5-4

 俺は二人を先導する形で、歩を進めた。地方の大学に進学してから、久しぶりの人ごみだ。当たり前だが人の波が絶えずあり、建物は上に上にと伸びている。人に酔うタイプの人なら、絶対にこの街中で自由に目的地を回れるとは限らないだろう。そんなことを思って振り返ってみると、俺の嫌な予感は見事に的中していた。俺のすぐ後ろにいるはずの二人の姿が見えない。どうやら、人の流れに逆らえずに、俺を見失ったようだ。柳は何故かすぐ見つかったが、梅野先輩は見つからない。柳と二人で梅野先輩を探すと、俺たちから離れた場所にあった電柱にしがみつくようにして人の流れを避ける梅野先輩の姿があった。


「梅野先輩、こっちです」


 俺が梅野先輩に向かって手招きするが、梅野先輩は自分の前を横切る人々が怖くて、動けなくなっているようだ。こうなったら俺の方から梅野先輩を迎えに行くしかない。ところが、俺は何かに引っ張られて動けない。振り返ると柳が俺の半袖シャツの裾をつかんでいた。


「私を置いて行かないで。また変な人に声をかけられたら嫌だよ」


 どうやら柳はこの短い迷子の間に、芸能事務所を名乗る男から、声をかけられていたようだ。しかも、一人や二人ではなく、複数だった。その中には単純なナンパもあったようだが、危ない誘いもまぎれていそうだ。いつも一緒にいて忘れそうになるのだが、柳は癒し系の美女なのだ。そして梅野先輩もミステリアス美女である。そんな二人の美女から同時に助けを求められ、俺は奮起した。おもむろに俺は柳の手を握って、梅野先輩のもとへ行くと、梅野先輩にも手を差し伸べた。梅野先輩は椿を彷彿とさせる困り顔で、俺の手に飛びついた。柳もどさくさに紛れて俺と腕を組む。まさに両手に花だが、美女二人をはべらせる俺は、周囲の男性たちからの視線が痛かった。この二人からしがみつかれた状態で、俺はお目当てのクレープ店にたどり着いた。その瞬間、両脇にいた二人は俺から離れ、店のメニューにまっしぐらだった。どんだけ現金なんだよ、と思いつつも、俺も食事系クレープを注文する。柳はやたらイチゴと生クリームが飾られたクレープで、梅野先輩は定番のバナナチョコクレープだ。クレープを提供している店くらい、大学の近くにもあるだろうに、二人はこの店で食べるのが夢だったらしい。


 クレープを食べ終わった俺たちは、やっとビブリオバトル会場に足を向けた。地方と違って、交通網が発達しているため、バスでも電車でもいけるが、都の狭さゆえに歩いても行くこともできる。せっかくだから満員電車を体験したいと言う柳と、せっかくだから都心部を歩いてみたいという梅野先輩の意見を尊重し、行は電車で、帰りは徒歩で帰ることになった。それにしても、二人の順応力は目を瞠るものがあった。駅から出てきたばかりの時は、俺にしがみついていないと歩けない二人だったのに、今は普通に会話をしながら歩いている。そして駅に戻り、座るところなんてちっともない電車に乗り込み、つり革をつかんでわずかな時間、電車に揺られる。柳も梅野先輩も、都会の満員電車はもっと混んでいると思っていたが、案外人が少なくて拍子抜けしたと話していた。朝の通勤通学ラッシュなら、二人が想像していた通りの光景が見られただろうが、今は昼を回ったところだ。ちょうど利用客が少ない時間帯にあたった。


「次で降りるよ」

「え? もう?」


 地方の駅の間隔は、恐ろしいほど空いている。一方の都市部の駅は間隔が狭い。地方の普通電車では、何十分も乗っていないと次の駅がないのに対して、都市部の普通電車では数分で次の駅に着いてしまう。乗車時間の短さに戸惑う二人を引き連れて、会場の文化ホールに向かう。俺も馴染みがない場所にある小さな市民文化ホールということで、スマホの地図アプリを使いながら、細い道を抜けて行く。こんなところにホールなんてあるのかと、三人で不安になった頃、視界が開けて白い建物が姿を現した。


「ここか」


 たどり着いて、ほっと胸を撫でおろす。中庭の花壇は手入れが行き届いていて、かぐわしい臭いを放っている。白い建物の裏には木が植えられていて、鳥の声も聞こえてくる。先ほどまで高層ビル群に囲まれ、人の波に押し流されていたことを忘れさせるくらい、静かな憩いの場という感じがした。玄関のガラス戸に「本日休館」と書かれていたので、中には入れないようだ。のぞいた印象では、外観よりも中は広くなっているようだ。あまり乗り気ではなかった俺も、会場の雰囲気を感じて緊張してきた。発表するのは、梅野先輩で、俺は柳と一緒に応援する立場なのだが。


 会場前で何もすることがなくなった俺たちは、一足早く近くに予約しておいたビジネスホテルにチェックインすることにした。帰りは歩いて目的地に向かう。ここの一駅分は、歩いても十分にいける範囲だ。むしろ一駅分歩くことが、健康維持に推奨されているくらいだ。


 そそり立つビジネスホテルは、窓の数でその部屋数の多さが見て取れた。それなのにまだ増築工事中だった。この不景気の中、なかなか儲かっているようだ。ホテルに入ると、チェックインカウンターで、一人の女性がもめていた。黒髪をポニーテイルにしていて、どこかボーイッシュな女性だった。どうやらホテル側の手違いで、女性が予約したはずの部屋が取れていなかったようだ。しかも女性が入るはずだった部屋を予約したのは、俺だった。さらには、今日から明日にかけては満室だと言う。このビジネスホテルが、ビブリオバトル会場の最寄りだったために、皆が同じことを考えて予約したようだ。女性は後ろから来た俺たちを振り返る。俺はわが目を疑った。


「あ」

「え?」


 俺と女性の声が重なった。女性は忘れようもない杏だった。


「拓磨? どうしてここに?」

「杏こそ、どうして?」

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