5-3

 そして、ビブリオバトル全国大会前日の朝を迎えた。俺は小さめのリュックを背負って、八巡神社に向かった。朝早いのに、もう蝉が鳴いている。鳥居をくぐると、地面を掃く箒の音が聞こえた。そこにいたのは、桜だった。何だか久しぶりだ。桜の方から俺に近付いてくる。


「おはようございます」

「おはよう。柳、準備できたかな?」

「お嬢様ですね。少々お待ちください」


 そう言って、桜は社務所の裏口に回った。奥の方に居住スペースの玄関があるらしいが、参拝者には見えないようになっている。高校生も夏休みでアルバイトが忙しいのだろう。桜は真面目そうだし、商売上手だから、助かっていそうだな。そんなことを考えていると、奥から大きめのバッグを持った柳が出てきた。どことなく、メイクにも髪の艶にも、気合が入っているように見える。


「おはよう、たーくん」

「おはよう。じゃあ、駅で梅野先輩と合流するか」

「うん。じゃあ、行ってきます」


 柳がそう言うと、桜は恭しく頭を下げた。


「行ってらっしゃい、お嬢様」


何だかこの浮世離れした会話に既視感があるのだが、黙っていることにした。しかし次の瞬間、桜の声が低く響いた。


「お気をつけて。女難の相が濃くなっております」


 そう言った次の瞬間には、桜は何事もなかったように、箒で掃き掃除を始めた。もう既に、桜の記憶からは俺に対するアドバイスはなかったことになっているのだろう。柳は俺の隣りで、「女難の相か」と小さく呟いていた。俺が推測するに、その女難とは柳と梅野先輩以外に考えられず、マジか、と心の中でげんなりした。


 大学前かのバス停からバスに乗って、駅に着く。駅の改札前には、もう梅野先輩の姿があった。口をとげて、「遅いぞ!」と怒鳴る。ここで俺は梅野先輩が普段はしていない化粧をしていることに気付いた。セミロングの髪の毛もいつもより艶がある。柳といい梅野先輩といい、いくら大会に出るからといっても、今から臨戦態勢なのだ。俺はちょっと油断しすぎなのかと、自分の感覚に自信が持てなくなっていた。改札を通って新幹線に乗り、一度も乗り換えをすることなく都内についた。今日はこのまま会場を下見して、ビジネスホテルに泊まる予定だ。新幹線を降りた頃には、もう昼近くだった。


「たーくんは、こっち出身なんだよね?」

「ああ。うん」


柳とは付き合っているわけではないが、いつも一緒にいるので、俺のことをよく知っているのは柳だろう。梅野先輩に至っては、俺に興味がないのか、いつも話すのは本のことだけで、俺について質問してくれたことはない。俺の方も、梅野先輩は謎の文学少女だが、コミュ障だということぐらいは察せられている。


「懐かしい? 実家に泊まらなくて良かったの?」

「いや。まあ」


 高校生までの俺の悲惨な日常を、柳は知らない。不幸をガンガン呼び込む体質の俺のせいで、両親にも迷惑をかけた。今は俺がいないおかげで幸せに暮らしているだろうから、それに水を差すようなことは避けたかった。もちろん、大学を出る前までには不幸体質を克服し、将来は親孝行するつもりだ。その一歩としての新幹線だった。


俺は高校では電車通学をしていたが、必ず痴漢やスリに間違われるという憂き目に遭っていた。俺が無実を訴えても、周りは信じてくれず、白い目で見られた。何度かは警察沙汰になりそうな時もあったが、ぎりぎりで、何故か訴えが取り下げられていた。それは、痴漢の目撃者が俺をフォローしてくれたり、スリにあった人が勘違いしていたりと、様々だった。今回の新幹線では、柳と梅野先輩に挟まれていたせいか、何事もなく終点の駅まで乗って来られた。俺にしては幸運だ。


「そうか。ここ出身だったのか」


 梅野先輩はスマホで何やら検索をかける。グルメサイトのようだ。美味しそうなものが画面上でスクロールされていくが、今回は貧乏大学生の集まりだから、そんなに高いものは食べられない。地方と違って、こっちは何でも高いのだ。


「これが食べたいのだが」


 梅野先輩は、スマホの画面を俺と柳の方に突き出す。そこには有名なクレープ店のサイトが表示されていた。昼食にクレープですか? と俺は首傾げたくなる。確かに最近のクレープにはおかず系とか食事系といって、甘くないクレープもあるという。しかし俺のイメージでは生クリームがたくさん乗って、甘いソースとイチゴやバナナが入った、おやつ系なのだ。想像しただけで気持ち悪くなりそうだ。しかし、梅野先輩は行く気満々だ。俺は味方につけようと、柳にひきつった笑顔で声をかけようとした。ところが、柳もいつの間にか身を乗り出して、梅野先輩のスマホを食い入るように見ていた。


「あ、これ、美味しそう。たーくんはこのお店知ってる?」

「まあ、一応」


 ええ、知ってますよ。俺じゃなくても知ってますよ。だって、有名な若者が集まるスポットになっていて、流行の発信地だし、テレビも取材に訪れる人気店ですから。おそらくこの辺りに来た地方の若者が、一番食べたいものってこの店のスイーツだろうと思いますよ。でも、俺の意見はどこに行ったのでしょう。最初に気付くべきでしたが、男と女で比率が一対二という時点で俺の意見なんか通るはずもなかったわけですよ、はい。


「じゃあ、少し歩きますけど、行きますか?」

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