気ポットでお湯まで準備されており、なかなかの歓迎ぶりだ。ベッドが一つと机と椅子に、テレビと鏡。トイレとバスは別れている。床は絨毯張りだ。そう、ベッドが一つだ。俺は妄想を振り払い、とにかく場を和ませるためにテレビを見ようと、電源を入れた。しかしそこに映し出されたのは、モザイクだらけの画面だった。音は女性の喘ぎ声だ。おい! 前にこの部屋使った奴。テレビの上のチューナーに、AV視聴ができる有料カードを差し込んだまま、チェックアウトしてんなよ。俺が困るではないか。慌ててテレビのチャンネルを消して、カードを抜き取って机の抽斗に入れる。どうか見つかりませんように。
「どうしたの?」
「な、何でもない」
「顔赤いよ? 大丈夫?」
心配そうな杏の声を、久しぶりに聞いた。高校生活、いや病院生活が思い出された。あれもあれで、俺の青春の一ページだ。
「あのさ、杏」
バッグを部屋の隅に置いて、杏はスマホを取り出していた。冷蔵庫もあったが空なので、買い物に行こうとしていたのだろう。しかしその前に、俺にはどうしても杏に聞いておかなければならないことがあった。
「何? 改まっちゃって」
「何で柳のことを、貧乏神だなんて言ったんだ?」
どんなに犬猿の仲であっても、どんなに相手のことが気に入らなくても、初対面の女性に対して、言っていい言葉と悪い言葉がある。それは常識だ。確かに柳の方も、売り言葉に買い言葉で、杏のことを「災厄神」と言っていたが、最初にキツイ言葉をかけたのは、杏だ。俺の知っている杏は、ショートカットが似合う優等生だ。そしてその優しさから、男女ともに人気があった。成長と共に人間は変わってしまうものだけど、杏にはそのままの良さを残して、成長してほしかった。そんなことを考えるのは、俺のわがままだろうか。
「だって、本当のことじゃない」
拗ねたように口をとげて、杏は言った。
「貧乏神だって、私のこと災厄神って言ってたでしょ? 犬猿の仲っていうか、昔からライバル関係だから仕方ないのよ」
ん? ちょっと期待していた返答と違うな。昔からのライバル?
「あれ? 杏、もしかして柳と知り合いだったのか?」
俺の頭の中で、人間関係の相関図がこんがらがっていた。
「柳? ああそうね。昔からそう名乗っていたかも」
「え?」
昔からのライバルなのに、名前を知らない? そう名乗っていたということは、柳という名前は本名ではないということか。
「え? もしかして、まだ私のこと人間だと思ってたの?」
「えっ?」
ある可能性について思い当り、俺は声を大きくした。いや、でも、ちょっと待ってほしい。俺の思考は、その可能性を認めたくなかった。しかし、今の杏の発言は、自分の正体を明かしているに等しい。まさか、俺の初めての彼女の正体が、人間でなかったとは。しかし、それならば、杏と付き合ってからの俺の状態にも説明がつく。まさか。
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