4-2

「主様。貧乏神はそうやって近づいて、正しい思考を妨げて散財させるのが常套手段です。人は残念ながら、お金が足りなくなると不幸と感じるのが常です。貧乏神は、そんな人間の心理に付け込んで、不幸な人間を見て慰めて、いい気持になるのが大好きなんです」


 洟をすすりながら椿が視線を落とした先にあったのは、俺が買って来たばかりの夕飯だった。いつもの俺なら、こんなに出来合いの物を買ってくることはない。安い食材でちゃんとした和食を作っている。これでは大家さんや牡丹の善意が無駄になってしまう。なるほど、と俺は一人合点する。彼女が出来たことで舞い上がっていた俺は、まんまと貧乏神の術中に嵌まっていたのだ。そして柳はあの愛くるしい容姿で、俺の不幸な状況を慰めて、自分だけいい気分になりたいのだ。人間らしいと言えば人間らしい神様だが、とても危険な神様だ。そう言えば、柳が俺の近づいたのも、俺が不幸オーラ全開だったからだしな。まさかの女神が本当の神様で、ついでに貧乏神と来たか。さすが、俺! いや、違うだろ。隣で悲しんでいる幼女を前に、ノリツッコミしている場合ではない。俺は椿の頭に手を乗せて、軽く二回叩いた。そして身をかがめて椿と視線を合わせ、出来るだけ優しく声をかけた。


「ごめんな。俺、間違ってた」

「あ、主様ぁ~っ」


 椿は俺の胸に勢いよく飛び込んできた。小さめな頭が俺の心臓の辺りに激突して、ゴリラみたいな声が出た。しかも、椿の涙と鼻水が、ふんだんに俺のシャツに塗りたくられている。福の神の御利益と思えばいいのだろうが、それほど俺の心は広くないし、人間としての器も大きくない。まあ、大器晩成ということで、許してくれ。俺は椿を引きはがして、頭を撫でながら問いただした。


「俺の彼女は貧乏神ってことなんだよな?」


椿は目を擦りながら、こくんと頷いた。


「彼女の名前、柳って言って、神社の娘みたいなんだ。もしかして、神社に祀られているのが、貧乏神だから柳は存在できている、みたいな感じなのか?」


かなり遠回しではあるが、俺は柳の存在を何とか認めたかった。何故なら俺は、人生で初めて出来た彼女を諦めきれないでいたからだ。そのため、柳の正体が貧乏神だとしても、何とかならないかと椿にきいているのだ。改心したと見せかけて、俺は未練がましい男だった。でも、ほら、昔話で聞いたことがあるだろ? 貧乏神を大切にもてなした老夫婦に、財宝をもたらした貧乏神の話しとか、一宿一飯の恩義で福の神に変身した貧乏神の話しとか。つまり、ちゃんと扱えば、貧乏神は福の神に転じる存在だ。どうだ。大学に入ってまだ間もないが、ちゃんと民俗学ぽいことを考えられるようになっているじゃないか。俺は密かに胸を張った。しかし、椿の表情は凍り付いていた。


「ご、しゅ、じん、様。そ、その神社って、名前は?」

「ああ。八巡神社って言うんだけど……」


その神社名を聞いた瞬間、椿の体がびくりと跳ねたのを、俺は見逃さなかった。椿は何故、神社の名前に怯えているのだろう。そんなに柳が怖いのだろうか。考えてみれば、貧乏神と座敷童は水と油のような存在なのだろう。


「そ、その神社は近づいちゃ駄目です! 絶対、絶対、駄目です!」


 椿は必死に叫んでいる。俺以外に見えない椿だから、その声も俺にしか聞こえないのだろう。それなら問題はないが、隣の住人からしてみれば、俺が独り言を繰り返すヤバイ奴に思われるのは心外だ。


「お、落ち着け。まず、飯を食べよう。ほら、座って」

「……はい」


 俺は食卓に着いて、向かい側の椿に向かって合掌する。椿はその後、すうっと息を吸う。これで椿の食事はお終いだ。後は俺が食べるだけだ。今日は色々あったから、俺も腹が減っていた。今日は奮発して買ったから、明日からは手作りの料理に戻ろう。俺の周りでは自炊している奴は珍しいから、料理の腕が上がったのも、椿の恩恵だろうか。そんなことを考えながら、俺が魚の煮つけを口に運んでいると、今まで俯いて食卓を眺めていた椿が、いきなり顔を上げた。


「主様!」

「うおっ⁈ な、何?」


いきなりの大声に、俺は危うく魚の煮つけを、皿ごと落としそうになる。


「私と、つながりを持ってもらえませんか?」

「つ、繋がり⁉」


 異性と繋がりを持つということは、つまり……。いや、自制心を持て、俺。相手は座敷童と言う神様だが、見た目は幼女。俺にロリコンの趣味はない。それに、椿と繋がりを持ってしまったら、貧乏神と言えど彼女である柳を裏切ることになる。それは出来ない。椿だって、本気で言っているわけではないのだろうし。と言うか、俺の童貞はそんなに軽くないと信じたい。椿は小さな両手をぎゅっと握りしめて、耳まで赤くしながら、こくりと頷く。ヤバイ。俺の自制心が壊れかけている。


「私はもっと強く主様と繋がっていたいんです。だから、椿に贈り物をしてほしいんです」


贈り物? 俺は我に返った。今まで興奮していた自分がバカみたいだ。何だ、椿はプレゼントが欲しかったのか。いや、わかってたよ。分かってましたけども、いきなりプレゼントと言っても、そんな高価な物は無理だよ。例えば大家さんがくれた幻の酒とか。


「何が欲しいんだ?」

「なるべく、身に付けられる物がいいです。そうしたら、私はずっと主様のことを感じていられますから」


これが彼女だったら、ちょっと重いな。それとも女の子って、皆そうなのだろうか。不安そうに、椿は俺を見つめている。俺はそんな椿に笑ってうなずいた。


「そんなに高い物は買ってやれないぞ。それでもいいか?」

「え? いいんですか?」

「小物くらいなら」

「ありがとうございます! 主様、大好きです!」


椿はちょこんと頭を下げたかと思ったら、万歳をしながら部屋の中を跳び回った。俺がまだ食事中だと言っても聞く耳を持たなかった。そう言えば、出会った頃の椿は、長年主に呼んでもらえていなかったせいで、自分の名前すら忘れていた。どうやら椿は、この部屋の主と繋がっていることに幸せを感じているようだ。こんな小さな間取りから出られず、俺がいない間はずっと一人だから、寂しいのだろう。大家さんの家で聞いた、座敷童の話を思い出す。庄屋の家から去って行った座敷童は、どうなったのだろう。どこか別の家を見つけて、大事にされているのだろうか。それとも、この全く日本の神様らしからぬ格好の椿が、元々の座敷童なのだろうか。考えだしたらきりがない。それは、置いておくとして、話を蒸し返すことにした。


「ついでなんだけど、椿」

「なんでしょう?」


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